ベトナム戦争 Ⅹ:20年・195511~:北爆ローリング・…

 

経過

ダナンに上陸するアメリカ海兵隊

南ベトナム解放戦線の拠点へ投下されたナパーム弾

米軍上陸

ジョンソン大統領はトンキン湾決議に基づき、1965年3月8日海兵隊3,500人を南ベトナムのダナンに上陸させた。そしてダナンに大規模な空軍基地を建設した。アメリカはケネディ政権時代より南ベトナム軍を強化する目的で、アメリカ軍人を「軍事顧問及び作戦支援グループ」として駐屯させており、その数は1960年には685人であったものをケネディが15,000人に増加させ、その後1964年末には計23,300名となったが、ジョンソンはさらに1965年7月28日陸軍の派遣も発表し、ベトナムへ派遣されたアメリカ軍(陸軍と海兵隊)は1965年末までに「第3海兵師団」「第175空挺師団」「第1騎兵師団」「第1歩兵師団」計184,300名に膨れ上がった。こうして地上軍の投入により戦線が拡大していく[注釈 4]

韓国軍・SEATO連合軍の参戦

1961年11月クーデターにより政権を掌握した朴正煕国家再建最高会議議長はアメリカを訪問するとケネディ大統領に軍事政権の正統性を認めてもらうことやアメリカからの援助が減らされている状況を戦争特需によって打開することを意図してベトナムへの韓国軍の派兵を訴えた[108]。ケネディ大統領は韓国の提案を当初は受け入れなかったが、ジョンソン大統領に代わると1964年から段階的に韓国軍の派兵を受け入れた[108]

1965年から1972年にかけて韓国では「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」をスローガンに官民挙げてのベトナム特需に群がり三星現代韓進大宇などの財閥が誕生した[108]。アメリカはその見返りとして、韓国が導入した外資40億ドルの半分である20億ドルを直接負担し、その他の負担分も斡旋し、日本からは11億ドル、西ドイツなどの西欧諸国からは10億3千万ドル調達した。また、戦争に関わった韓国軍人、技術者、建設者、用役軍納などの貿易外特需(7億4千万ドル)や軍事援助(1960年代後半の5年間で17億ドル)などによって、韓国は漢江の奇跡と呼ばれる高度成長を果たした[109]

1965年8月13日に、韓国国会がベトナム派兵に同意する[110]。1965年9月から10月にかけて大韓民国陸軍陸軍首都師団[111](通称:フィアース・タイガー、猛虎師団、[112])の1万数千兵、および大韓民国海兵隊第2海兵旅団(通称:ブルー・ドラゴン、青竜師団)もベトナムに上陸した[112]。1966年9月3日には同陸軍第9師団(通称:白馬部隊)[注釈 5]もベトナムに上陸する[114]

タイ王国フィリピンオーストラリアニュージーランドなどの反共軍事同盟東南アジア条約機構(SEATO)の加盟国も、アメリカの要請によりベトナムへ各国の軍隊を派兵したが、韓国軍はSEATO派兵総数の約4倍の規模で、アメリカ以外の国としては最大の兵力を投入した。これは、米韓の協定により、派兵規模に応じた補助金と対米移民枠を得られたこと、さらに韓国自体が、北朝鮮や中華人民共和国などの軍事的脅威を身近に感じていたため、共産主義勢力の伸張に対して強い危機感を持っていたことが理由である。

この5カ国の中で最も積極的に戦ったのは韓国軍とオーストラリア軍だった[115]。両軍とも共産主義の拡大が自国の存亡に繋がるという強い危機感を持っていた。厭戦気分が蔓延したアメリカ軍とは対照的に、韓国軍、オーストラリア軍はパリ協定まで、高い士気を維持した[115]。韓国軍は南ベトナム解放民族戦線と北ベトナム正規軍に対して、それぞれ1:10、1:5という損害比で両勢力を圧倒し[115]、オーストラリア軍も激戦を繰り広げ、ベトナムに派遣した54両のセンチュリオン戦車全てが損害を受けるなどした[115]。一方で韓国軍とオーストラリア軍の戦死率は5カ国の中で、それぞれ1番目と2番目に高かった[115]

参戦した韓国軍・SEATO連合軍兵士数の推移[4]
  1964年 1965年 1966年 1967年 1968年 1969年 1970年 1971年 1972年
韓国軍 2000 20620 25570 47830 50000 48870 48540 45700 36790
オーストラリア軍 200 1560 4530 6820 7660 7670 6800 2000 130
タイ軍   20 240 2200 6000 11570 11570 6000 40
フィリピン軍 20 70 2060 2020 1580 190 70 50 50
ニュージランド軍 30 120 160 530 520 550 440 100 50
アメリカ政府による韓国軍への給料支給

1966年にフィリピンマニラで行われたSEATO会議に出席した南ベトナムのキ首相、オーストラリアのホルト首相、韓国の朴大統領、フィリピンのマルコス大統領、ニュージーランドのホロヨーク首相、南ベトナムのチュー大将、タイ王国のキティカチョーン首相、アメリカのジョンソン大統領(左から)

韓国軍はアメリカ政府より支給を受けていた。韓国軍兵士は米軍兵士の約半額の60ドルを月々に支給されていた[112]。韓国軍兵士は戦地ベトナムで月に平均10ドルを消費し、残額を母国へ送金していた[112]。そうした母国への送金は家族だけでなく韓国政府の国庫を潤していると韓国政府が発言したことも当時報道されている[112]

以下、1965年から1973年までの年度別海外勤務手当て支給総額及び国内送金額(韓国国防部2005年発表)[116]

年度 手当支給額(ドル) 韓国への送金額(%) ベトナムでの消費額(%)
総計 235,568,400 195,110,800(82.8%) 40,839,000(17.3%)
1965年 3,059,100 1,797,300(58.8%) 1,261,800(41.2%)
1966年 19,757,600 14,882,200(75.3%) 4,875,400(24.7%)
1967年 33,906,800 27,689,200(81.7%) 6,217,600(18.3%)
1968年 36,599,500 29,409,800(80.4%) 7,189,700(19.6%)
1969年 36,982,700 31625800(85.5%) 5,356,900(14.5%)
1970年 36,128,600 29,372,900(81.3%) 6,755,700(18.7%)
1971年 35,668,000 30,294,600(84.9%) 5,373,400(15.1%)
1972年 29,519,200 25,710,700(87.0%) 3,808,500(13.0%)
1973年 3,946,900 4,328,300(109.6%) -