ケネディ大統領暗殺事件 Ⅲ【序】狙撃 大統領の被
夫人の証言
ジャクリーン夫人は後にウォーレン委員会での証言で「銃撃は2発しかなかったと記憶している」「1発目が当たった時、彼がちょっと訝しげな表情を顔に浮かべていて片手が上がっていた」「2発目で吹き飛ばされた彼の頭蓋骨を押さえようと彼の髪をしっかり押さえて、彼の頭を膝に載せて車内で伏せていた」と述べて、後方に這い出したことは「そのことは全く覚えていない」と説明している[4]。
記録された暗殺(ザプルーダー・フィルム)
大統領一行がダラスに到着した時に、地元のラジオおよびテレビ局は空港での到着の模様は中継放送したが、市内パレードの中継はしなかった。そして目的地のダラス・トレードセンターの昼食会の会場にテレビカメラを設置して昼食会を中継する予定であった。後にKBOX-AMはその日のニュースの抜粋で銃撃の音をLPレコードで放送したが、それはオリジナルの録音ではなかった。車列の後方の車に乗車した各メディアの記者やカメラマン[注釈 13]を除いて、ほとんどの報道機関はトレードセンターでケネディの到着を待っていた。
しかしながら、ディリー・プラザでの暗殺現場はサイレントの 8mmフィルムに 26.6 秒間記録されていた。アマチュアカメラマンのエイブラハム・ザプルーダーが撮った物である為、後にザプルーダー・フィルムの別名で呼ばれるようになった[注釈 14]。
FBIはザプルーダーが使っていた8ミリカメラが毎秒18.3コマで動いていたことから、暗殺時の大統領のリムジンの速度は11.2マイル[5](18キロ)の時速であったと推測した。そしてザプルーダーフィルム全486コマから各コマに番号を確定して、大統領が頭部に致命傷を負った弾を被弾したコマを番号313[注釈 15]と指定した。そして大統領が1発目の銃弾を受けたのが番号210から224の間と確定した。1発目は道路標識に遮られて、被弾した瞬間の大統領の様子は写っていない。大統領の顔が再び写っていたのは番号225で明らかに撃たれている様子であったため、それ以前に撃たれたと見られている。そしてコナリー知事が被弾したのは番号240であることが分かった[6]。
これは事件直後にFBIが3発撃ち込まれて、1発目が大統領へ、2発目が知事へ、3発目が再び大統領へ当たったという報告と矛盾することとなった。オズワルドが撃ったとされるライフル銃[注釈 16]で連射した場合、「好機をとらえた二発の命中弾」の最低限の時間は2.3秒でザプルーダーフィルムで42コマが必要であった[7]。ここに当初考えられた単独の狙撃犯ではなく、別に狙撃犯がいたのではと考えられることとなった。
暗殺を現場で目撃し記録した者は、ザプルーダーだけではなかった。いずれも、ザプルーダーのフィルムに比べて遠くからではあるが、狙撃の瞬間をフィルムに撮影した者は他に3人いることが知られている[8]。その他にも、暗殺時刻あたりで現場やその周辺をフィルム撮影した者は、ディーリー・プラザに多数いたことが知られているほか、暗殺時ケネディの車列が通行していたエルム通りの南側で、身元不明の青い服を着た女性がフィルム撮影を行っていたことが分かっている[注釈 17]。写真(静止画)撮影も多くの人々によって行われている。事件発生時、ディーリー・プラザには32人ものプロ、アマの写真家がいた。その中でプロの写真家は、アイク・アルトジェンというダラスのAP通信のジャーナリスト唯一人であった。アルトジェンが撮影した写真は、この暗殺事件を撮影した写真の中でも最も有名なものの一つである。
沿道の負傷者
暗殺を目撃した市民の一人であるジェームズ・ターグ(James Tague)は、ケネディが銃撃された位置から前方およそ80メートルの地点に立っていたが、発射弾の破片によると思われる傷を右の頬に受けた。ただしこれは発射された弾の破片ではなく、弾が近くの橋の支柱に当り、その支柱のコンクリートの破片が飛んできたものであった[9][注釈 18]。彼はすぐに地元警察に報告したが、その後は警察からの尋問はなく、翌年のウォーレン委員会でも殆ど無視されている。
その他の目撃者
メアリー・モーマンが撮影した画像
ディーリープラザでの目撃者で、直接ライフル銃を構えて撃っている姿を見た人として、ハワード・ブレナン[注釈 19]がいる。彼はちょうどヒューストン通りからエルム通りに入る角の壁の上に腰掛けていたが、1発目の音はオートバイのものだと思い、2発目の音は花火のような音に聞こえて上を見上げた時に、教科書倉庫ビルの6階窓から「ある種の高性能ライフル」を構え「左の窓の下枠に体をあずけ、銃を右肩にあてて、左手で銃を支えながら、最後の一弾を発射しました」とウォーレン委員会に証言している。彼の場所から教科書倉庫ビル6階までは直線でわずか35メートルの距離であった。彼はその直後に警察官に通報して、警官が教科書倉庫ビルに入ると同時に、ブレナンが見たライフルで撃った男の人相や風体が警察無線で市内のパトカーに伝わった[10][注釈 20]。
またこの教科書倉庫ビルでオズワルドの仕事仲間が5階でパレードを見ていた時に、上の階からライフルのボルト(遊底)が引かれ、また押し込まれる音を聞き、また空薬莢が床に落ちる音も聞いている。翌年ウォーレン委員会が直接現場で実験したところ上の階でのライフル銃の操作の音も薬莢が床にゴツンと落ちる音も驚くほど聞こえることが分かった[11]。
大統領が撃たれた所から前方にある草の生えた丘の上(グラシー・ノール、grassy knoll)から発砲があったとする複数の証言がある。ジーン・ヒル(Jean Hill)はグラシー・ノールから銃声がしたとウォーレン委員会において証言し、後に男が銃撃したと述べている。また狙撃時にパレードの前方にあったトリプル・アンダーパスの陸橋にいたサム・ホランド[注釈 21](Sam Holland)はアーケードの背後(behind the arcade)の木立から煙が上がったと証言し、同じ場所にいたオースティン・ミラー(Austin Miller)も煙かスチームを見たと証言した。この他にダラス市警の制服警官ジョー・スミス(Joe Marshall Smith)はグラシー・ノールでシークレットサービス(当日は配置されていなかった)を名乗る私服の男を見たと証言した。ウォーレン委員会では、この場所で結局物的証拠が全く見つからず、また当時この場所で数人の見物人が立っているので誰にも見つからずにライフル銃を発射できたとは想像できないとして重要視しなかった[注釈 22][注釈 23]。
メアリー・モーマン[注釈 24]は、頭部に致命傷を受けた直後(約0.17秒後)の大統領と背後のグラシー・ノールをポラロイド写真機[12]で撮影した[注釈 25]。その際、暗殺犯とその発砲の瞬間[注釈 26]が撮影されたとする説がある。研究家ゲーリー・マック(Gary Mack)は「モーマン写真」を拡大すると「バッジを付けた人物と煙かマズルフラッシュ(発射炎)のような像」が確認できることを発見した。この説は1988年にEngland's Central Independent Televisionが製作したTVドキュメンタリー「The Men Who Killed Kennedy」でも紹介されたが、この像は人間ではないとする説もある[注釈 27]。またゴードン・アーノルド[13]の証言[注釈 28]やロスコー・ホワイト[注釈 29]と結びつける主張もある[注釈 30]。
防弾カバー使用拒否