桜島【危険地名3級~七段=一段】Ⅱ【中半】文明大噴火
噴火の影響
噴火によって降り積もった火山灰は、火砕流に襲われた赤生原付近や風下にあたった黒神と大隅半島の一部で最大1.5m以上、桜島の他の地域でも、30cm以上の深さに達した。 桜島島内の多くの農地が被害を受け、ミカン、ビワ、モモ、麦、大根などの農作物は、ほぼ全滅した。耕作が困難となった農地も多く、噴火以前は2万人以上であった島民の約3分の2が島外へ移住した。移住先は種子島、大隅半島、宮崎県を中心とした日本各地のほか、朝鮮半島に移住する者もあった[29]。
災害復興のために、桜島と鹿児島市街地を結ぶ定期航路を望む声が上がり、1934年(昭和9年)11月19日に当時の西桜島村が村営定期船の運航を開始した。その後の桜島フェリーである[31]。
昭和噴火
大正大噴火が終息した後約20年間は穏やかな状態となっていたが、1935年(昭和10年)9月、南岳東側山腹に新たな火口が形成され約1ヶ月間断続的に噴火を繰り返すようになった。1939年(昭和14年)10月の噴火において鍋山の上方海抜約800mに新噴火口が形成され小規模な熱雲(火砕流)が観察されている。
1946年(昭和21年)1月から爆発が頻発するようになり、同年3月9日に火口から溶岩の流下が始まった。大正大噴火とは異なり、噴火前後の有感地震はほとんどなかった。 3月11日夜から連続的に噴火するようになり、対岸の加治木町や国分町(後の霧島市国分)から火柱が観察されている。大量の火山灰を噴出し、牛根村(後の垂水市牛根)では、3cmの厚さに降り積もった。火山灰の影響で、同年5月に持木・野尻地区でたびたび洪水が発生している[40]。
溶岩流は鍋山付近で南北に分流し、北側は黒神地区の集落を埋めつつ、4月5日に海岸に達した。南側は有村地区を通過し、5月21日に海岸に達した。死者1名、噴出物総量は約1億立方mであった。この噴火は同年11月頃に終息したが、その後も散発的に噴火が起きている。
1955年 - 2006年-南岳山頂火口活動期
桜島の噴煙(1974年)
南岳噴火(2009年10月)
1954年12月末頃から火山性地震が増加し、1955年(昭和30年)10月に南岳山頂火口で大量の噴石を噴出する爆発と強烈な空震を伴う噴火があり、死者1名、負傷者11名を出した。これ以降、南岳山頂付近は立ち入り禁止となった。以後の噴火はそのほとんどが南岳山頂火口で起きている。噴火活動の再開を受けて1960年(昭和35年)に桜島火山観測所が開設された。1967年(昭和42年)8月の噴火において火砕流が発生するなど活発な噴火活動も見られたが、1960年を境にして爆発回数は減少に転じ、1969年(昭和44年)頃に収束した。
1970年代に入ると再び噴火活動が活発となり、1972年(昭和47年)9月13日から始まり[39]10月2日午後10時19分に南岳山頂でやや大きな爆発噴火が発生した。噴出した高温の噴石によって多数の山火事が発生した。この噴火が契機となり1973年に活動火山対策特別措置法が制定され、避難施設の整備、農林漁業被害への補助、降灰除去事業、土石流対策の砂防工事、火山観測や研究などの対策が強化されることになった[25]。1973年(昭和48年)以降、年間数十回から数百回程度の爆発を繰り返し日常的に降灰が続いた。昼間でも薄暗くなることもあった。1974年(昭和49年)5月、1976年11月、1979年11月の噴火では火砕流が発生している。1974年6月17日には第1古里川の砂防工事現場において降雨によって流れ出た火山灰によって土石流が発生し作業員2名が死亡し1名が行方不明となった。同年8月9日にも野尻川の砂防工事現場において土石流が発生し作業員とその家族を含め5名が死亡した。
1985年(昭和60年)年間474回の爆発を観測。爆発に伴う空振は福岡県飯塚市でも観測された。火山灰の年間降灰量は鹿児島地方気象台で1平方mあたり約16kgに達した。桜島島内では空振による住宅の窓ガラス破損や噴石による自動車の窓ガラス破損が多発し、鹿児島湾を挟んだ対岸の鹿児島市市街地においても降灰によって様々な被害が発生した。送電線を支えるがいしの絶縁不良による停電、道路においては降り積もった火山灰によるスリップ事故、鉄道においては架線の障害や線路のポイント故障による列車の遅れや運休、踏切の誤動作による交通事故、航空機においては操縦室の窓ガラスに傷が付く被害も報告された。同年の火山灰による農作物の被害は約72億円に達した[25]。翌1986年(昭和61年)11月23日には桜島古里地区のホテル(ふるさと観光ホテル)に直径約2m、重量約5トンの噴石が落下し建物の屋根と床を突き破り宿泊客と従業員の合わせて6名が負傷するという最大級の火山災害も発生した。1990年代に入ると爆発回数は減少傾向を示し、2003年(平成15年)から2006年(平成18年)にかけての爆発回数は年間十数回程度にまで収束した。
2006年以降-昭和火口活動期
昭和火口噴火の特徴は、1980年代の南岳噴火と比べて噴煙の高さが低く、逆に火口からの溶岩性の噴出物が多い。実際、当時の噴火最多記録を樹立した1985年と比べ降灰量自体少ないのであるが、監視カメラの映像によれば噴火の都度、流動性が高そうな灼熱の溶岩が柄杓で水を撒くかのように火口周辺に撒き散らされている[要出典]。これは、南岳噴火当時と現在で火口内に上昇している溶岩の性質が異なっているためであるといわれている[要出典]。
2006年6月4日に昭和噴火の火口跡付近において小規模な噴火が発生、以降、昭和火口が中心となって爆発の回数が再び増加へ転じた。2009年以降の活動の活発化傾向は特に著しく、観測所において爆発的噴火と記録された噴火は2009年548回、2010年896回、2011年996回、2012年は885回と、これまで観測された記録の上位4位までを占める形となっている。また、2012年1月には月初来の噴火回数で、2011年9月に記録した月間最多記録141回をわずか22日にして更新し、最終的には172回の記録を残した。そして、その4ヶ月後の同2012年5月に1955年の観測開始以降、最速で年間記録500回を記録している。この、2006年から2012年の間において、従来の記録を大きく上回る爆発的噴火の影響により、昭和火口の大きさが2006年11月時点よりも約2.5倍の大きさに広がった。
2010年には、1914年の大正大噴火で下がった地盤1.5mのうち9割が回復したとされた。これは桜島のすぐ北の鹿児島湾地下約10kmにあると考えられているマグマだまりから毎年0.01km3の供給があるとためだと考えられており、万一、噴火のフェイズが溶岩流の流出を伴うものへと移行した場合、大正噴火時に噴出した溶岩量と同程度の噴出が発生する可能性が懸念された。2020年には大正噴火以前のレベルにまで回復するとの研究が2013年に発表されている[41]。
2011年12月2日18時51分に、1955年の観測開始からの爆発的噴火の回数が通算1万回を記録した。その19分後には1万1回目の噴火を起こした。
2013年8月18日16時31分、昭和火口で爆発的な噴火が発生。噴煙の高さは2006年からの昭和火口の活動が再開して以来最も高い5000mまで達した。また、この噴火に伴い九州全土に伝播する周期5秒以上の長周期地震波が基盤的地震観測網 (Hi-net, F-net) で観測された[44]。火砕流も約1kmにわたって観測された[45]。なお同年9月にも上空4000mに達する噴煙を伴う噴火が起きており[45]、翌10月の火山噴火予知連絡会では北海道大学により火道角礫が確認された事が報告され火道が拡大している可能性も指摘されている[43]。
2016年2月5日18時56分頃、昭和火口で爆発的なマグマ噴火が発生、噴煙の高さが2200mに達し、これに因る噴火速報が18時59分頃発表された。気象庁では、2013年9月の爆発的噴火以降、同レベル以上の噴火は無かった事から火山性活動は少なくなったとして、11月25日頃に噴火警戒レベルを2に下げたが、この噴火で噴火警戒レベルを3に引き上げた[46]。
2017年5月2日3時20分、昭和火口で噴火が発生、噴煙の高さが4000mに達し、気象庁は噴火警戒レベル3を継続した。同日は計5回の噴火を観測した[47]。
- 2014年12月8日13時44分(JST)昭和火口噴火の連続写真(有村溶岩展望所より撮影)
噴火直前13時43分24秒
噴火直後13時44分18秒
13時44分28秒
13時44分38秒
13時44分46秒
13時45分00秒
13時45分26秒
桜島と地層
桜島は比較的新しい時代において頻繁に噴火を繰り返してきたため、噴出物が積み重なった地層は考古学における鍵層として利用される。桜島を起源とする地層として17層が確認されており、新しい順にP1からP17の記号で表される。特にP13およびP14は上野原遺跡の年代測定において重要な役割を果たした[48]。比較的新しい噴火による噴出物はボラと呼ばれ、主として大隅半島に分布している。
- 桜島を起源とする地層の一覧
- P1(Sz-Ts): 大正ボラ。1914年(大正3年)の大正大噴火による噴出物。
- P2(Sz-An): 安永ボラ。1779年(安永8年)の安永大噴火による噴出物。
- P3(Sz-Bm): 1471年(文明3年)の文明大噴火による噴出物。
- P4: 764年(天平宝字8年)の噴火による噴出物と考えられている。
- P5: 約5600年前 (?) の噴火による噴出物。
- P6: 約3800年前 (?) の噴火による噴出物。
- P7: 約5000年前の噴火による噴出物。
- P8: 約6500年前の噴火による噴出物。
- P9: 約7500年前の噴火による噴出物。
- P10: 約7700年前の噴火による噴出物。
- P11: 約8000年前の噴火による噴出物。
- P12: 約9000年前の噴火による噴出物。
- P13: 約10600年前の噴火による噴出物。
- P14(Sz-S): 約12800年前、北岳の噴火による噴出物。桜島サツマ火山灰と呼ばれ、半径約80kmの範囲に分布する。
- P15: 約24000年前の噴火による噴出物。
- P16: 約25000年前の噴火による噴出物。
- P17: 約26000年前の噴火による噴出物。
桜島の名称
桜島は古代において「鹿児島」と呼ばれていたとの説があるが確証はない。1334年(建武元年)頃の記録では「向嶋」と呼ばれており、「桜島」の名称が記録に現れるのは1476年(文明8年)以降である。その後しばらくの間、「向嶋」と「桜島」の名称が併存していたが、1698年(元禄11年)薩摩藩の通達によって桜島の名称に統一された。「向嶋」の名称は、東西南北どの方向から眺めてもこちらを向いているように見えることに由来する[31]。なお、御岳は「筑紫富士」とも呼ばれている[要出典]。
「桜島」の名称の由来については、以下の3説がある。
- 島内に木花咲耶姫命を祭る神社が在ったので島を咲耶島と呼んでいたが、いつしか転訛して桜島となった。『麑藩名勝考』『三国名勝図会』
- 10世紀中頃に大隅守を勤めた桜島忠信の名に由来する。『麑藩名勝考』
- 海面に一葉の桜の花が浮かんで桜島ができたという伝説に由来する。『麑藩名勝考』