ザクセン=コーブルク=ゴータ家 Haus Sachsen-Coburg und Gotha |
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国 | ザクセン=コーブルク=ゴータ公国 ベルギー コンゴ自由国 グレートブリテン及びアイルランド連合王国 インド帝国 |
主家 | ザクセン=コーブルク=ザールフェルト家 |
創設 | 1826年 |
家祖 | エルンスト1世 |
現当主 | アンドレアス (ザクセン=コーブルク=ゴータ公家) |
民族 | ドイツ人 |
分家 | ザクセン=コーブルク=コハーリ家 ウィンザー家 |
著名な人物 | レオポルド2世 |
ザクセン=コーブルク=ゴータ家(ドイツ語: Haus Sachsen-Coburg und Gotha)は、ヴェッティン家(エルネスティン家)の分家で、ドイツ中部にあったザクセン=コーブルクおよびザクセン=ゴータの2つの領邦からなるザクセン=コーブルク=ゴータ公国の君主の家系である。一族からは現在のベルギー王家(サクス=コブール=ゴータ家)、イギリス女王ヴィクトリアの夫アルバート(サクス=コバーグ=ゴータ家)、ポルトガル女王マリア2世の夫フェルナンド2世(ブラガンサ=コブルゴ家)、およびブルガリアの君主(サクスコブルクゴツキ家)も出た。
家名を各国語で表記すると次の通りである。
ドイツ語: Sachsen-Coburg und Gotha (Sachsen-Coburg-Gotha)
英語: Saxe-Coburg and Gotha (Saxe-Coburg-Gotha)
フランス語: Saxe-Cobourg et Gotha (Saxe-Cobourg-Gotha)
オランダ語: Saksen-Coburg en Gotha (Saksen-Coburg-Gotha)
ハンガリー語: Szász-Coburg és Gótha (Szász-Coburg-Gotha)
ポルトガル語: Saxe-Coburgo e Gota (Saxe-Coburgo-Gota)
ブルガリア語: Сакскобургготски
目次
1ザクセン=コーブルク=ゴータ家
1.1エルンスト1世の家系
1.1.1ザクセン=コーブルク=ゴータ公家
1.1.1.1ドイツ革命以降のザクセン=コーブルク=ゴータ公家
1.1.2イギリス王家(サクス=コバーグ=ゴータ家)
1.2エルンスト1世の弟たちの家系
1.2.1コブルグ=コハーリ侯家
1.2.2ポルトガル王家(ブラガンサ=コブルゴ家)
1.2.3ブルガリア王家(サクスコブルクゴツキ家)
1.2.4ベルギー王家
1.2.4.1サクス=コブール=ゴータ家
1.2.4.2ベルジック家(ベルヒエ家、ベルギエン家)
2系図
3出典
4外部リンク
ザクセン=コーブルク=ゴータ家
「ザクセン=コーブルク=ゴータ公国」も参照
ザクセン=コーブルク(英語版)、ザクセン=ゴータの両公国はともにドイツ連邦に加盟し、ヴェッティン家エルネスティン系が統治する諸公国(英語版)の一つであった。1825年、ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公フリードリヒ4世が男子の後継者なしに死去すると、エルネスティン系の同族たちはその所領を分配した。フリードリヒ4世の姪ルイーゼの夫だったザクセン=コーブルク=ザールフェルト公エルンストはザールフェルトに代わってゴータを獲得し、称号をザクセン=コーブルク=ゴータ公と改めた。こうして1826年、ザクセン=コーブルク=ゴータ公国は他の領邦に隔てられた2つの公国の同君連合として始まった。
1844年にエルンスト1世が死去すると、長男エルンスト2世が公位を継承した。1893年にエルンスト2世が子を得ずに死去すると、公位継承権は弟アルブレヒト(アルバート)の長男であるイギリス王太子アルバート・エドワード(後のエドワード7世)に渡ったが、アルバート・エドワードは次弟のエディンバラ公アルフレッドに継承権を譲った(アルフレート)。アルフレートは1900年に死去したが、唯一の男子アルフレートは前年に自殺していた。コノート公(英語版)アーサー(アルバートの三男)とその息子が辞退したため、オールバニ公(英語版)チャールズ・エドワード(アルバートの四男レオポルドの唯一の男子)が公位を継承した(カール・エドゥアルト)。
カール・エドゥアルトは第一次世界大戦中にドイツ陸軍の将軍として軍務に就いていたため、1917年にオールバニ公爵位を剥奪された。1918年11月18日、ドイツ革命によってカール・エドゥアルトは追放され、コーブルクとゴータは別個の州となった。1919年にはイギリス王族としての身分も剥奪されている。
一方、イギリス王家はエドワード7世の子孫によって現在まで続いている。
また、エルンスト1世にはフェルディナント、レオポルトの2人の弟がいた。レオポルトは1831年に初代ベルギー国王に即位し(レオポルド1世)、現在のベルギー王家の祖となった。フェルディナントはハンガリーの名門貴族コハーリ家(英語版)のマーリア・アントーニアと結婚して同家の後継者となった(コブルグ=コハーリ家)が、その長男フェルディナントは1836年にポルトガル女王マリア2世と結婚し(フェルナンド2世)、1910年に革命で王制が廃止されるまでポルトガル王家として続いた(ブラガンサ=コブルゴ家)。フェルナンド2世の次弟アウグストの末息子フェルディナントは、1887年にバッテンベルク家のアレクサンダル1世に代わってブルガリア公となり、1908年からは国王(ツァール)を称した(フェルディナンド1世)。ブルガリア王家はフェルディナンド1世の子孫によって継承され、共和制に移行する1946年まで続いた。
エルンスト1世の家系
ザクセン=コーブルク=ゴータ公家
- エルンスト1世(1826年 - 1844年)
- エルンスト2世(1844年 - 1893年)
- アルフレート(1893年 - 1900年、兼エディンバラ公)
- カール・エドゥアルト(1900年 - 1918年、兼オールバニ公)
ドイツ革命以降のザクセン=コーブルク=ゴータ公家
- カール・エドゥアルト(1918年 - 1954年)
- フリードリヒ・ヨシアス(1954年 - 1998年)
- アンドレアス(1998年 - )
イギリス王家(サクス=コバーグ=ゴータ家)
- 第一次世界大戦の敵国ドイツ由来のサクス=コバーグ=ゴータの名称を嫌って、1917年にウィンザー家(Windsor)と改称した。
「ウィンザー朝」を参照
エルンスト1世の弟たちの家系
コブルグ=コハーリ侯家
「ザクセン=コーブルク=コハーリ家」を参照
ポルトガル王家(ブラガンサ=コブルゴ家)
「ブラガンサ=コブルゴ家」を参照
ブルガリア王家(サクスコブルクゴツキ家)
「ザクセン=コーブルク=コハーリ家」を参照
ベルギー王家
「ベルギー国王の一覧」も参照
サクス=コブール=ゴータ家
ベルジック家(ベルヒエ家、ベルギエン家)
第一次世界大戦後の1920年、第一次大戦の敵国ドイツ由来のサクス=コブール=ゴータの名称に代わって、国名を家名として用いることを決めた。改称後の家名は、多言語国家であるベルギーの事情によりベルジック(フランス語: Belgique)、ベルヒエ(オランダ語: België)、ベルギエン(ドイツ語: Belgien)と三様に表記される。
- アルベール1世(1920年 - 1934年)
- レオポルド3世(1934年 - 1951年)
- ボードゥアン(1951年 - 1993年)
- アルベール2世(1993年 - 2013年)
- フィリップ(2013年 - )
2017年5月、「サクス=コブール」の名称を復活させるとの報道があった[1][2]。家名としてなのか、称号としてなのか、現時点では詳細は不明。