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現代思想

曖昧さ回避 この項目では、思想潮流について説明しています。雑誌については「現代思想 (雑誌)」をご覧ください。
「アテナイの学堂」の一部 (ラファエッロ・サンティオ、1483-1520)
西洋哲学史
西洋哲学
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関連項目

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東洋哲学
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西洋文明 · 西洋世界

 

現代思想(げんだいしそう、: contemporary philosophy)は、20世紀半ば以降にあらわれた西洋哲学思想のこと。大きく英米圏の分析哲学とドイツ・フランス圏の大陸哲学に分けられる。

英米圏では、論理実証主義を経て分析哲学が発展し、これは人工言語学派日常言語学派に分かれた。ドイツでは、フッサール現象学ディルタイ解釈学、その2つを時間論の上で統合しようと試みたマルティン・ハイデッガーの現象学的解釈学、基礎的存在論が多くの学問分野に影響を与えた。

フランス現代思想では、ドイツ発祥の現象学を承継する過程で実存主義が興った。その後、ソシュールを祖とする構造主義が興り、実存主義は廃れていったが、さらにこれに対する反動としてポスト構造主義が興るという大きな流れがある。このような大きな流れはやがて相互に影響を与え始める。

さらにドイツでは、ヘーゲルの弁証法を基礎に、マルクス主義哲学と科学を統合し、非合理的な社会からの人間の解放を目指すフランクフルト学派批判理論が、分析哲学を実証主義であると批判して対立していたが、戦後いわゆる「実証主義論争」を経て、英米圏の分析哲学の研究成果を受け入れる流れができた。逆に、英米圏でも、大陸哲学の研究成果を受け入れ、ポストモダンの潮流を受けたカルチュラル・スタディーズポストコロニアリズムなどの新たな学問の流れがでてきた。

 

目次

 

現代思想の先駆者たち

ニーチェ

マルクス

フロイト

(画像左から)大陸哲学の先駆者とされるニーチェマルクスフロイトの3人

19世紀後半から20世紀前半にかけての数人の哲学者・思想家が現代思想に大きな影響を与えた人物として列挙される。20世紀半ば英米哲学では分析哲学が支配的になるが、ヨーロッパでは、ゴットロープ・フレーゲバートランド・ラッセルルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインらを先駆者とする論理実証主義の運動が始まっていた。論理実証主義に拠れば、論理学と数学の真理はトートロジー(常に真となる論理命題)であり、科学の真理は実験的に検証できる。倫理学美学神学形而上学および存在論の主張を含め他の主張はどれも意味がないとした(この理論は検証理論と呼ばれた)。アドルフ・ヒトラーナチス党の勃興により、多くの実証主義者がドイツからイギリスやアメリカに逃れ、その後の年月ではアメリカにおける分析哲学の支配を補強することになった。

大陸哲学では、ニーチェマルクスフロイトの3名がよく名前が挙がるが、他には、フッサールソシュールなども重要視される[1]

分析哲学と大陸哲学の分岐

カント

フレーゲ

フッサール

(画像左から)カントフレーゲフッサール。この3人が分析哲学と大陸哲学の分岐点を作った。

サイモン・クリッチリーによれば、分析哲学と大陸哲学の分岐地点は二つあるとされている。一つはイマヌエル・カントの哲学に対する二通りの反応と評価であり、英米哲学は『純粋理性批判』の成功した「認識論」に、大陸哲学は『判断力批判』の「実践」にそれぞれ強い関心を持った。

もう一つはフランツ・ブレンターノらの心理主義に対する二人の哲学者の異なった反応で、そのうちの一人は大陸哲学のフッサールであり、もう一人は分析哲学のフレーゲである。この二人からそれぞれの哲学の流れは分岐し、ダメットはそれをフッサールを黒海に注ぐドナウ川に、フレーゲを北海に注ぐライン川に喩えている。フッサールの影響は今日大陸哲学のみならず、英米哲学にも広く及んでいるが、フッサールは、数学・論理学の基礎を生物学的・心理学的な過程に求めようとする心理主義、殊に意味・思想までも表象ととらえることに強く反対していたが、この点はフレーゲも同様であった。しかし、両者は、意味・思想という論理的なものと心理的なものを厳密に区別するという点において共通していたが、フレーゲは、心理的なものから論理的なものの領域を守るという関心から、言語表現の内包(意味)が外延(指示対象)を決定すると考えて現在の分析哲学の基礎を作った。これに対し、フッサールは、心理的なものと論理的なものがどのように相互に影響を与えるのかという関心から、ノエシス / ノエマの関係の解明に向かい、現象学を創始することになったのである。

哲学の専門職化

フッサールとフレーゲは、ともに数学基礎論というきわめて専門的・技術的な議論にかかわりながら、自己の思想を確立していったのであるが、当時は、アインシュタインの相対性理論や量子力学の著しい発達に象徴されるように「科学の世紀」と呼ばれるほど科学の発達した時代であった。ドイツでは、教育と研究の一体化という革命的な発想に従ってベルリン大学が創設されると、イギリス・フランスに近代化の遅れるドイツの産業形成を支え、歴史学、社会学、教育学、民俗学など新たな学問分野が次々と生じ、数学、物理学、化学など既存の学問分野も急速な発展を遂げ、今日の大学の基本的な諸分野がほぼその骨格を現すことになった時代でもあった。教養としての学問から職業としての学問という転換を果たしたドイツの大学は、各国のモデルとなり、各国で専門職としての学者集団が生じたのである。このような当時の背景事情は、哲学にも当然のことながら大きな影響を与え、従来哲学の一分野であった論理学・数学・心理学などなどが独立の学問分野として分離していっただけでなく、歴史学の影響を受けて、厳密な批判を経た資料を用いて研究する哲学史が哲学の主要な一分野とされるようになると、例えば、ヘーゲルのように、一生をかけて自分の哲学体系を一人で完成させるというようなことは不可能か著しく困難になり、多数の学者が共同で、ヘーゲル全集を発行するというように哲学も専門職化していった。また、哲学も当時の科学の発展に伴い、学際的になり、科学哲学など新たな哲学分野の発達などに応じて、その内容も専門的で技術的なものになっていったのである。このような傾向は、特に英米哲学における分析哲学において顕著になり、この傾向を徹底させた人工言語学派を生んだ。