ベトナム戦争 ⅡⅩ:20年戦争:北ベトナム軍の全面攻撃
サイゴン撤退作戦
国家安全保障会議でサイゴン撤退について討議するアメリカ軍のジョージ・S・ブラウン統合参謀本部議長とネルソン・ロックフェラー副大統領(左)
海中へ投棄される南ベトナム軍のベルUH-1ヘリコプター
ヘリコプターでアメリカ軍の航空母艦に脱出した南ベトナム人
「統一会堂」と改名された元南ベトナム大統領官邸
この時すでに南ベトナム軍の前線は各方面で完全に崩壊し、それとともに北ベトナム軍によるサイゴン市内の軍施設などの重要拠点への砲撃や、北ベトナム空軍機による爆撃などが続いたために、サイゴン市内の一部は混乱状態に陥った。
その後間もなく、四方からサイゴン市内へ向けて進軍した北ベトナム軍の地上部隊により、南ベトナム軍のタンソンニャット空軍基地も完全に包囲され、攻撃を受けて滑走路や各種設備が破損したために、南ベトナム軍輸送機の離発着は完全に途絶し、北ベトナム軍と交戦中の南ベトナム地上軍への援護も不可能になった。
サイゴン陥落は避けられない状況となり、アメリカ政府および軍は4月28日に国家安全保障会議を開き、アメリカ軍や大使館職員・連邦政府の関係者と在留アメリカ民間人、アメリカと関係の深かった南ベトナム政府上層部のサイゴンからの撤退方法についての緊急討議を行い、サイゴンからの撤退作戦である「フリークエント・ウィンド作戦」を発令した。
作戦開始後、市内のアメリカ政府やアメリカ軍、南ベトナム軍の関連施設からアメリカ軍や政府の関係者と、グエン・バン・チュー元大統領やグエン・カオ・キ元首相をはじめとする南ベトナム政府上層部やその家族、在留アメリカ人らが、サイゴンの沖合いに待機する数隻のアメリカ海軍の空母や大型艦艇に向けて南ベトナム軍や米軍のヘリコプターや軍用機、小船などで必死の脱出を続け、空母の甲板では、立て続けに飛来するヘリコプターを着艦するたびに海中投棄し、次に飛来するヘリコプターや軍用機の着艦場所を確保した。
フリークエント・ウィンド作戦に関するアメリカ軍の公式記録では、述べ682回にわたるアメリカ軍のヘリコプターによるサイゴン市内と空母との往復が記録され、1300人以上のアメリカ人が脱出に成功、その数倍から十数倍の南ベトナム人も脱出した。なお作戦中に海中投棄されたアメリカ軍や南ベトナム軍のヘリコプターは45機に達した。
しかし、在外日本人は、アメリカ人や南ベトナム人の撤退を行うことだけで、アメリカ軍が手一杯なことや、日本が直接参戦していないことなどから、たとえ日本人が南ベトナムに残っても、北ベトナム政府や市民などから迫害を受ける可能性が低い事などを理由に、アメリカ軍のヘリコプターに乗ることを拒否された。
また、自衛隊の海外派遣が禁じられていたために、欧米諸国のように政府専用機[125]や軍用機による自国民の救出活動が全く行われず、日本国政府の依頼による日本航空の救援機も運航されなかったため、在外日本人が混乱下のサイゴン市内に取り残された[102]。
また、かつてはアメリカ軍とともにベトナム戦争に参戦していた韓国人は、「アメリカ人や南ベトナム人の退去活動で手一杯であること」を理由に、日本人と同じくアメリカ軍機による撤退への同行が拒否され、その結果、駐南ベトナム特命全権大使以下の在留韓国人の殆どが、反韓感情が根強く残るサイゴンに取り残された。残留韓国人は、国際赤十字指定地域とされた、サイゴン市内の病院に避難し、迫害を受けることはなかった[102]ものの、その後しばらく韓国に帰国することができなかった。
サイゴン陥落と南ベトナム崩壊