世界恐慌の原因
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世界恐慌の原因(せかいきょうこうのげんいん)は経済学者達の活発な議論の主題となっており、これは広く見れば経済危機に関する議論の一環でもある。だが一般的には、世界恐慌は1929年の株価大暴落により引き起こされたと信じられている。世界恐慌時に起きた個々の経済的事件も徹底的に研究されてきた: そういった事件には、資産や商品価格のデフレ、需要と信用の急降下、貿易網の崩壊、そして究極的に起こる失業とそれに続く貧困などがある。しかしながら、恐慌を引き起こし、あるいは恐慌からの回復をもたらした政府の経済政策と個々の事件との因果関係は歴史家の間で意見の一致をみていない。
近年では、理論は二つの主流派といくつかの異説に大きく分けられる。
まず、ケインズ経済学や制度派経済学による需要主導モデルの理論では、不景気は消費不足と(それによってバブル経済が引き起こされたところの)過剰投資によって引き起こされたと主張される。需要主導モデルの理論においては、信用が大きく損なわれたことで消費・投資活動の急激な減少が起きたということで意見が一致している。一たび混乱・デフレが起こると、多くの人々は市場から距離を置くことでこれ以上の損失を回避しようとするというのである。このために物価は下がり続け、等量のお金でも多くの物品を買えるようになる。その結果、お金を貯蓄に回すことが有利となり、更なる需要減少に見舞われることになる。
次に、マネタリストらによれば、世界恐慌は通常の不景気として始まったのだが、その時の通貨当局(特に連邦準備制度)による重大な政策のミスが金融引締めという結果を招き、これによって経済状況が極端に悪化したために通常の不景気から世界恐慌に至ったという。この説明は、負債デフレによって借り手は実質的により多くの債務を負うことになると指摘する人々と関連がある。
このほかにいくつかの異説があり、それらを支持してケインジアンやマネタリストの説明を否定する者がいる。新しい古典派マクロ経済学者の中には、恐慌初期に課された様々な労働市場政策が長く深刻な世界恐慌を齎したと主張する者もいる。オーストリア経済学派は、中央銀行の決定がどのようにして誤投資を招くかとマネーサプライのマクロ経済的影響に着目する。
1910年-1960年のアメリカ合衆国の年毎の実質GDP。世界恐慌の期間(1929年-1939年)をピンク色で示した。
目次
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一般理論による説明
主流説
ケインジアン
多くの経済学者がその活動を主張するところの自己修正機構が不景気に働かないことがある理由は複数あると1936年に経済学者ジョン・メイナード・ケインズが主張した。著書『雇用・利子および貨幣の一般理論』においてケインズは、世界恐慌を説明するための概念を導入した。不景気時における不干渉主義政策に対する一つの主張として、もし貯蓄によって消費が落ち込むならば貯蓄は利率の低下をもたらすというものがある。古典派経済学者によれば、低い利率は投資の拡大をもたらし需要が持続的になるという。
しかし、利率が低下しても投資が必ずしも活発にならないことの良い説明があるとケインズは主張する。利益を期待しての投資は事業によってもたらされる。それゆえ、消費の落ち込みが長期にわたるならば、事業の分析の傾向として将来の売り上げの期待は低いものとなる。そのため、低利率によって資本が安価になっても将来の生産量を増大させるような投資は最も関心が向かないものとなるのである。この場合、消費の減少によって経済は一斉安に陥る[1]。ケインズによれば、この自己強化的活動こそが恐慌時に非常に活発になり、倒産が頻発して(将来に対する楽観的な期待が必要である)投資がほとんど起こらなくなったのだという。この説は経済学者によってしばしばセイの法則に反するものとして特徴づけられ、特にオーストリア経済学派に人気がある。
資本投資の減少が恐慌の原因であるという説は長期停滞論の中心的な主題である。
マネタリスト
1963年の著書『米国金融史 1867年-1960年』において、ミルトン・フリードマンとアンナ・シュウォーツは彼ら流の世界恐慌の説明を開陳した。彼らの考えによれば、本質的には、世界恐慌はマネーサプライの減少によってもたらされた。フリードマンとシュウォーツは次のように書いている: 「1929年8月の周期的な山から1933年の周期的な谷までの間に、通貨流通量は3分の1強にまで落ち込んだ。」 その結果がフリードマンいう所の「大収縮」―金融引き締めの窒息効果による収入・物価・雇用の減退―である。 この頃、連邦準備制度が供給するより以上に人々はお金を欲していたのだとフリードマンとシュウォーツは主張する。その結果人々は消費を減らすことでお金を貯蓄した。また、物価は即座に下落するほど融通が利かないために、結果として、雇用と生産の収縮が起きた。連邦の過ちは何が起こったのか分からなかったことや正しい対応を取らなかったことにある[2]。
恐慌以降、その主要な説明はマネーサプライの重要性を無視する傾向があった。しかし、マネタリストによれば、恐慌は「事実上、金融の効果の重要性の悲劇的な証明である[3]。」 彼らによれば、連邦準備制度の世界恐慌に対処する上での失敗は、金融政策が無力であることの表れではなく、連邦準備制度が間違った政策を実行したことの表れであるという。彼らは連邦が恐慌を「起こした」と主張しているのではなく、不景気が恐慌になるのを防ぐ政策を使い損ねたと言っているだけである。
南北戦争後から20世紀初期にかけて、アメリカ合衆国とヨーロッパは政府が規定する形の金本位制を採用していた。この時期のアメリカ経済は周期的な好不況の波を受けていた。不景気はしばしば銀行不況によって引き起こされていたとみられ、特に重要なものは1873年、1893年、1901年、1907年、1920年に起こっている[4]。連邦準備制度が1913年に成立する以
前のアメリカ合衆国では銀行システムが紙幣の兌換性を停止することでこうした(1907年恐慌のような)危機に対処していた。1893年に開始して以降、金融機関やビジネスマンによる成長努力がこうした危機に介在し、取り付けに喘ぐ銀行に流動性をもたらしていた。1907年の銀行恐慌の際、J・P・モルガンの招集したその場限りの連合がこの方法でうまく介入し、それによって恐慌が遮断されており、このため通常銀行恐慌に続いて起こる大恐慌がこの時には起こらなかったのだとされる。政府がこうした解決策をとることが要求されたために連邦準備制度が設立されることとなった[5]。
しかし1928年-1932年には、連邦準備制度は取り付けにあえぐ銀行に流動性をもたらすことはなかった。実際にはその政策はマネーサプライの急激な収縮を許すことで銀行危機に応えていた。狂騒の20年代には、中央銀行は第一の目標を「物価の安定」に定めていたが、これはニューヨーク連邦準備銀行の総裁ベンジャミン・ストロングが、物価の安定を金融目標とした非常に著名な経済学者アーヴィング・フィッシャーの弟子だからということもある。そういった事情から中央銀行は社会の物価が安定する程度にドルの流通量を保った。1928年にストロングが死に、彼の死とともにこの政策が終了し、全ての通貨・証券は背後に実際的な物品を裏付けとして持っているべきだという真正手形学説が取って代わった。この政策の為にアメリカ合衆国のマネーサプライは1929年から1933年の間に3分の1以上に減少することになった[6]。
この通貨減少によって銀行への取り付けが起こっても連邦は真正手形学説を保持し、1907年恐慌を遮ったときの方法で銀行に貸し付けることを拒否し、代わりに各銀行を破滅的な取り付けにあえぐままにさせ完全に没落させた。この政策によって連鎖的な銀行の倒産が起こり、当時存在した銀行の3分の1が消滅した。[7]。ベン・バーナンキによれば、続いて起こった信用危機によってさらに倒産の波が起こった[8]。1907年と同じ政策が1930年終わりの銀行恐慌の際にも採用されていればこれによって物価下落時の資産の流動化の強制の悪しき連鎖が防げただろうとフリードマンは述べた。そうしていれば、1893年や1907年に兌換性停止によって当時の流動性危機がすぐに止んだのと同じく、1931年、1932年、1933年の銀行恐慌は起こらなかったであろうというのである[9]。
マネタリストによる説明はサミュエルソンの著書『経済学』において否定されており、「連邦準備制度の金融政策を景気循環を制御する万能薬とみなす経済学者は今日ではほとんどいない。純粋に金融的なファクターは原因であるのと同じだけ徴候であると考えられる、悪化させる効果を伴っており完全に無視すべきではない徴候ではあるが[10]。」と述べられている。ケインズ経済学者のポール・クルーグマンによれば、フリードマンとシュウォーツの著作は1980年代までに主流派経済学者の間で支配的になったが、1990年代日本の「失われた10年」の下に再考されるべきであるという[11]。経済危機における金融危機の役割は世界金融危機 (2007年-)に関する活発な議論で扱われている。世界金融危機 (2007年-)の原因(英語版)を参照。
異説