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中国の歴史 ![]() 現在の馬王堆漢墓 馬王堆漢墓(まおうたいかんぼ)は、湖南省長沙にある紀元前2世紀の墳墓。利蒼とその妻子を葬る。1972年の発掘時、利蒼の妻の遺体が未だ生けるが如き状態だったことで知られる。また副葬品にも貴重な工芸品や帛書が含まれ、中国古代史研究にとって多くの重要な資料を提供した。 馬王堆漢墓は湖南省長沙市の中心から東へ約8キロメートルの位置にある。五代十国時代に長沙で楚王として割拠した馬殷の墓といつからか誤って伝えられ、これが「馬王堆」という名の由来になった。1951年、中国科学院考古研究所の調査によって漢代の墓葬群と認定され、1956年以降は湖南省文物保護単位に指定された。 1971年末、近隣の者が東側の丘に墓坑を発見し、翌1972年1月から湖南省博物館と中国科学院考古研究所が中心となり、全国から学者を集め大規模な発掘が行なわれた。やがて出土した棺から生けるが如き婦人の遺体が発見されると、100社にのぼるマスコミが競ってこれを報道し、周恩来総理から一般庶民までがこの「西漢女尸」(前漢の女性遺体)の発見に沸き立った。……(本文を読む) |
中国の芸術 王 羲之(おう ぎし、Wáng Xīzhī、303年 - 361年)は、中国東晋の政治家・書家。字は逸少。右軍将軍となったことから世に王右軍とも呼ばれる。本籍は琅邪郡臨沂(現在の山東省臨沂市)。魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族、琅邪王氏の出身である。 王羲之は、書の芸術性を確固たらしめた普遍的存在として、書聖と称される。末子の王献之も書を能くし、併せて二王(羲之が大王、献之が小王)の称をもって伝統派の基礎を形成し、後世の書人に及ぼした影響は絶大なものがある。その書は日本においても奈良時代から手本とされており、現在もその余波をとどめている。 王羲之の書の名声を高めたのは、唐の太宗の強い支持と宋の太宗により編纂された『淳化閣帖』の影響が大きい。王羲之の作品としては、行書の『蘭亭序』が最も高名であるが、王羲之は各体を能くし、『書断』では楷書・行書・草書・章草・飛白の5体を神品としている。中国では多芸を重んじる傾向があり、王羲之の書が尊ばれる要因はここにある。『古今書人優劣評』に、「王羲之の書の筆勢は、ひときは威勢がよく、竜が天門を跳ねるが如く、虎が鳳闕に臥すが如し」と形容されている。……(本文を読む) |
中国の地理 中国丹霞(ちゅうごくたんか)は中華人民共和国の世界遺産の一つである。「丹霞」は中国南部に残る赤い堆積岩が織り成す地形で、それが顕著に見られる6箇所9件が自然遺産として登録された。 丹霞地形(中国語 : 丹霞地貌)とは、中国南部に見られる切り立った断崖などを伴う赤い堆積岩の地形である。「丹霞地形」の名前は直接的には丹霞山に由来し、その山々の断崖が丹(あか)い霞のように見えたことによる。地理用語としての「丹霞」は、中国では1920年代以降に地質学者たちによって使われるようになったという。 丹霞地形は中国南部に多く残るが、世界遺産に登録されたのは以下の6箇所9件である。これらの丹霞地形は形成期(幼年期、壮年期、老年期)に違いがあり、それぞれの特色をよく表している。うち泰寧の丹霞、竜虎山、丹霞山の3箇所は世界ジオパークにもなっている。……(本文を読む) |
中国の食文化 ![]() 重慶火鍋 火鍋(ひなべ、フゥオグゥオ)は、中国人の食文化において広く知られる鍋料理。中国大陸に限らず、台湾、シンガポールなどの華僑社会でも食され、その他日本やアメリカなど世界の中華街や、火鍋専門店などの中華料理店においても提供されている。 火鍋の起源は、内モンゴルの羊肉料理として発祥したものであるとか、磁器口の船乗りが牛・豚の内臓に塩・山椒振りかけて完成した事により広まった「重慶火鍋」、「四川火鍋」などの名称で火鍋料理が知られるように、中国四川省を発祥としているとも言われるが、はっきりとはわかっていない。……(本文を読む) |