アメリカ合衆国領土の変遷 Ⅳ 1820年代 1830年代
1840年代
- 1842年11月10日
ウェブスター=アッシュバートン条約により、アメリカ合衆国とイギリスがロッキー山脈より東に持っていた土地との間の境界を確定し、メイン州およびミネソタ州北東部の境界に関する論争を終わらせた。
- 1845年3月3日
フロリダ準州が合衆国第27番目の州、フロリダ州として加盟した。
- 1845年12月29日
テキサス共和国が合衆国第28番目の州、テキサス州として加盟した。1845年3月1日にアメリカ合衆国に併合されていたが、テキサスはその後も暫くは合衆国への加盟に同意していなかった。テキサス州には領有権を主張するメキシコの土地全てを含み、現在のテキサス州全域と、コロラド州、ニューメキシコ州、オクラホマ州およびワイオミング州の一部も含んでいた。テキサス州が合衆国に加盟したことで、アーカンソー州はミラー郡に対する領有権を諦めた。
- 1846年6月18日
オレゴン条約により、イギリスが所有していた土地との大陸国境として、ウッズ湖の西は北緯49度線とすることになった(バンクーバー島は含まれなかった)。オレゴン・カントリーの共同領有は終わり、アメリカ側の土地は編入され非自治的領域となった。
- 1846年12月28日
アイオワ準州の南東部が合衆国第29番目の州、アイオワ州として加盟した。準州の残りは非自治化した。
- 1847年3月13日
コロンビア特別区からポトマック川南岸の土地をバージニア州に返還した。連邦議会は1846年7月9日に返還法を成立させ、この日にバージニア州が領有を再開した。
- 1848年2月2日
グアダルーペ・イダルゴ条約で米墨戦争を終結させ、メキシコから広大な領土を獲得した。そこは現在のカリフォルニア州、ネバダ州、ユタ州の全域と、アリゾナ州の大半、およびコロラド州、ニューメキシコ州とワイオミング州の一部となっている。
- 1848年5月29日
ウィスコンシン準州の南東部が合衆国第30番目の州、ウィスコンシン州として加盟した。準州の残りは非自治化した。
- 1848年8月14日
オレゴン準州が編成され、現在のアイダホ州、モンタナ州北西部、オレゴン州、ワシントン州およびワイオミング州西部を含むことになった。
- 1849年3月3日
ミネソタ準州が編成され、今日のミネソタ州およびノースダコタ州とサウスダコタ州の東部を含むこととされた。
1850年代
- 1850年9月9日
1850年協定の一部としてメキシコ割譲地が分割された。割譲地の西部は合衆国第31番目の州、カリフォルニア州として加盟を認められた。残りはユタ準州とニューメキシコ準州として編成された。両準州にはテキサス州がその負債の見返りとして連邦政府に譲渡した土地も含まれた。テキサス州とメキシコ割譲地の一部は非自治的領域となった。テキサス州北部の小さな帯状地はどの州や準州にも公式に割り当てられないという特異な状況が現出した。ここは中立帯あるいは「無人の土地」と呼ばれるようになり、現在ではオクラホマ州のオクラホマ・パンハンドルに相当する。ニューメキシコ準州は現在のアリゾナ州とニューメキシコ州の大半と、コロラド州の南部およびネバダ州南端から構成された。ユタ準州は現在のユタ州、ネバダ州の大半およびコロラド州とワイオミング州の一部から構成された。
- 1853年3月2日
オレゴン準州からワシントン準州が分離され、現在のワシントン州、アイダホ州北部およびモンタナ州西端から構成されることになり、オレゴン準州は現在のオレゴン州全域、アイダホ州南部およびワイオミング州の一部ということになった。
- 1853年12月30日
ガズデン購入により、現在のアリゾナ州とニューメキシコ州の南端部に相当する地域がニューメキシコ準州に付加された。
- 1854年5月30日
カンザス準州とネブラスカ準州が編成された。残る非自治的領域はインディアン準州と呼ばれるようになった。カンザス準州は現在のカンザス州とコロラド州東部で構成され、ネブラスカ準州は現在のネブラスカ州とコロラド州、モンタナ州、ノースダコタ州、サウスダコタ州およびワイオミング州の一部で構成された。インディアン準州はオクラホマ州東部に相当する。
- 1858年5月11日
ミネソタ準州東部が合衆国第32番目の州、ミネソタ州として加盟した。準州の残りは非自治的領域となった[12]。
- 1859年2月14日
オレゴン準州西部が合衆国第33番目の州、オレゴン州として加盟した。準州の残りはワシントン準州に割り当てられた。