桜島

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御岳(桜島)
桜島

桜島(2009年2月6日)

標高 1,117 m
所在地 日本の旗 日本 鹿児島県鹿児島市
位置 北緯31度35分19秒
東経130度39分17秒
座標北緯31度35分19秒 東経130度39分17秒
山系 独立峰
種類 成層火山活火山ランクA)

Japan Map Lincun.svg

桜島の位置
Project.svg プロジェクト 山
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桜島(さくらじま)は、日本九州南部、鹿児島県鹿児島湾(錦江湾)にある東西約12km、南北約10km、周囲約55km、面積約77km2[1]火山。かつてはであったが、1914年(大正3年)の噴火により、鹿児島市の対岸の大隅半島と陸続きとなった。

 

目次

 

概要

衛星から見た桜島

地形図

桜島火山は姶良カルデラの南縁付近に位置しており,このカルデラの2.9万年前の巨大噴火の3千年ほど後に誕生した[9]。日本の火山の中では比較的新しい火山である。桜島火山は有史以来頻繁に繰り返してきた噴火の記録も多く、現在もなお活発な活動を続けている。海の中にそびえるその山容は特に異彩を放っており、鹿児島のシンボルの一つとされ[2]、観光地としても知られている。2007年に日本の地質百選に選定された。国際火山学及び地球内部化学協会が指定する特定16火山のひとつである。

また、火山噴火予知連絡会によって火山防災のために監視・観測体制の充実等の必要がある火山に選定されている[10]

行政区分

1889年(明治22年)に町村制が施行され、行政区域は東桜島村と西桜島村に分かれる。東桜島村は1950年(昭和25年)10月に鹿児島市に合併され、西桜島村は後に桜島町と改名するが、2004年(平成16年)11月に鹿児島市に合併され、現在に至る。桜島は全域が鹿児島市(1889年時点では西桜島村東桜島村[11])に属し、桜島地区では7,329haの区域が霧島錦江湾国立公園に指定されている[2]

地理

集落と山の地図

桜島の大部分を構成する御岳は南北に並ぶ北岳、中岳、南岳から成り、山腹に多くの側火山を配する。これらを総称して御岳(おんたけ)[11]と呼ばれる。山裾が海まで伸びているため平地はほとんどないが、北西部と南西部の海岸沿いに比較的なだらかな斜面があり、農地として利用されている。温暖湿潤な気候でありながら、山肌に木々が乏しい上に、火山噴出物からなる土壌のため保水性が低く、川はほとんどが涸れ川となっている。

御岳

北岳(標高1,117m)
桜島の最高峰。山頂に直径約500mの火口があり雨が降ると池ができることもある。有史以来山頂火口から噴火した記録はないが、北東斜面に安永大噴火の火口がある。
中岳(標高1,060m)
北岳から約900m南に位置する。有史以来噴火の記録はないが地質調査では、1200年頃の活動で形成[12]。南岳の寄生火山の一つである。
南岳(標高1,040m)
中岳から約500m南に位置する。山頂に直径約700mの火口があり、その内側に二つの小火口(A火口とB火口)を擁する。火口内にはかつて白水と呼ばれる池があった[13]。この火口は1955年(昭和30年)以降活発な噴火活動を続けており、山頂火口から半径2km以内は警戒区域に指定され、立ち入り禁止となっている。南側山腹には安永大噴火の火口、東側山腹には昭和噴火の火口がある。
寄生火山(側火山)
  • 湯之平(ゆのひら、標高373m): 北岳の西側斜面に位置する溶岩ドーム。御岳の山頂付近を間近に眺めることのできる湯之平展望所がある。
  • 春田山(はるたやま、標高408m): 湯之平の東側に隣接する溶岩ドーム。京都大学の火山観測施設が設置されている。
  • 権現山(ごんげんやま、標高350m): 南岳の東側斜面に位置する溶岩ドーム。
  • 鍋山(なべやま、標高359m): 南岳の東側斜面に位置する火口跡。南側に大正大噴火の火口(東火口)がある。
  • 引ノ平(ひきのだいら、標高565m): 中岳の西側斜面に位置する溶岩ドーム。北東部に大正大噴火の火口(西火口)がある。

集落

明治以前は2万以上であった島内の人口は、大正大噴火の影響によって9,000人以下に激減。その後も減少が続き、1985年(昭和60年)には約8,500人、2000年(平成12年)には約6,300人、2010年(平成22年)には約5,600人となった。1950年に東側が、2004年に西側が鹿児島市と合併し、現在は桜島全てが鹿児島市となっている。

赤水

南西部に位置。集落全体が大正溶岩に広く覆われている。西南戦争時は臨時の県庁が置かれた[14]

横山

西部に位置。江戸時代は桜島であり、大正大噴火までは西桜島村の行政の中心であった[15]

小池

西部に位置。大正大噴火による溶岩流出により、集落全体が埋没した[16]

赤生原

北西部に位置[17]

北西部に位置。周辺には火山性土石流(ラハール)によって形成された火山扇状地が広がる[18]

藤野

北部に位置。大正噴火で溶岩流出により埋没した横山から村役場が移転して以降西桜島村及び桜島町の行政の中心地となる[19]。現在も鹿児島市役所桜島支所が所在している。

西道

北部に位置[19]

松浦
二俣
白浜

北部に位置。白浜温泉がある[19]

高免

東北部に位置。安永溶岩が海に伸びてできたスズエ鼻と呼ばれる岬がある[20]

黒神

東部に位置。埋没鳥居で知られる黒神神社や、昭和溶岩に埋め尽くされてできた地獄河原と呼ばれる溶岩原がある[21]

瀬戸

かつて桜島と大隅半島とを隔てていた瀬戸海峡に面していた集落。大正溶岩に島津斉彬時代の造船所跡もろとも埋没した。

桜島口

桜島と大隅半島の接続点にあるバス停。周辺は幅約0.8kmの地峡であり鹿児島市黒神地区と垂水市早崎地区の境界にあたる。大隅半島の海岸沿いを通る国道220号から桜島南部を通る国道224号と桜島北部を通る県道26号が分岐する交通の要衝であるが、大隅半島側は戸柱鼻と呼ばれる断崖であり桜島側には大正溶岩が迫っている。特に大隅半島側の崖は崩れやすく大雨によってしばしば通行止めとなっていたが、これを避けるための迂回路が建設された(2008年3月20日完成)。

かつて有村の東側に隣接していた集落。大正噴火による溶岩流出により埋没した[22]

有村

桜島南部に位置。大正噴火までは東桜島村の中心地であった。

古里

海辺の露天風呂で知られる古里温泉がある。

東桜島

かつては湯之と呼ばれていたが、東桜島村が鹿児島市に編入された際に改称された[24]

持木

かつて乙野尻や2番野尻と呼ばれていた。

野尻

文明溶岩が海に伸びてできた燃崎と呼ばれる岬がある。

植生

桜島は頻繁に噴火を繰り返してきたため同程度の標高を有する周辺の山地とは植生が異なっている。山頂付近には植物がなく標高600m付近からススキなどの草が生え始める。標高が下がるに従ってヤシャブシノリウツギなどの低木がみられるようになり、クロマツ広葉樹の林へと続いている。山麓付近はクロマツ、タブノキアラカシシイの林となっており、北部から北西部にかけてはスギヒノキ人工林も存在する。大正大噴火以前は山頂火口付近までヤシャブシの林があり、中腹まで広葉樹の天然林が広がっていた[25]

桜島の溶岩原は形成時において植物やその種子が全く存在しない状態になったため、年月を経て植生が変化する遷移(一次遷移)の様相を呈している。噴出年代の異なる溶岩原にそれぞれ特徴的な植物群が分布しており、植生遷移の経過を一度に観察することができる貴重な場所である。

  • 昭和溶岩の植生は地衣類センタイ類で始まり、噴火後30年を経てイタドリやススキ、タマシダ、クロマツが生え始め、噴火後45年を経るとハゼノキやノリウツギも見られるようになった。
  • 大正溶岩の上にはクロマツが生い茂り、ハゼノキ、ノリウツギに加えてヤシャブシも見られる。
  • 安永溶岩の上はクロマツ林からアラカシ、タブノキなどの常緑広葉樹林へ遷移しつつありシャシャンボシャリンバイも見られる。
  • 文明溶岩の上はシイやカシツバキ、タブノキなどを含む照葉樹林となっているが、人工林になっている場所も多い。

火山活動史

衛星から見た桜島(写真左上部)

桜島西部の横山にある城山(横山城跡)は古い時代に形成された台地であり、少なくとも約11万年前には陸地として存在していたと考えられているが、残りの大部分は地質学的に最近の火山活動によって形成された非常に新しい火山である。

約2万9千年前、姶良カルデラで発生した入戸火砕流姶良Tn火山灰の噴出を伴う巨大噴火(姶良大噴火)によって現在の鹿児島湾の形が出来上がった(右衛星写真の鹿児島湾奥部、桜島より上の部分に相当)。桜島はこの巨大カルデラ噴火の後に火山活動を始めた。約2万6千年前、鹿児島湾内の海底火山として活動が始まり、安山岩デイサイト質の溶岩を流出しながら大きな火山島を形成していった。約1万3千年前には北岳が海上に姿を現し、この頃に北岳から噴出した火山灰の地層は九州南部に広がっておりサツマ火山灰と呼ばれている。噴火活動は約4500年前から南岳に移行した。一方、中岳の活動史は十分に解明されていない[28]

桜島-薩摩テフラ

約1.3万年前に発生した噴火によって噴出したテフラで、火砕物の総体積は11km3(6.6 DRE km3)に及び、2.6万年前〜現在までにおける桜島火山最大の活動であったとされている。VEIは6。他の桜島火山起源のテフラで火砕物噴出量が2km3を越えるイベントはないので、桜島-薩摩テフラは他のテフラとくらべ桁違いに大きい。この噴火によって、桜島の周囲10km以内ではベースサージが到達したほか、現在の鹿児島市付近で2m以上の火山灰が堆積しており、薩摩硫黄島などでも火山灰が確認されている。

有史以降の噴火

溶岩の分布

30回以上の噴火が記録に残されており、特に文明安永大正の3回が大きな噴火であった。『薩藩地理拾遺集』においては708年(和銅元年)、『薩藩名勝考』においては716年(霊亀2年)、『神代皇帝記』においては717年(養老元年)、『麑藩名勝考』や『三国名勝図会』においては718年(養老2年)に桜島が湧出したとの説が紹介されている。現実的にはこの年代に桜島が形成されたとは考えられず、これらの説は桜島付近で起きた噴火活動を指すものとされる。

764年(天平宝字8年)から766年に海底からの噴火があり『続日本紀』の764年の箇所に「麑嶋」(鹿児島)における噴火の記述が残る。記述によれば、鹿児島湾海上において大音響や火焔とともに3つの島が生成したとされている[12]。島の詳細な位置は明確になっていないが桜島に関連した火山活動の一つと考えられており、「麑嶋」(鹿児島)が桜島を指しているとする説と、広く薩摩国大隅国の境界地域を指しているとする説がある[29]。地質学的な調査により小林(1982)は、最初の活動で鍋山が出現し次いで長崎鼻溶岩が流出したとしている[30]。931年頃(承平年間)に書かれた『和名類聚抄』において、大隅国囎唹郡に「志摩」(島)という地名が登場する。これが具体的な地域としての桜島を指した最古の文献である[31]

766年から1468年までの約700年間は歴史記録に記述が残されていないため噴火が無かったと考えられていたが[30]、その後の調査により、950年頃に大平溶岩を形成する山頂火口からの噴火[32]や、1200年頃の活動で中岳が形成されたとする研究が有る[12]

文明大噴火