天下り(あまくだり)官僚腐敗官官官民民民談合汚職

 

民間企業における「天下り」

民間企業に対しては普通、天下りという言葉を使用しないが、次のような雇用調整を揶揄して「天下り」と呼ぶ場合がある。

親子関係にあるグループ企業や、元請会社と下請会社の関係にある企業間において、親会社や元請会社の従業員が子会社や下請会社に出向し、子会社や下請が管理職として迎えることがある。このこと自体は以前から行われていることであり、かつては、対象者に子会社・下請で管理職の経験を積ませて、将来親会社に呼び戻すことが行われてきたが、最近ではリストラの一環として行われる場合が多くなっている。この場合、管理職としての資質を持たない人が子会社・下請の要職に配置されることが多くなる。受け入れる子会社にとっては迷惑極まりない事であるが、会社の資本関係や上下関係から親会社の意向に従わざるを得ず、事業への悪影響を避けるため、「部下を持たない管理職」として受け入れざるを得ないなど、業務効率の悪化や無駄な人件費の増大など経営への影響が懸念されている[要出典]

また、場合によっては親会社の意向で「部下を持つ管理職」に就いてしまう場合もある。部下の適切な管理や人心掌握といった管理職にある者として基本的なスキルすら持たぬ者がそのような管理職に就いた場合、パワーハラスメント等の問題を起こしやすく、職場の士気を下げたり、長年勤続した生え抜きの社員との確執から業務の妨げになる等の問題が出る恐れがある。部下の手柄を横取りしたり、不祥事に対して「私はこの会社のことは全く知らない」などと言って、自分だけは責任を逃れたりするケースも多々ある。

新聞社が株主であることを理由だけで、新聞社の社員が放送局の社長や役員に天下るケースもある。RKB毎日放送の役員等は毎日新聞社からの出向であることがその例である。同局の生え抜き社員が役員になるのはほぼ不可能である。この他にも民放テレビネットワークのキー局幹部社員が系列局の社長や役員に就任する事例もある。

2016年現在FNS系列の仙台放送・テレビ静岡・テレビ新広島社長はいずれもフジテレビ出身者である。

自民党政権下における天下りの役割

日本の政官関係の研究においてJ・マーク・ラムザイヤーフランシス・ローゼンブルース政党優位論の代表的な著作である『日本政治の経済学-政権政党の合理的選択-』という本では、日本では天下りが官僚統制手段として極めて有効であったという評価もあり、以下、この本による見解[27]である。なお、この本は、利益誘導型の政治が行われていた1955年から2009年までの自民党政権と官僚の関係における、政党の官僚に対する優位性を分析したものであることに注意を要する[28]

前提として、日本では官僚が独自性を持ち強大な権力を保持して、行政府が立法府の支配から自由であるという問題が発生していると考えられているが、これは間違いであり、実際にはプリンシパル=エージェント理論[29]プリンシパル=エージェント理論の観点において、行政府は主導権や裁量権を行使しても、立法府の下位にあるという力関係は変わらないとする。なぜならば、行政府が自立的に法案を作成しているように外見上見えるのは、結局のところ行政府が立法府の暗黙の要求にしたがって立法府の望む法律を立案するので、立法府の横やりが入らないだけだからである。
立法府が行政府を監視する方法として、与党自民党はその一党支配の前提から4つの方法が効率的として採用してきた
  1. 立法府の権能としての行政府の立案した法案の否決と行政府の行政指導などを覆す立法能力。
  2. 大臣職を立法府が占有することによる、官僚の昇進のコントロール。
  3. 選挙民からの陳情・官僚内部の政治家へ転身したい者への支援・省庁間の対立という3種類のルートからの官僚を監視するための情報入手。
  4. 天下りというシステムによる官僚の生涯賃金のコントロール。
その4つ目のシステムである天下りは、官僚に対する退官後の収入を担保にした行動制約である。与党の考えと一致しない人間が自分を偽って官僚となり、その上で与党の考えに反した行政運営を行いつつ、一般企業と同様の賃金を得られるとすれば、多くの人にとって官僚は魅力的な職業となる。このような「汚職」を避けるため、天下りが効力を発揮する。日本の官僚が在職期間中に得る賃金は他の職業のそれと比べて低い。エリート官僚には最も高学歴な人々がなるため、それを加味すれば他の職業の賃金よりも高くなるはずにも関わらずである。基本的に彼らは、全経歴の半分から2/3を占める官僚時代に低い賃金を、そして天下った後の残りの企業時代に高い賃金を得ている。
官僚は与党の意に添うように行動した場合にのみ退官後に有利な職につくことが出来、与党幹部は気に入らない官僚に対し容易に天下り先をなくすくことができる。そのため、官僚は自身の後の利益のため、与党に逆らわないようになる。そして、行政府は官僚を市場賃金以下で働かせ、ヘマをしなかった者に対し、官僚時代の低賃金を補填する職をあっせんするのである。もしこの約束を反故にすれば、行政府は飛躍的に高い賃金で官僚を雇用しなくてはならないので、約束は履行される。
そして、斡旋によって、官僚に対する褒美としての高い給与を政府の支出から除外し民間に負担させる。民間も、行政府とのパイプを求め、その支出の負担を喜んで受け入れる。しかし、利益誘導がなされるため、政府は市場賃金と天下り後の賃金の差を実質的に(元)官僚に支払っていることとなる。民間は、利益誘導分を(元)官僚に還元し、結局のところ、政府は市場賃金を従順な官僚に支払い、官僚は従順であれば、市場賃金を得、民間の利潤はゼロになるであろう。
つまり、天下り(を含むその他の方法)によって与党は官僚を監視し支配しており、そのために天下りは必要なシステムである。その結果、与党は党の政治的目標の実現のための仕事を官僚に任せることができ、事実そうしているのである。

なお、行政学教科書である『行政学』(真渕勝)も「天下りの功罪」において以下のように述べる[1]

同一条件である同級生の民間企業での賃金と官僚の賃金を比較すると、相対的に官僚の賃金は低いことを読み取ることができる。また、ノンキャリア組とキャリア組の間にも大きな賃金格差があるわけではない。天下りは、このように主観的に低い賃金で、高い忠誠心の確保と激しい労働をこなすことに対する対価という意味を持ち、「遅れて支払われた報酬」(猪木武徳)という性質をもつという主張がある。さらに、高いポストからの天下りが相対的に高い報酬を得ることは、現役官僚にとってのインセンティブになる。一方で特殊法人役員の、知事や市長と比肩する高すぎる退職金に庶民ならずとも反感を持つのはやむを得ず、この主張は次第に説得力を失ってきている。(なお同時に「天下りの功と罪、いずれかが大きいか、即断することは…経験的に検証することも容易でない。」としている。)

民主党政権下における天下り