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CPU年表(CPUねんぴょう)という記事名であるが、実際のところほとんど全てがパーソナルコンピュータCPUとして使われるマイクロプロセッサに関する年表である。そのため、CPU#マイクロプロセッサおよびマイクロプロセッサ#歴史のそれぞれの記事のそれぞれの節と、ほとんど全く被っている記述も多い。

 

目次

 

1970年代前半 マイクロプロセッサの登場

マイクロプロセッサ以前、コンピュータのcentral processing unit(CPU)は、多数の集積回路(IC)で実装されており、汎用ロジックICとカスタム設計のICが必要に応じて使われていた。1970年代に入ると、LSIと呼ばれるような大規模なICによって、4ビット程度のプロセッサであれば1つのLSIに実装できるようになりマイクロプロセッサが登場した。背景には、1960年代後半に日本で起こった電卓戦争と呼ばれる開発競争と爆発的に拡大した市場による需要があった。電卓戦争の中で4004が誕生した。一方で、この時代には既にメインフレーム(例えばSystem/360)は32ビット、ミニコンピュータ(たとえばPDP-11)でも16ビットであり、また当時のLSIに使われたMOSのテクノロジでは動作速度も遅かったことから、コンピュータのメインストリームにマイクロプロセッサの存在が影響を与え始めたのは、もっと後である。

マイクロプロセッサ#最初のマイクロプロセッサも参照。

F-14戦闘機専用に開発され、市場には出回らなかった。
  • 1971年11月 4004 発表。4ビット
世界初の商用マイクロプロセッサ
電卓用。いわゆるオールインワンタイプを指向した、マイクロコントローラ(ワンチップマイコン)的なLSIの最初(ないし最初期のもののひとつ)。日本の電卓戦争に価格破壊をもたらした。
  • 1972年4月 8008発表。8ビット
高機能端末Datapoint 2200用に設計されたが性能が不足し採用されなかった。後継の8080はx86の前史となった。
最初の16ビットプロセッサとされる。

1970年代半ば-後半 パソコンの登場

1970年代半ば頃からパーソナルコンピュータ(パソコン)で広く採用されたCPUが相次いで登場した。8ビットパソコンは、アメリカでは1970年代半ばから、日本では1970年代末から本格的に登場した(パーソナルコンピュータ史を参照)。

8ビットCPU。モトローラ 6800 の派生CPU。アップルの パソコン Apple II で採用された。また、6502の派生型CPUが任天堂ファミリーコンピュータ(ファミコン)で使用された。
初期の代表的な16ビットCPUとされる。但し、複数電圧が必要、クロックの供給方法が特殊(4相)という、ハードウェア的に使いづらい所はあった。
  • 1976年7月 ザイログ Z80 発表。
    インテル 8080互換の 8ビットCPU。命令体系の拡張、5V単一電源で動作など、8080よりは格段に使いやすかった。シャープMZシリーズや NEC のPC-8000シリーズPC-8800シリーズなど、日本の代表的な 8ビットパソコンで採用された。また、家電製品のCPUとしても大量に使用された8ビットCPUの傑作でもある。とても多くの派生品がある。
  • 1978年6月 インテル 8086発表
    16ビットCPU。DOSパソコン、現在の Windows パソコンのCPUの先祖にあたる。x86系という言葉は8086とその後継CPUのことを指し、後に80286、 80386486Pentium などが登場する。これらの後継CPUは上位互換を保っている。
  • 1979年5月 インテル 8088発表
    8086 の外部バスを 8ビットにした廉価版CPU。1981年8月に登場したIBM PCで採用された。日本では初期の 16bitパソコンによく採用された。
  • 1979年 モトローラ 6809
    いわゆるミニコンピュータクラス用CPUのアーキテクチャを意識した 8ビットMPU。究極の8ビットCPUと評されることもある。日立富士通などの 8ビットパソコンで採用された。また、派生CPUはコントローラー用途として広く採用された。

1980年代前半 ワークステーション用32ビットプロセッサの登場

パソコン分野ではまだ黎明時代から8ビットパソコンの全盛時代にあたるが、CPUの分野では一足先に32ビットCPUが登場する。32ビットCPUはワークステーションなど業務用に使用され、1990年代に入るとパソコンでも本格的に使用されるようになった。

  • 1979年 モトローラ 68000
    内部32ビット、外部バス16ビットのCPU。初期のワークステーションで採用された代表的なCPU。また、1984年に登場したアップル Macintosh でも採用された。日本ではX68000に採用された。
  • 1980年代 NEC、米ハリス、AMDなどのCPUメーカーがセカンドソースでインテル互換CPUを生産
  • 1982年3月 インテル 80286 発表。
    16ビットCPU。1980年代後半-1990年代初頭のパソコンの代表的なCPUとなった。メモリ空間を16MBに拡大した。
  • 1984年 モトローラ MC68020
    外部バスも32ビット化した本格的な 32ビットCPU。業務用ワークステーションやMacintoshで採用された。
  • 1985年10月 インテル DRAM事業から撤退
    インテルは日本の半導体メモリメーカーの攻勢に押されてDRAM分野から撤退し、CPU事業に力を注ぐことになった。結果的に、この敗退が1990年代にはCPUメーカーさらには半導体産業の巨人を生み出すこととなった。

1980年代後半 RISC の登場

CPUの開発が進むにつれて、従来のCISCと呼ばれる仕組みに代わってRISCと呼ばれる仕組みを用いることで性能向上を図ろうとする考え方が生まれた。RISC CPUの研究は1980年代前半に進み、1980年代後半になるとミップス・テクノロジーズ (MIPS)、サン・マイクロシステムズなどからRISC方式を採用したCPUが相次いで発表された。しかし、まったく新しいCPUは従来のソフト資産を継承しにくいという弱点を抱えていた。

従来のCPUの互換性を保ちつつ RISC技術も取り入れていく折衷のインテルと、過去のしがらみを断ち切りゼロから作り直した革新の新興RISC CPUメーカーの攻防の行方は、パソコン分野についてはソフト資産重視のインテルに、業務用ワークステーション分野については、RISC CPUメーカーに軍配が上がった。RISC CPUはその後、サーバや組み込みCPUの分野で広く浸透した。