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内膜症はディナゲスト内服で長期安定してますが、まさかのうつになりました。

【レクサプロの効果覚え書き】
レクサプロはセロトニンを増やしてくれるお薬
うつはセロトニンの分泌が減ってしまう脳の病気
セロトニンは幸せホルモン


内服開始4日後→わずかに気分がましになる
内服1週間後→消えたい気持ちが少し減る
内服2週間後→自責の念と罪悪感が少し減る
内服3週間後→ノートを開いてペンが持てる 
       座れるようになる
内服1ヶ月後→旦那に話しかけれるようになる(それまでは声が出せず会釈)
      おりがみができる 
      世界旅行の写真集の本をみる 
      アンパンマンの絵が書ける
内服1.5か月後→簡単な日記が書けるようになる
      ハリー・ポッターが読める
      お菓子作りを始める
      クレージージャーニーを観る
      ヨシダナギさんのブログをみて、日本人以外の人の考え方や文化を知る

内服2か月後→やりたいことを書き出せるようになる
      部屋の片付けができる
      クラシック音楽が聴ける
      SPARX(うつ用のアプリ、認知行動療法をゲーム感覚でできる)を始める
     
内服3ヶ月後→連続して家事ができるようになる
       なにかに集中できるようになる
       ドールハウス作りができる
       鬼灯の冷徹って漫画が読める
       クロスワードができる
       
       
内服3.5か月後→盆栽に住み始めたばったと出会う
       ばったと過ごす毎日は、
       外の世界の入り口になる
雨粒や太陽の光、風や花を感じられるようになる
もう空は墨汁を一滴たらした灰色の空じゃなくなる

内服4ヶ月後→ばった他界し、
悲しみに暮れながらも、外の世界の美しさを思い出させてくれたばったへの感謝の意を込め、ばったのブローチを作る(光浦靖子さんのブローチのまね)
心療内科の先生に自分の気持ちを話せるようになる(それまでは、声を出すことが難しいレベルで、小さな声でゆっくりしか話せなかった)

内服4ヶ月半後→ブローチ作りをきっかけに、刺繍や羊毛フェルトを始め、ブローチ作りまくる
その材料を買うために近所の100均へ買い物にいけるようになる(自分のための外出は初)
村上春樹さんの本が読めるようになる
小説の中の物語を通過することで、わたしの世界が再編成されていく感覚を持つ
旦那のとなりに座って自分の好きなことをできるようになる
テレビの音も調子がよければ気にならなくなる
歌が歌えるようになる

内服5ヶ月後→ラジオを聞くようになる
      朝の散歩に行けるようになる
      食糧の買い物が怖くなくなる
      人が多い日でも人混みに入って買い物
      ができるようになる(それまでは人が多いと怖くて入っていけなかった)
途中で怖くなったときは、この人混みの中に1人は村上春樹さんの本の読者さんがいるかもしれないとか考えてみたり、となりにナカタさんがいると考えると落ち着く(ナカタさんは、海辺のカフカにでてくる猫とお話ができる方で、魔法瓶にほうじ茶をいれています。わたしもほうじ茶好き)
      

【最近のこと覚え書き】
内服5.5か月後(今)→食欲は元気だった頃より少なめ ちょっと食べるとすぐお腹いっぱいになる
食べることの罪悪感がなくなったおかげで、おいしくごはんが食べられる
睡眠はやっと最近安定
夜9時半にゾルピデム内服して、朝6時くらいに自然に目が覚める  
最近は体がだるくて朝の散歩に行けてないけど、そのかわりにベランダに座って盆栽を愛でている(ベランダにでるのももう怖くなくなった)
寝つきは悪い日もあるけれど、夜中に目が覚めて眠れなくなることもほとんどなくなった
いやな夢をみて目覚めることもあるけれど、村上春樹さんの小説の主人公風に考えれば、夢は夢であって、現実に起こったことではないのだ 物事は実際に起こって初めて起こったことになるのだってやつだ。。と思うと、オーケーって気持ちになる。

こんな長い記事になって、なぜもっとうまくまとめられないんだと自責の念を感じるが、世界中でたったひとりでもこの記事を読んでくれたら、それってすごいことだと思う。
誰の目にも触れなかったとしても、こうして自分の気持ちを言葉にしてこころの外に出せることは、やっぱりすごいことだと思う。

どうでもいいことだけど、うつ絶頂期に、壊れかけた椅子が壊れてる事実にも関心が持てず、壊れかけた椅子に座っていたら、椅子が大破した。
大破した椅子の上で私の四肢はあらゆる方向を向いていた。
うつ絶頂期だろうが私は本能的に命を守ったのだ。そしてその瞬間、このエピソードを誰かに話したいと思った。それは久しぶりの感情だった。世界の片隅で私の体重により壊れた椅子。その椅子と私の物語を誰かに聞いてほしかったのだ。その一瞬の感情の高ぶりは大破した椅子の静けさといっしょに、消えていってしまったけれど。
でもわたしは時々椅子のことを思い出す。
そういうどうでもいい些細なエピソードを、誰かに気軽に話せる頃が懐かしくなる。
そして人はその大破した椅子を想像して笑うかもしれないし、笑わないかもしれない。
いつか社会に戻ってそんな些細なエピソードを話したり聞いたりできるようになりたい。
私のこころは、焦りばかりが募っていくけれど、希望だってちゃんと募っているのだ。
季節は少しずつ移り変わっていく。
波はあるけれど全体的にみると、少しずつよくなっている(この言葉は心療内科の先生がよく言ってくれる)
待つこと。必要なのは時間だ。