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2017-03-27 13:39:59

海堀あゆみ選手、原菜摘子選手がやってきた No1

テーマ:イベント

「おねがいしま~す」

 

 

 

あいさつの相手は、

元なでしこジャパンの、

海堀あゆみ選手(向かって右)と、原菜摘子選手(同左)。

 

 

 

人工芝のサッカー場が完成間近。

プレオープン記念のイベント。

 

 

 

 

海堀選手が自己紹介。

「かいちゃんと呼んでね」

 

 

 

原選手が自己紹介。

 

 

 

さあ、はじめるよ~ ビックリマーク

 

 

 

ウォーミングアップ。

 

 

 

 

 

 

やり方をデモンストレーション。

 

 

 

手でボールを取る。

 

 

 

 

 

次は、足でキープ。

 

 

 

 

 

 

 

海堀選手に挑戦。

 

 

 

 

 

 

奪えない あせる

 

 

 

奪えなかったひとは、ゴロン。

 

 

 

海堀選手がゴールキーパー ベル

 

 

 

原選手も 音譜

 

 

 

シュート ドンッ

 

 

 

 

コーンを運んでいると、

 

 

 

スタッフがお手伝い。

 

 

 

 

ミニゲーム。

 

 

 

 

 

ゴ~ル ドンッ

 

 

 

 

原選手から、奪えない。

 

 

 

 

 

 

ファウルだ~ あせる

 

 

 

ゴール前の攻防。

 

 

 

 

 

これならゴールできないよ 爆  笑

 

 

 

海堀選手とフィジカルの勝負。

 

 

 

3人がかり。

 

 

 

こりゃ、何人がかりだ あせる

 

 

 

コロコロとゴール ドンッ

 

 

 

 

ゴール前のアピール。

 

 

 

 

 

 

やった~ アップ

 

 

 

 

 

 

ゴ~ル ドンッ

 

 

 

あっという間に、閉会式。

 

 

 

感想。

 

 

 

お礼のことば。

 

 

 

みんなでパチリ。

 

 

 

サインをくださ~い ラブラブ

 

 

 

顔にサイン !? あせる

 

 

 

 

満面の笑み ドキドキ

 

 

 

未来のなでしこが、見送った。

 

 

 

 

 

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2017-03-25 12:07:01

卒業 2017

テーマ:島の暮らし

那間こども園の卒園式。

 

 

 

 

那間小学校の校長先生から、◯をいただいた。

 

 

 

 

 

那間小学校の卒業式。

 

 

 

 

 

「はみんしゃい ゆんぬ」を歌う。

 

 

 

音譜 ぼくらはこれから未来へ飛び立つ

 

 

 

 

 

 

 

 

「夢」

 

 

 

最後のホームルーム。

先生のおはなしがよかった。

 

 

 

タイムカプセル。

これを開けるときに、また、会いたい。

 

 

 

与論小学校の謝恩会。

 

 

 

卒業生が踊る。

 

 

 

お母さんたちが踊る。

 

 

 

 

 

先生たちが踊る。

 

 

 

みんなで踊る。

 

 

 

 

 

与論中学校の卒業式。

 

 

 

 

お別れのことば。

 

 

 

 

 

先生へも卒業証書。

 

 

 

 

 

 

 

最後のホームルーム。

 

 

 

先生から、贈ることば。

 

 

 

 

 

卒業生が去り、先生がひとり。

成長には、寂寥感がつきもの。

 

 

 

与論高校の卒業式。

 

 

 

 

別れのことば。

 

 

 

 

 

 

 

最後のホームルーム。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜、お祝いしたけど、まだ合否がわからない。

 

 

 

食事をした翌日、

 

 

 

合格したとの知らせ。

合格、おめでとう~ ベルクラッカー

 

 

 

 

 

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2017-03-22 15:30:56

ゆんぬの電気事業の歴史 山 剛昇

テーマ:島の暮らし

元九電産業(株)与論事業所長 山 剛昇さんと、

ヨロンの電気事業の歴史を調べた。

 

 

 

「町政活性化ネットワークよろん」の勉強会で、

披露していただいた。

 

 

 

1950年(昭和25年) はじめて電灯が点された
南前村氏が、野田モータースの並びで精米所を運営していた。

昼は精米を行い、夜、発電機を稼働し、

11月、はじめて自家用として電灯が点された。 

 

 

 

1951年(昭和26年) 九州電力誕生
昭和20年代、九州では各地で電気事業会社と配電会社が個別に運営されていたが、国による電力再編成令によりこれらが統廃合され、昭和26年5月、九州電力となった。

 

1952年(昭和27年) 南電業が送電開始
南氏の自家発電に対して、近隣から申し込みが殺到した。
与論は本土復帰前であり、軍政府に認可申請し公営企業法に基づき送電が認可された。5月から送電開始。

 

南 前村氏


夜10~11時ごろまで、茶花本通り付近の150(or 220)灯に送電していた。従業員は4名。発電出力は、15kwであった。
配電線は、小柱や立木、軒下を伝っていた。

家庭では、5W~20W程度の白熱灯で、照明としての供給だった(単相配線)。冷蔵庫などの家電製品は使えなかった。
供給はエンジンの調子に連動し、不安定であった。
定額制であり、契約した以上の電灯が求められるようになった。

 

1953年(昭和28年) 12月25日 奄美大島本土復帰

 

1954年(昭和29年) 奄美群島復興特別措置法公布


1957年(昭和32年) 私設南電業から村営事業へ
奄美群島復興特別措置法に基き、村営として電気事業を運営することになり、山俊尊信氏(電気主任技術者)の設計により、昭和31年から、現在の漁協の敷地内に発電所の建設工事をはじめた。
舶用エンジンで50kwの出力であった。
6月、南電業は村営電気事業に吸収された。
7月より1073戸に送電開始。

 

 

 

昭和30年代の電気事情
郵便局には自家発電機があった(昭和30年代初期)。
役場、診療所にも自家発電機があったかもしれない(診療所は昭和30年落成)。
喜山盛治商店には有線放送(昭和30~40年)のための自家発電機があった。
小中学校では、教育映画を映写することがあり、発電機が設置してあった。

 

2本のアンテナ(柱)が郵便局

(現 「海岸通り」)

 

診療所(現 町立図書館)

 

1962年(昭和37年) 発電機増設
需要増に対応するため、12kwの発電機をNHKからの払い下げで得た。
海水を冷却水として使用していた。海水はパイプが詰まるので冷却効率が悪かった(貯水タンク方式で温度が上昇したため)。

 

1963年(昭和38年) 南島開発製糖工場が操業開始
50kwと100kwのディーゼル発電機を所有。

 

 


1966年(昭和41年) 南島開発発電機増設
5月、500kwの蒸気タービン発電機を設置し、100kwを撤去した。

 

 

 

1964年(昭和39年) 与論発電所運営開始
冷却水が豊富に得られる立長(イヌパ)に、1号機160kwを設置、同時に茶花の発電所から50kwを移設し、7月6日から給電を開始した。
これにより、茶花の発電所は役目を終えた。
200トンの冷却タンクが2基。
製糖工場へ給電するため、製糖期間のみ24時間給電。

 

 

 

1966年(昭和41年) 24時間送電
11月の製糖開始から24時間送電となり、冷蔵庫などの家電製品が普及した。

 

1970年(昭和45年) 町営電気事業、大島電力へ合併
大和、瀬戸内、喜界、与論に4つの公営発電所があった。

振興予算を使った整備は、組織体がひとつになったほうが効率的であるとの理由(ライフラインの安定化)から、大島電力へ順次統合された。

与論は大和に次いで2番目、12月1日に合併した。これらの統合は、大島電力を九州電力へ合併するための段階的なものであり、大島支庁の方針として織り込み済みであった。
県の補助事業により、12月末に未配電地を解消した。
西区の前浜(メーバル)あたりが最後であった。
解消するために12本の電柱が必要だったお宅もある。

 

1973年(昭和48年) 大島電力、九州電力へ吸収合併
3月1日、喜界が大島電力へ統合した直後、4月1日、大島電力は九州電力へ吸収合併された。
与論発電所の初代所長は、山下金幸氏。

 

山下金幸氏

 

電圧3kvから6kvへの切り替え工事を1日で完遂した。
昭和48年ごろから観光ブームで需要が増え、昭和50年ごろ31%上昇した。
昭和56年ごろまで、観光ホテルにクーラーを交互運転してもらうよう依頼するなどして深夜節電をお願いした。


1976年(昭和51年)新与論発電所にガスタービン発電機設置
上昇した需要に応えるため昭和51年6月24日、ハニブに新与論1号機が設置された。
これはガスタービン式の発電機(1100kw)で燃費が悪く、予備機として運転していた。

 

1981年(昭和56年) ハニブへ移転
6月、立長からハニブの新与論発電所へ移転した。
立長は半無人化され、ハニブから遠隔操作するようになった。
現在、ハニブの冷却水は海水。ポンプ2台で対応している。
海水でエンジンを直接冷やすのではなく、エンジンを循環している冷却水を冷やす方式である(環境対策で3次冷却方式採用)。
現在の供給力は7810kw。
新与論発電所(ハニブ)    5600kw
与論発電所(イヌパ)      2210kw


 

【編集後記】

聞き取り調査に協力していただいた方々、写真を提供していただいた方々に厚くお礼申し上げます。

ありがとうございました。

 

日本で家庭用配電がはじまったのは1887年(明治20年)だそうです。

同じく、徳之島では1923年(大正12年)、沖永良部では1929年(昭和4年)だそうです。

ヨロンでは、いちばん遅かった沖永良部からさらに23年も遅れて家庭用配電がはじまりまりました。しかもそれは民間の自家用を分けてもらっていたのです。これだけ遅れた理由はなんでしょう?政治や行政は何をしていたのでしょう?

与論町誌には、「電業」は政治の章に、メモ程度で記載されておりますが、その政治的背景は記述されておりません。

いかなる政治的背景で遅れたのか、知りたいところです。

 

ヨロンの電気事業は太平洋戦争後にはじまっており、

戦後復興は電気事業とともにありの感を持ちました。

印象的だったのは、未配電地を解消したのが、

1970年(昭和45年)だということでした。

戦後四半世紀も経ち、高度経済成長の時代にあってもまだ電気の恩恵を受けていない家庭もあったのです。

その間、どんな暮らしをしていたのか、心が痛くなりました。

 

ヨロンでは、電気1円を売るのに4円の経費がかかるとのことでした。離島では赤字だそうです。

それでも電気は我々の、日常生活に不可欠です。

九州電力には、今後も安定的な供給をお願い致します。

 

 

 

 

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