ヨーガⅣ チベット・夢ヨガ・日本・ハタヨーガ(体操)・パワ…
論争・ネガティブな側面
オウム真理教
オウム真理教には、ヨーガがきっかけになって入信した信者が多かった。教祖の麻原彰晃は、阿含宗での修行ののちに『ヨーガ・スートラ』に出合い、『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』、『ゲーランダ・サンヒター』、『シヴァ・サンヒター』(いずれも佐保田鶴治訳)と教典をもとに独学し、空中浮揚するまでに至ったという。新宗教を研究する沼田健哉は、このように正規のグルにつかずに修行をしていたことで、いわゆる「魔境」に陥った可能性を指摘し、のちに様々な問題を生ぜしめた要因のひとつであると述べている[13][14]。オウム真理教ではヨーガによるクンダリニー覚醒の実践が中心的な位置を占めており、沼田は、「ヨーガによる自己変容としての解脱体験こそ、80年代前半の麻原の宗教的アイデンティティの柱の一つとみなしうる」と述べている。本来ヨーガや瞑想によって常人にない能力を得ることは否定されてはいないが、オウム真理教の信者には超能力を獲得することを主な目的とする者も少なくなかった。[13]
ヨーガや瞑想などの修行法、断食などの苦行も、本来は真の自己を見出すためのセルフ・コントロールの一種である。沼田は、破壊的カルトと呼ばれるような新宗教の教団で行われている行為と、東洋の伝統的なヨーガや瞑想などの修行法は似ている部分が少なくないが、行われるコンテクストが異なっていると反対の結果を生じうると述べている。またオウム真理教にみられる強固な教祖 = グル崇拝は、麻原や幹部による洗脳やマインドコントロールをより容易にしたことを指摘している。[13]
スキャンダル
- アヌサラ・ヨーガ
ビクラム・チョードリー
近年では、巨大なヨーガスクールで、カリスマ指導者が生徒や関係者に不適切な性関係を強いたり、性儀式を行うといったスキャンダルが相次いでいる。現代ハタ・ヨーガの一種であるアヌサラ・ヨーガ(英語版)の創始者ジョン・フレンド(英語版)は、ウイッカのカブンで魔術的な性関係を持ち(セックス・ヨーガを含むタントラ・ヨーガを指導していたと言われるが、正統なものではないと言われる)、既婚者を含む関係者や生徒と不適切な性関係を持っていると告発された。このスキャンダルで教師は次々辞職し、ジョン・フレンドは指導者の地位を退いている。また、被雇用者の年金等の雇用条件に関する違法行為の疑惑がある[63][62]。
- ビクラム・ヨーガ
詳細は「ビクラムヨガ#ビクラム・チョードリー」を参照
現代ハタ・ヨーガ、ホット・ヨーガの一種であるビクラム・ヨーガの創始者であり、巨大ヨーガスクールを経営し世界的にフランチャイズ展開しているビクラム・チョードリー(英語版)は、生徒からセクハラ、パワハラ、性犯罪で民事告訴されている[65][66]。
著名なヨーガ指導者
ヨーガにおけるグルとは、普通の指導者ではなく、魂の教師そのものである。グルと弟子の関係は、弟子にとれば人生の全てである。神そのものが真のグルだが、グルはそれが具現したものととらえられる。
- ラーマクリシュナ(1836年 - 1886年)
- ヴィヴェーカーナンダ(1863年 - 1902年)
- シルディ・サイ・ババ( - 1918年)
- ブラマーナンダ(1863年 - 1922年)
- オーロビンド・ゴーシュ(オロビンド・ゴーシュ、1872年 - 1950年)
- ラマナ・マハルシ(1879年 - 1950年)
- パラマハンサ・ヨーガーナンダ(英語版)(1893年 - 1952年)
- シヴァーナンダ(英語版)(1887年 - 1963年)
- 中村天風(1876年 - 1968年)
- ゴーピ・クリシュナ(1903年 - 1984年)
- 沖正弘(1921年 - 1985年)
- 佐保田鶴治(1899年 - 1986年)
- ダンテス・ダイジ(1950年 - 1987年)
- ティルマライ・クリシュナマチャーリヤ(英語版)(1888年 - 1989年)
- バグワン・シュリ・ラジニーシ(バグワーン・シュリー・ラジニーシュ、1931年 - 1990年)
- シュリ・チンモイ(1931年 - 2007年)
- マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー(マハルシ・マハーシュ・ヨーギー、1917年 - 2008年)
- サティヤーナンダ(英語版)(1923年 - 2009年)
- インドラ・デーヴィー(英語版)(1923年 - 2009年)
- サティヤ・サイ・ババ(1926年 - 2011年)
- ナーラーヤン内垣(1924年 - 2012年)
- B.K.S.アイアンガー(B.K.S.アイヤンガール、1918年 - 2014年)
- 本山博 (1925年 - 2015年)
- 松島茂雄(1924年 - 1982年)
存命人物
- シュリ・シュリ・ラビ・シャンカール(1956年 - )
- 川上光正(1938年 - )日本人初 ヨガ・サムラット
- 成瀬雅春(1946年 - )
理論家
- 山口恵照(1918年 - ) - 古代インド哲学、サーンキヤ哲学研究者
脚注
^ 禅宗の坐禅とヨーガの瞑想は、思想・方法とも、必ずしも同じというわけではない。
補注
- ^ 唯物論のチャールヴァーカと祭事に専念するミーマーンサー学派を除く[2]。
- ^ ただし、日本語の長母音はサンスクリット語の三倍母音なので長くのばしすぎるのも問題である。インド人の発音を聞くとヨゥガと言っているように聞こえる。
- ^ 『マヌ法典』では、女性はどのヴァルナ(身分)であっても、輪廻転生するドヴィジャ(二度生まれる者、再生族)ではなく一度生まれるだけのエーカージャ(一生族)とされていたシュードラ(隷民)と同等視され、女性は再生族である夫と食事を共にすることはなく、祭祀を主催したり、マントラを唱えることも禁止されていた[21]。
- ^ インド研究家の伊藤武によると、ヨーギニーという言葉は本来、たんなる女性ヨーガ行者というよりも、尸林(英語版)(シュマシャーナ)で土俗信仰の女神を祀り特異な儀礼にたずさわった巫女たちを指す言葉で、魔女の意味合いを帯びるようになった。その多くは被差別カーストの出身であった[22]。母系制社会を形成していた彼女たちは、中世インドの後期密教の時代にヨーギニー(瑜伽女)またはダーキニー(拏吉尼)と呼ばれた[23]。彼女らは男性行者を導く師の役割を演じることもあり[24]、その時代の大成就者(英語版)たちの伝記である『八十四成就者伝』には悟りを得た女性が複数登場する[25]。後期密教の性的儀礼における男性行者の相手の女性はムドラー(印契)とも呼ばれた[26]。『ハタヨーガ・プラディーピカー』は、ヴァジュローリー・ムドラーでラジャス(性分泌物と解される)を再吸収し、保持することのできる女性をヨーギニーと呼んでいる[27]。
- ^ 伊藤雅之はこれを1920年代から1930年代のこととしているが、シングルトン 2014によれば、少なくともクリシュナマチャーリヤに関して言えば1930年代以降のことである。伊藤論文では西洋式体操から編み出された近代ハタ・ヨーガをひとりクリシュナマチャーリヤのみに帰しているような記述となっているが[8]、シングルトンによれば同時代のスワーミー・クヴァラヤーナンダとシュリー・ヨーゲーンドラも重要であり、クヴァラヤーナンダの活動はクリシュナマチャーリヤに先行している。また、伊藤は近代ハタ・ヨーガにはインド伝統武術に由来する要素もあるとしているが、シングルトンの著書にはそれを示唆する記述はない。
- ^ アシュタ=8つ、アンガ=枝、支分、部門。
- ^ 伊藤武の解釈するところによると、『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』のいうラージャ・ヨーガはハタ・ヨーガの奥義を意味し、ラヤ・ヨーガ(クンダリニー・ヨーガ)のことを指している[43]。
- ^ 印度哲学研究者の山下博司によると、これは通俗語源的な解釈である。
- ^ ゴーラクシャを山下は10-12世紀[47]、伊藤は12世紀前半の人物とする[48]。
- ^ 日本ヴェーダーンタ協会での表記。ヴィヴェーカーナンダの講演集の日本語版に『ギャーナ・ヨーガ』というタイトルのものがある。