日本の貨幣史 Ⅰ【冒頭】目次・概要
- 金属貨幣
寛永通寳一貫文
日本で金属貨幣が作られる以前の弥生時代の遺跡からは、中国から運ばれた硬貨が発見されている。日本で作られた金属貨幣で、現存する最古の銀貨は7世紀の無文銀銭、最古の銅貨は708年(和銅元年)の和同開珎、最古の金貨は760年(天平宝字4年)の開基勝宝である。地金の重量を測って用いる秤量貨幣の銀が飛鳥時代から存在し、8世紀には硬貨が発行された。秤量貨幣には主に銀が用いられ、江戸時代までこの傾向が続いた。銅貨は酸化銅からの鋳造は容易であるが、火山の多い日本では硫化銅が主体だった。そのため室町時代後期に山下吹という精錬方法が開発されるまでは銅が慢性的に不足しており、銅貨の発行に影響を与えた[2]。金と銀は、16世紀に大陸から伝わった灰吹法によって産出量が増加して、江戸時代には貴金属の輸出も行われた[3]。
和同開珎を含めて初期に作られた硬貨は、数々の奨励策にも関わらず流通が限られ、いったん硬貨の発行は停止した。中世に入ると、中国との貿易で流入した大量の銅貨によって硬貨が広まる。江戸時代には、金・銀・銅にもとづいて三貨制度が定められ、金属貨幣の流通が全国で統一された[4]。
- 紙幣
存在が確認されている最古の紙幣は、1610年に発行された羽書である。羽書は私札と呼ばれ、そのほかに藩領が発行する藩札や、旗本領が発行する旗本札があった。明治時代からは、政府による政府紙幣や銀行による銀行券が発行された[5]。
- 貨幣の単位
古代から中世にかけて、文(もん)や貫が用いられた。江戸時代では、金貨の単位は両、分(ぶ)、朱(しゅ)があり、銀貨の単位は貫、匁(もんめ)、分(ふん)、銅貨の単位には文(もん)が定められた。明治時代からは円が採用されて現在にいたっている。円の補助単位として、銭(せん)、厘(りん)がある[6]。
- 貨幣発行益
貨幣の発行によって物資の調達や財政を改善する貨幣発行益は、古代より利用されてきた。和同開珎が発行された時代の銅貨は、原料である銅の4倍ほどの貨幣発行益があった[7]。貨幣発行益を目的とした改鋳や新貨の発行として、朝廷が発行した皇朝十二銭や、江戸幕府による改鋳、明治政府の政府紙幣などがある。貨幣発行が政府や通貨制度への信用低下をもたらす場合があり、皇朝十二銭では新貨のたびに銅貨の含有率が下がり、銭離れを招いた。日中戦争や太平洋戦争の時期に発行された紙幣や軍票は、日本統治下の地域でインフレーションを起こして、通貨の信用低下をもたらした[8]。
貨幣の発行を政府と銀行のいずれが行うかによって、貨幣発行益は異なる。たとえば2014年度(平成26年度)には日本銀行券が30億枚発行されており、銀行券製造費は51,483,108,000円となっている[9][10]。ただし、現在の日本では、政府ではなく中央銀行である日本銀行が貨幣を発行している。このため、銀行券の製造コストと額面の差額は貨幣発行益とはならない[11]。日本銀行の貨幣発行益は、銀行券発行の対価として買い入れた手形や国債から得られる利息となる[12]。