公正世界仮説

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公正世界仮説(こうせいせかいかせつ、just-world hypothesis)または公正世界誤謬(こうせいせかいごびゅう、just-world fallacy)とは、この世界は人間の行いに対して公正な結果が返ってくる公正世界(just-world)である、と考える認知バイアス、もしくは仮説である。

 

目次

 

概要

「公正世界」であるこの世界においては、全ての正義は最終的には報われ、全ての罪は最終的には罰せられる、と考える。この世界は公正世界である、という信念を公正世界信念(belief in a just world)という。公正世界においては 今まで起こった全ての出来事が、公正・不公正のバランスを復元しようとする大宇宙の力が働いた「結果」であり、そして今後もそうであるだろうことが期待される。この信念は一般的に大宇宙の正義、運命、摂理、因果、均衡、秩序、などの存在を暗示する。公正世界信念の保持者は、「こんなことをすれば罰が当たる」「正義は勝つ」など公正世界仮説に基づいて未来が予測できる、あるいは「努力すれば(自分は)報われる」「信じる者(自分)は救われる」など未来を自らコントロールできると考え、未来に対してポジティブなイメージを持つ。一方、公正世界信念の保持者が「自らの公正世界信念に反して、一見何の罪もない人々が苦しむ」という不合理な現実に出会った場合、「現実は非情である」とは考えず、自らの公正世界信念に即して現実を合理的に解釈して「実は犠牲者本人に何らかの苦しむだけの理由があるのだ」という結論に達する非形式的誤謬をおこし、「暴漢に襲われたのは夜中に出歩いていた自分が悪い」「我欲に天罰が下った」「ハンセン病に罹患するのは宿を負ったものが輪廻転生したからだ」「カーストが低いのは前世でカルマが悪かったからだ」など、加害者や天災よりも被害者や犠牲者の「罪」を非難する犠牲者非難をしがちである。

例えば「自業自得」「因果応報」「人を呪わば穴二つ」「自分で蒔いた種」など、日本のことわざにもこの公正世界仮説を支持する言葉がある。この仮説は社会心理学者によって広く研究されてきており、メルビン・J・ラーナーが1960年代初頭に行った研究が嚆矢とされる[1]。以来、様々な状況下や文化圏における、公正世界仮説に基づいた未来予測の調査が行われ、それによって公正世界信念の理論的な理解の明確化と拡張が行なわれてきた。[2]

なお、実際の現実のこの世界よりも公正な世界であるこの世界を定義する用語である「公正世界」とは反対に、実際の現実のこの世界よりも邪悪な世界であるこの世界を定義する用語は「Mean world」(訳語不明)と言う。また、公正か邪悪かはともかく、この世界が取り得るすべての世界(「可能世界」)の中で最も善い世界のことを「最善世界」と言い、ゴットフリート・ライプニッツによると現実のこの世界自身が「最善世界」だという。

誕生

これまで多くの哲学者や社会理論家が、公正世界仮説が信仰されている事例を観測したり論考したりしてきたが、社会心理学の分野で公正世界仮説に最初に注目した学者はメルビン・ラーナーである。

メルビン・ラーナー

ラーナーは自らの研究をスタンレー・ミルグラムによる服従実験の延長線上に位置づけ、ネガティブな方面での社交的・社会的な相互作用に関する社会心理学的な研究としての文脈で、公正世界信念と公正世界仮説に関する研究を行おうとした[3]。彼は民衆に恐怖と苦しみを与える政体がどうやって民衆の支持を維持しているか、そして悲劇と苦しみを生むだけの社会的規範と法律を民衆はどうやって受け入れているか、という疑問に対する答えを見出した。[4]

ラーナーの研究は、犠牲者が受けている苦痛に関して犠牲者を非難する第三者を何度も目撃したことに影響されている。彼は心理学者としての臨床研修の間に、一緒に働いていたある医療従事者による精神障害者の治療を観察した。彼は心の優しい、教育を受けた人であったことをラーナーは知っていたが、にもかかわらず、病気のことでしばしば患者を軽蔑した[5]。ラーナーはまた、自分の学生が、明らかに構造的暴力の犠牲者であるところの貧困者を蔑む言葉を聞いた時の驚きを記している[3]。また、報酬に関する実験で、二人の被験者のうちランダムに選ばれたどちらか一人が仕事の報酬を受け取るという実験をした時、報酬を受け取る方はどちらかランダムに選ばれることを事前に通知しているにも関わらず、報酬を受け取った被験者は、実験者が自分のことをもう一人の被験者よりも好意的に評価してくれていると考えた。[6][7]認知的不協和など、これまでに存在した社会心理学の理論ではこれらの現象を説明できなかった。[7]これらの現象の原因となったプロセス(こんにちでは「公正世界信念」と呼ばれている)を理解したいと思ったラーナーは、彼の最初の実験を行うに至った。

初期の実験

1966年に、ラーナーと彼の同僚は、虐待への第三者の応答を調べるために、ミルグラム実験と同じく電気ショックを使用した一連の実験を開始した。これらの最初の実験はカンザス大学で行われ、72人の女性被験者は、共同被験者(実はサクラ)が様々な条件下で電気ショックを受ける様子を見せられた。当初、被験者が苦しむ様子を目の当たりにした被験者は動揺した。しかし、第三者である自分が何も介入することができないまま、共同被験者が電気ショックで苦痛を受けるのを見続ける状態がしばらく続くと、被験者は電気ショックの犠牲者であるところの共同被験者を蔑むようになった。共同被験者の苦痛が大きいほど、軽蔑の度合いは大きかった。しかし、共同被験者が後で苦痛分の報酬を受け取ると聞かされたときは、被験者は被害者を軽蔑することは無かった[4]。この実験結果は、ラーナーらと共同研究者らによるその後の実験でも反復され、他の研究者でも同様の結果が出た[6]

理論

これらの実験結果を説明するために、ラーナーは、公正世界信念が人々の間に普遍的に存在することを理論化した。 公正世界においては、人間の「行為」や「状態」が、それにふさわしい結果をもたらし、なおかつその結果が予測可能である。これらの「行為」や「状態」とは、基本的には個人の振る舞いや属性を指す。 特定の「結果」に対応する具体的な「状態」は、社会的な規範やイデオロギーによって決定される。ラーナーは、公正世界信念の実利的な側面として、結果や未来が予測可能な方法で、人が世界に影響力を行使することが出来ると言う点を示した。この信念は、「世界」が人の「行為」を「考慮する」という、ある種の「契約」として機能する。この公正世界信念が存在することによって、人は将来設計と、効果的な目標駆動型の行動を行うことが可能になる。ラーナーは、彼の実験結果と理論を論文「The Belief in a Just World: A Fundamental Delusion」として1980年に著した[5]

ラーナーは、公正世界信念の保持が、人々自身の幸福のために極めて重要であるという仮説を立てた。しかし、人々が明白な原因も無しに苦しむなど、我々は世界が公正でない証拠に毎日直面している。 ラーナーは、そのような公正世界信念への脅威を排除するための戦略を人々が使用することを説明する。 これらの戦略は、合理的なものと非合理的なものがある。合理的な戦略としては、世界が不公正であるという現実を受け入れる、不公正を防止したり不公正な状態に対する補償を提供しようと努める、世界に対する人間個人の限界を受け入れる、などが含まれる。非合理的な戦略としては、不公正な出来事に直面した時に目の前の現実を否定する​​、そのような出来事との接触を断つ、現実を再解釈する、などが含まれる[要出典]

不公正な出来事を、公正世界信念に適合するように作り変える再解釈の方法がいくつかある。一つは、結果や原因を再解釈したり、犠牲者の人格を再解釈することである。例えば、罪のない人々が苦しんでいるという不公正な現実を再解釈して、実は彼らは苦しむに値するだけのことをしたのだとする[1]。具体的には、第三者が、犠牲者の格好や行為に基づいて、犠牲となったことに関して犠牲者を非難する[6]。公正世界信念に関する多くの心理学的研究は、犠牲者非難や犠牲者の名誉棄損と言った、これらの負の社会現象にも焦点を当てている[2]

公正世界信念に関する副次的な効果として、公正世界信念を持っている人は弱気になりにくい性格である。と言うのも、彼​​らは自分の行いに対してネガティブな結果が返ってくるという考えが無いからである[2]。これは自己奉仕バイアスにも関連してくる[8]

多くの研究者は、公正世界信念を原因帰属理論の一例として解釈する。犠牲者非難の文脈においては、虐待の原因は虐待が発生した状況よりも、虐待を受けた個人の方に帰属する。このように、公正世界信念の帰結は、原因帰属の特定のパターンに関連があるか、あるいはそういった観点から説明することができるだろう[9]

異論