あの頃のこと・・ | ミセス・ぽわん の “きょうもありがとう”

ミセス・ぽわん の “きょうもありがとう”

2006年6月ブログ開始。(きっかけは病気・・)
今では、Mr.Childrenのこと、家族のこと、趣味のこと、〝うちごはん”のことなど、好きな事を好きなように書いてます。
モットーは、『何が起きても、生きてればこそ!』〝今日もありがとう~”です☆”

仕事帰り、オペ室の友人(N看護師長)とばったり会った。


「元気だよ~。あの時はありがとね。私ね、全く何にも心配せずに手術室に入れたの。こんな患者は幸せだよねー。」

と、まずはお礼。 そして気になる事を聞いた。

「手術の事全然覚えていないけど、私、何か言ってた?」


麻酔が覚醒する前・・・患者のなかには朦朧とした中で、いろんな事を話す人がいる。

手術前の前投薬が効いている場合も・・。

・・・後で聞いても本人は知らないと言うが・・多弁になる患者がいる・・。


私は、どうだったのか・・。

とんでもないことを話さなかっただろうか・・。


私は、「手術はうまくいきましたか?」と、何度も聞いたらしい。

3回か4回か・・・と彼女は言っていたが、もっと多かったのかもしれないナ・・と思った。

やはり、一番気になっていたことだったから。

もしかしたら・・・お腹中転移だらけで、腹膜播種もあってインオペ(手術が出来ない)になってたら・・・などと最悪の事も考えていたあの頃・・だったんだ。


N師長の話では・・

開腹して、洗浄細胞疹の迅速標本を出し、みな緊張して待っていたこと。

病理室からマイナスと報告を受けたH先生は

「よし!!大丈夫や!行くぞ!」 とスタッフに力強く気合をかけて、手術が再開されたこと。

手術が終わって、気になったN師長がH先生に聞きに行ったところ、

「大丈夫や!助けられる!!」と言ってくれて、本当にホッとした想いだったと言ってくれた事。


初めて聞くことも、少し聞いていたこともあったけど、

あの頃の自分がいとおしく・・・

そして、私の事をそんなに気遣って守ってくれた先生方や手術室スタッフの皆が、有り難く思えて、また胸が熱くなりました。

みんな、本当にありがとう!!



あれから3ヶ月半になります。

気持ちがゆらゆら揺れて、病気を受け止めたつもりでも、すぐに暗くなったりメソメソン泣いたりしていたあの頃・・。

そんな自分をもてあましてしまい、自分を変えたいと、Blogを初めて2ヶ月ちょっと・・経ちました。

私は少しづつ、ほんの少しづつですが、変わってきました。

しっかりと地に足をつけて、病気と向き合いながら・・明るく逞しく (希望・・です。まだまだ・・ですが・・)生きていく事が出来つつあります。


沢山のBlogお友達ができました。

予想もしなかったことです。

皆さんに、今までどれだけ助けられた事でしょう。

感謝・感謝の雨あられです。


私は、本当に子どもで、本音でしか生きられない甘ちゃんです。

大人になれていないんですね。

夫には「オマエが嫁に行ったら、3日と持たんな。」と言われています。

私もそう思う・・。


長女で育って、人の愛情が当たり前だと思って生きてきました。

今までずっと、好い事ばかりの人生だったかもしれない・・。

私に不幸は似合わない・・と、回りも自分も思っていたんですね。

それが、突然の発病でした。

免疫がない・・

慣れてない・・

逆境に・・・初めて立たされたといえるかもしれません。

仕事柄、少し無理もしました・・。気持ち的に・・。

私が取り乱しちゃいけない・・と。

家族の前でも、職場の中でも・・。


私はがんを受容した・・・と、思い込もうとしていたのかもしれません。

でも、『受容する』 って、そんな単純なものではないですね。

そんな簡単に出来るものでもないし。

時間がかかるし・・・『受容』の中身は単純ではない。


『がんの受容』=『死の受容』ではない!


あるがんの患者様が先生に

「僕はいつ死ぬんですか?」と聞いたことがあって・・

先生は、

「おー、それは仏さんにしか分からんな~。」と言って・・

その患者様は、それでウンウンと納得されていた・・・そんな場面がむか~しあった。


そう、人の人生の終わりが、いつ来るかなんて誰にも分からないこと。

未来の事は誰もわからない・・

ある程度の覚悟と、しかし強く希望を持って・・臨む

どんな状況になっても、ちゃんと自分らしく生きるぞ・・って気持ちになった時が『受容できた』っていうのではないか・・と今私は思っている。

で、状況が変わったら、またその時は、あがいて悶えて泣いて、そしてしばらくしたら、又前を向いて進めたらいい。


私は・・・まだ・・・もう少し・・・もうちょっとだけ時間が必要だ・・。