日本の航空事故 Ⅲ【内上】1970年代 1980年代

 

1990年代

1993年

1994年

1996年

1997年

1998年

2000年代

2001年

  • 2001年 1月31日
  • 2001年 5月19日
    • 便名: 1) 中日本航空 セスナ訓練機、2) 中日本航空 ヘリコプター訓練機
    • 機種: 1) セスナ172P(JA4201)、2) アエロスパシアル AS332L1 (JA6787)
    • 死者: 双方の6名全員が死亡。
    • 状況: 三重県桑名市上空で同一会社に所属する訓練機同士が上空640mでヘリコプターのローターにセスナの主翼が接触し破損。双方が墜落した大破炎上、民家2棟も類焼。事故原因は双方の見張り不足。

2002年

2003年

2004年

  • 2004年 1月1日
  • 2004年 9月23日
    • 便名: 日本航空ジャパン 2408便
    • 機種: マクドネルダグラス MD-90-30
    • 死者: なし(ただし負傷3人)
    • 状況: 伊丹空港へ向けて降下中、気象レーダーの操作が不適切であったため、本来は避けられるタービュランスに巻き込まれた結果、機体を動揺させた。この結果、乗客の幼児に重度の熱傷を負わせたが、その後の対応も、救急病院の手配どころか救急車すら手配しないなどの不適切なものであった[12]

2005年

2007年

  • 2007年 3月13日
  • 2007年 4月9日
    • 便名: アカギヘリコプター輸送機
    • 機種: 富士ベル204B-2
    • 死者: 乗員乗客10人中2人が死亡。
    • 状況: 富山県の北アルプス・水晶岳にある場外離着陸場から離陸直後に斜面に激突大破。搭乗者10名のうち機長と乗客1名が死亡。事故の状況は機長が視界の利かない状況で離陸したものの、機体の姿勢を保てず強風の影響もあり斜面に激突した。事故原因について国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(当時)は、機長に基本的な計器飛行の能力が劣っていたため、有視界飛行によって機体の姿勢を制御しようとしたが、風下側に旋回したため気流の影響を受けたため、斜面に激突したとしている。
  • 2007年 8月20日
  • 2007年 10月27日
    • 便名:大阪航空体験飛行便
    • 機種:ロビンソンR22Beta(ヘリコプター)
    • 死者:2名。
    • 状況:「大阪航空堺市墜落事故」を参照。

2008年

2009年

2010年代