瞑想【前半】Ⅱ 様々な宗教・宗派における瞑想 インド発祥…
弊害・危険性
瞑想のもたらす心理学的作用が報告されるようになり、健康管理、心理治療、教育などの分野に応用されるようになったが、研究の増加につれて、その弊害も報告されるようになった。安藤治は、臨床場面で安易に瞑想を適用ないし「処方」することが孕む大きな危険性を直接的に示すものであり、非常に重要な臨床的報告であると述べている[1]。弊害としては、時折起こるめまい、現実との疎外感、それまでになじみのなかった思考、イメージ、感情などが引き出され、それらに敏感になることによってもたらされる苦痛(妄想的な思考にとらわれる、不安に付きまとわれる頭痛、消化器系の不調など)、また、不安、退屈、憂鬱感、不快感、落ち着きのなさの増大などが報告されている[1]。瞑想によりそれまで保たれてきた防衛のメカニズムが崩され、普段は意識にのぼってこない幼児期の体験や不快な体験の記憶、身体の痛みが浮上することがよくある[1]。またかつて精神病を体験した人の場合、症状が再発する可能性があり、心理学的な知識のない瞑想指導者がさらに集中的な瞑想をするようにすすめ、症状が一層悪化する可能性もある[1]。心理学的知識のない指導者・熟練していない指導者の指導を受ける場合、大きな危険がある。
長期のリトリート(集中合宿)の場合、瞑想体験が進化し内面への意識の集中が深まり、日常生活から意識が遠ざけられることになるが、そこから日常生活に戻る際に障害がみられることがある[1]。その症状は精神医学で離人症と呼ばれる症状に酷似しており、長期瞑想者のほとんどがこの離人症を体験しているともいわれ、実際に精神科を受診せざるをえなくなったケースもある[1]。
臨床的見地から、瞑想は精神病や境界例、慢性のうつ病、片頭痛やレイノー病などには安易に適用すべきではないことを示す研究もある[1]。
これらの研究は、少なくとも瞑想には不向きな人がいること、瞑想を治療として処方することは安易にはできないこと、様々な瞑想伝統が示すように瞑想には十分な準備が必要である可能性などを研究者たちに示した[1]。
瞑想修行においては、生のすべてが意味を失い、深い苦痛や絶望、重苦しい抑うつ感にさいなまれる「魂の暗夜」という状態がある[1]。(通常のうつ病的状態とは異なり、決して自殺に追い込まれることはないという[1]。)スピリチュアリティへの強い欲求や志は、本質的に自己の責任の放棄という要素があるため、外的対象に依存しがちになり、スピリチュアル・アディクション(中毒)に陥る可能性が常に強くある[1]。特に現実逃避の傾向のある人が瞑想などのスピリチュアルな実践を行う場合、安易に中毒が起きやすく、また抜け出しにくい。自己がしっかりと確立される前の人が行う場合も、現実逃避の温床になりやすく、スピリチュアル・アディクションを招きかねない[1]。
瞑想修行がすすみ、集中的瞑想の段階に入ると、通常では体験しないさまざまな心的要素が次々現れる。多くの瞑想伝統では、悟りに至る過程の一現象であり、「副作用」に過ぎないものとされるが、瞑想者に非常に大きな衝撃を与える体験であり、道を踏み外したり病理的な事態に陥るといったことが知られている[1]。欧米ではまだこの段階に達している瞑想者は少ないため、研究にも混乱が見られるが、感情的・身体的エネルギーの激発(体の一部が突然動く、急に脊髄が燃えるように感じられて体中が熱くなる、身体各部に強烈な痛みを感じる、身体各部の緊張が急に解き放たれる、様々な色の光に襲われる、強いエクスタシーを伴って身体全体が震える、複雑で劇的な身体の動きが数日~数年続く、など)があり、ヒンドゥー教で「クンダリニーの覚醒」と言われる状態と思われる[1]。また瞑想集中期には、身体が大きくなったように感じたり重く感じる、また体外離脱や幻聴などの知覚の変容、急に強い絶望感、喜び、深い悲しみ、恐怖に襲われるといったこともある[1]。感情が大きく揺れて制御できなくなる、過去世のようなヴィジョン、見たことのない情景が現れるなど、古代的・元型的イメージが浮かび上がり、これに伴う強烈な光や色に圧倒されて、精神のコントロールができなくなることさえあるという[1]。瞑想熟練者によるきめ細やかな指導がない場合、病理的な状態に陥る可能性もある[1]。指導を無視したり正しい瞑想法を行わずに、完全に精神病的状態になり、薬物治療が必要になったケースも知られている[1]。
集中的瞑想が深まると、すばらしい喜び、至福の感情、魅惑的な恍惚感、強烈な解放感が湧き上がることがあり、これを瞑想の最終的ゴールと間違えることが多い[1]。シュード・ニルヴァーナ(偽涅槃)と呼ばれており、強烈な幸福感を呼び覚ますため、一度体験するとそれにしがみついて手放そうとしなくなったり、悟りの境地に達したと感じて有頂天になることがあるという[1]。多くの瞑想伝統には、こうした体験を評価する洗練されたシステムがあり、シュード・ニルヴァーナには距離を持って接するよう指導される。
また日本の禅にも、修行の途中で様々な精神的・身体的不調をきたす状態が修行者たちに知られ、「禅病」と呼ばれてきたが、詳細な記録は少ない[1]。江戸時代の名僧白隠は、若い時に過酷な修行で禅病に悩まされ、経緯や症状、その克服法「内観の法」「軟酥の法」を『夜船閑話』に書き残している。
脚注
参考文献
- 安藤治 著 『瞑想の精神医学 トランスパーソナル精神医学序説』 春秋社、2003年 『羅和辞典』 研究社。
- 現代瞑想の世界 総解説 (自由国民社 1982年)
- http://www.youtube.com/watch?v=yEdCXRGJuM8
- ダグラス・E・コーワン、デイヴィッド・G・ブロムリー 著 『カルトと新宗教 アメリカの8つの集団・運動』 村瀬義史 訳、キリスト新聞社、2010年
- Maharishi Mahesh Yogi on the Bhagavad-Gita: A Translation and Commentary, Chapters 1-6 (Penguin Books; Reprint版 1990年)
- 瞑想 アメリカ国立衛生研究所 「統合医療」情報発信サイトの翻訳 厚生労働省「統合医療」に係る情報発信等推進事業
- サム・パーニア『科学は臨死体験をどこまで説明できるか』三交社
- CG123: Common mental health problems: identification and pathways to care (Report). 英国国立医療技術評価機構. (2011-04). Appendix.E-Glossary.
- Kuyken W, Hayes R, Barrett B, Byng R, Dalgleish T, Kessler D, Lewis G, Watkins E, Brejcha C, Cardy J, Causley A, Cowderoy S, Evans A, Gradinger F, Kaur S, Lanham P, Morant N, Richards J, Shah P, Sutton H, Vicary R, Weaver A, Wilks J, Williams M, Taylor RS, Byford S (2015). “Effectiveness and cost-effectiveness of mindfulness-based cognitive therapy compared with maintenance antidepressant treatment in the prevention of depressive relapse or recurrence (PREVENT): a randomised controlled trial”. Lancet 386 (9988): 63–73. doi:10.1016/S0140-6736(14)62222-4. PMID 25907157.
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- 『解説ヨーガ・スートラ』、平河出版社。佐保田 鶴治 (著)。ISBN 978-4892030314
- 『魂の科学』、たま出版。スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ著。ISBN 978-4884811105
- 『原始仏典』、筑摩書房。中村元編。ISBN 4-480-84074-5
- 安藤治 著 『瞑想の精神医学 トランスパーソナル精神医学序説』 春秋社、2003年
関連項目
ジャイナ教徒の瞑想
- 黙想
- 祈り / 霊操
- キリスト教神秘主義 / 不可知の雲(英語版)
- 三昧 / ヨーガ / マントラ / ヤントラ
- 止観 / ヴィパッサナー瞑想 / サマタ瞑想
- 坐禅、経行、禅
- 観想 / 念仏
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