母の想い | 子宮頸がんワクチンの副反応と闘うkerorinnのブログ
母は創価学会員だ。
当然ながら、指示する政党は公明党。

「この子宮頸がんワクチンは公明党が頑張ったからこそ、公費助成になったのよ。」
接種前、自慢するように、母は私にそう言っていた。

ところが、接種してからいとの状態は、見る間に悪くなっていった。
去年5月、テレビの報道から、私はとことん調べるようになり、結果いともこのワクチンの被害者だと思うと母に伝えた。
母はその当時「公明党がそんな酷いワクチンを勧めるわけはない」
と言い、認めようとしなかった。

そのうち、このワクチンしか原因は考えられないと、自分でも認めざる負えなくなると
「今、なぜ公明党の議員に話しをしても、先に行かないのかというと、選挙で忙しいからだ。この選挙が終われば、こんな症状に酷い子供たちを放って置くわけはない。」
と言いだし、
「あなたは私の今までのこの人生を何だと思っているの。私と闘う気なら、親子の縁を切ってもいい」
とまで言うようになってしまった。

私は母の前で、公明党を批判するつもりはなかった。
ただ、ただ、子供を元の状態に戻してほしい。痛みから救ってほしい。そのためには推奨してきた公明党に頑張ってほしかった。

そんな母の気持ちを無視し、選挙が終わってからも私が知る当時の公明党国会議員は、私たち被害者の声も積極的に聞こうとしなかった。
地元の公明党の議員は資料を私に渡しただけで、公明党擁護の言葉しかしなかった。

そんな中でいとは毎朝、激痛に泣き叫ぶ。
双子のきぬまでが心臓に自覚症状があり、それが接種後からずっと続いていたと知ると母はどんどん落ち込んでいった。

そして、少しずつ、食餌療法に協力的になり、自分に出来ることはなんでもしてくれるようになった。
また、このワクチンの酷さを人にも話しするようになり
「はやく公明党が動いてくれたらいいわね。どんどんあなたが議員さんに訴えに行きなさい。でないと解ってもらえないから」と私に言うようになった。

その頃から母は旅行に行かなくなった。
旅好きで月に一回はどこかしら行っていた母なのに。


最近
きぬの自覚症状が無くなり、いとの不随意運動も出なくなり、痛みを我慢するときはあっても、泣き叫ぶことも無くなり、それにともなうように母がどんどん明るさを取り戻してくれるようになった。

そしてとうとう一昨日
私の父母、私たち家族4人、私の妹と子供で一泊で旅行に行った。
父母の招待だった。

「良くなって本当に良かった。これからも完治までがんばろう」
そういう想いがたくさん溢れた旅行だった。

お父さん、お母さん、ありがとうございました。