第2次百年戦争
第2次百年戦争(だいにじひゃくねんせんそう、Second Hundred Years' War, 1689年 - 1815年)は、ヨーロッパ内の国境紛争と王位継承、主に北アメリカ大陸を舞台として南アジア・アフリカをふくむ海外植民地の争奪、そして、それらに起因するアメリカの独立・フランス革命・ナポレオン帝国を背景にイギリス(イングランド)とフランスの間で繰り広げられた一連の戦争の総称である。イギリスの歴史家J.R.シーリーの命名による[1]。一連の戦争の結果、イギリスが優位に立ち、後世「パクス・ブリタニカ」と呼ばれる繁栄の時代の基礎を築いた[注釈 1]。
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呼称の由来
以上の2点により、中世末の英仏百年戦争(1337年 - 1453年)になぞらえて呼称される。両者はともに、特定の戦争を指すのではなく、当事国同士の一連の戦争、あるいは戦争と休戦とを繰り返している状態そのものを指す呼称である点でも共通している。イギリスの歴史家ジョン・ロバート・シーリーが『英国膨張史』(1883年)のなかで名づけたのが始まりだとされている[1]。
「第2次百年戦争」の時期はまた、イギリスが覇権を築いていった一連の戦争を含む100年あまりの期間という意味で、「長い18世紀」と称されることもある[2]。
前史