ゲーム理論 Ⅹ【下】1950年代・1960年代

 

 

1970年代

ジョージ・アカロフ

1970年代にはジョージ・アカロフによる中古車市場の逆選択の分析やマイケル・スペンスによる労働市場におけるシグナリングの分析によって「情報の経済学」と呼ばれる分野が誕生した。当初これらのトピックはゲーム理論に直接結び付いたものではなかったが、ゲーム理論は情報の経済学に格好な言語を提供し、その発展の原動力となった。例えば、シグナリングゲームにおいて複数の均衡が存在することが知られているが、ゲーム理論は均衡選択の問題に本質的な役割を果たしている。情報の経済学は今日でも経済学の中心的話題のひとつであり、アカロフやスペンスらは2001年にノーベル賞を受賞している[11]

1971年にはモルゲンシュテルンの尽力によって初のゲーム理論専門誌 International Journal of Game Theory が発刊され、ゲーム理論が一つの専門分野として国際的に認知されるようになった[293]1970年代のゲーム理論研究は展開形非協力ゲームへの関心が高く、1967年に発表されたゼルテンの論文で提唱された不完備情報ゲームの研究が進められた。1974年9月2日から17日間に渡って開かれたゼルテン主催のゲーム理論ワークショップで初めてチェーンストア・パラドックスが報告され、それ以来部分ゲーム完全均衡限定合理性展開形ゲーム戦略形への変換などといったテーマが盛んに研究されるようになった[294]

ハルサニとゼルテンはゲーム理論を経済学の市場理論だけでなく生物学政治学哲学倫理学論理学などさまざまな分野への応用を試みており、この頃からゲーム理論が広範な分野へ応用されるようになった。例えば、1978年6月13日から6月16日までの四日間に渡ってウィーン高等研究所で開催されたコンファレンスにおいて浜田宏一が国際金融制度と金融政策について二段階ゲームを用いて分析した研究を報告している[295][296]

政治学への応用としてはニューヨーク大学の政治学教授スティーブン・ブラームスが、国際関係論や投票理論に関する Game Theory and Politics (1975年)、政治におけるさまざまなパラドックスを研究したParadoxes in Politics (1976年) などの著書を刊行しており、1977年には「ゲーム理論と政治学」と題したシンポジウムが米国マサチューセッツで開かれている[297]1979年には「紛争についてのコンファレンス」がニューヨークで開かれ、シュービックによる非協力ゲームの応用研究などが報告されている[298]。これらコンファレンスにはハルサニ、ルーカス 、ロス (2012年ノーベル賞受賞)、シュービックといったゲーム理論家も多く参加した[299]

哲学分野では、1971年に出版された哲学者ジョン・ロールズの著書『正義論』がミニマックス原理などのゲーム理論の影響を強く受けており、ハルサニを中心とするゲーム理論の専門家からは強く批判されることとなった[300]。1970年代にハルサニはゲーム理論的見地に基づいた功利主義倫理学の研究を多く残している[301][302][303]

生物学の分野では、イギリスの生物学者ジョン・メイナード・スミス進化ゲームと呼ばれる分野を創始し、進化生物学がゲーム理論によって分析されるようになった[304]。1950年代末にランド研究所の実験によって合理性を前提としない限定合理性の理論への関心は存在していたが、従来のゲーム理論の枠組みでは合理性の前提を緩めることは難しかった。しかし、生物学の中から誕生した進化ゲームが経済学に応用されることによって限定合理性を研究する機運が1980年代以降高まっていくこととなる[305][306]

1980年代

ゲーム理論が誕生した1940年代当初には、経済学界内外からのゲーム理論に対する期待は異常に高かったものの、1960年代や1970年代前半までに学界からのゲーム理論への関心は薄まっていた[260]。しかし、1980年代に入るとゲーム理論は一般的な分析手法として広く認められるようになり、適用される分野が飛躍的に拡大した。1980年ドイツボンハーゲンにおいて開催されたゲーム理論セミナー以降は特に非協力ゲーム理論の研究が進展し、相対的に経済分析への応用における協力ゲーム理論の重要性はかなりの程度低下し、中には協力ゲームなどは無意味だという経済学者も現れたという[307][41]

1981年に出版されたニューヨーク大学ショッター教授の著書 The Economic Theory of Social Institutions を皮切りに、ゲーム理論を用いた社会制度の研究が盛んに行われるようになる。スタンフォード大学青木昌彦教授は The Co-operative Game Theory of The Firm (1984年) においてゲーム理論を応用した「比較制度分析」と呼ばれる分析手法を確立した[308]。さらに、ダグラス・ノース1993年ノーベル賞受賞)らを中心として制度をゲームのルールとみなした経済史研究も行われるようになった(新経済史学派)。

1984年に発表されたロバート・アクセルロッドの研究[309]を契機にシミュレーションを用いた繰り返しゲームの研究が流行した。アクセルロッドはコンピュータプログラムで書かれた「囚人のジレンマ」ゲームの戦略を公募してそれらをトーナメント形式で戦わせたところ優勝した「しっぺ返し戦略 (tit-for-tat strategy)[† 53]」が善良・報復・寛容・明快を兼ね備えており人間の協力全般にとって適切なパラダイムである、と主張した[311]。これ以降、「さまざまな戦略をコンピュータ上で戦わせどれが生き残るかをシミュレーションする」という一群の研究が進化生物学社会学政治学コンピュータ科学などで行われるようになった[312]。しかし、アクセルロッドの研究は非常に具体的な設定の下で一つの経験則を得たに過ぎず理論的な根拠が全く示されていないため、理論経済学者やゲーム理論家からの評判は芳しくなかったという[312]。例えば、数学者兼経済学者のケン・ビンモアAxelrod 1984の書評においてアクセルロッドの分析や主張がゲーム理論に対する無理解に基づいているとして批判している[311]。また、「しっぺ返し戦略」は進化ゲーム理論における進化的に安定な戦略evolutionary stable strategy)の基準を満たしていないため、長期的にはこうした戦略は生存不可能な可能性が高いことが明らかになっている[313][314]。「しっぺ返し戦略」がアクセルロッドのコンピュータ・シミュレーション・トーナメントで優勝できたのは、それに参加したプログラムの種類が限定されていたからに過ぎないのである[315]。さらに、プレイヤーの行動の計算コストを課すことによって限定合理性をモデル化すると、アクセルロッドのコンピュータ・シミュレーション・トーナメントの枠組みにおいてすら「しっぺ返し戦略」が最適戦略でなくなる場合があることが示されている[316]

1980年代中頃からは、環境問題のゲーム理論による研究も盛んになり、それら研究は Valuation Method and Policy Making in Environmental Economics (1989年) やGame Theory and the Environment (1998年) といった論文集にまとめられている[317]

経営学の分野では1981年に Competitive Strategies: An Advanced Textbook in Game Theory for Buisiness Studies という教科書が出版されて以来[318]、積極的にゲーム理論が研究に応用されるようになった。また、1980年代にはジャン・ティロル (2014年ノーベル賞受賞) によってゲーム理論が産業組織論に応用されるようになり、ゲーム理論の教育や研究を行う経営学や商学関連の研究者も増えてきた。これらの分野は「企業経済学」、「組織の経済学」等と呼ばれることもある[319]

会計学の分野ではシャープレー値や仁などの解概念が費用分担問題に用いられるようになった[319]

政治学の分野では1980年代後半から公共選択論に最新の非協力ゲームが応用されたことによりめざましい学術的成果を生み出し、現実の政策形成に一定の説明力を発揮するようになった[320]

1980年代に非協力ゲームが急速に発展し、協力ゲームを中心とした従来のゲーム理論が扱うことのできなかった経済学、政治学オペレーションズ・リサーチ哲学社会学心理学生物学といったさまざまな分野に非協力ゲーム理論が応用されるようになり、ゲーム理論の学際的な基礎理論としてに重要性が一層多くの研究者に認識されるようになった。こうしたゲーム理論の発展を背景として、1987年10月1日から1988年8月31日までの期間、西ドイツBielefeld大学のZentrum für interdisziplinäre Forschungにおいて学際研究プロジェクト「行動科学におけるゲーム理論」が開催された[33]。このプロジェクトはボン大学のゼルテンを中心に企画され、西ドイツ、ベルギーイギリスイタリアスイスオーストリアイスラエルアメリカカナダ日本などから約50名の研究者が招聘され、非協力ゲームによってさまざまな分野が学際的に研究された[33]