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佐々一族はみんな犯罪者その①-極右組織、熊本国権党の創設者の佐々友房
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日本には、近現代史において、一貫して、汚い裏の仕事を請け負ってきた
ゴロツキ一族が存在する。その名を佐々一族と言う。あさま山荘事件を担当した
佐々淳行(伝説の警視正)の一族である。今から佐々一族の悪事を紹介します。
トップ・バッターは佐々淳行の祖父の佐々友房(熊本国権党の創設者)。まず、
佐々友房は、1877年10月に除族・懲役10年の刑を言い渡されて宮崎の
監獄に収監されている『罪人』です。宮崎の監獄から出獄した佐々友房は、
1879年に現在の熊本県立済々黌高等学校の前身に当たる同心学舎を創立して
いますが、後にこの熊本県立済々黌高等学校からは、赤軍派(極左テロ組織)の
メンバーで赤軍派よど号グループ(極左テロ組織)のメンバー・テロリストである
田中義三(赤軍派のメンバー、赤軍派よど号グループのメンバー・テロリスト)が
卒業しています。赤軍派よど号グループの凶悪犯罪者は、よりによって、佐々淳行の
祖父である佐々友房が創立した学校から誕生したわけです。しかも、確率論的に言
って、
それがどれくらいの奇跡であったかを述べておきます。赤軍派よど号グループの
人数は9人です。そして、全国の高等学校の数は、2005年の時点で5428校でした。
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ですので、2005年の時点の高等学校数で考えると、赤軍派よど号グループの
メンバーを輩出する確率は、5428分の9です。これは偶然か?偶然なわけないだろ!!
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しかも、後の項で詳しく述べますが、佐々淳行の父親の佐々弘雄と重信房子
(赤軍派の幹部、赤軍派日本赤軍の女首領)の父親の重信末夫の2人が、
四元義隆(エセ右翼)を通して親友であったという驚愕の事実を踏まえて
考えると、これは偶然ではないでしょう。ちなみに、名前が似ていて間違え
やすいから書いておきますが、重信房子が率いて海外でテロ行為に
明け暮れた赤軍派の分派を赤軍派日本赤軍(極左国際テロ組織)、
同じく赤軍派の下部組織で国内で内ゲバ殺人に明け暮れた組織を
赤軍派連合赤軍(極左テロ組織)という。ただし、赤軍派よど号グループ、
赤軍派日本赤軍、赤軍派連合赤軍の3団体は、共に、赤軍派の
2次組織であるので、これらの4団体のメンバーは幾重にも重複して
いるので、取り分け、別々に考える必要性はないです。よって、
佐々淳行の率いる腐敗警察が、赤軍派のテロリストによるよど号の
ハイジャックを幇助して、成功させた可能性は高いです。また、
北朝鮮へ渡った田中義三が、ちょくちょく、東南アジア諸国に
出没しては、偽ドル札であるスーパーKと北朝鮮産の覚醒剤を
絡めた闇の商取引を行っていたことは記憶すべき情報でしょう。
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田中義三は、タイのバンコクで、オウム真理教(カルト宗教)の
大幹部の早川紀代秀(オウム真理教の最高幹部、統一教会の信者)と
頻繁に接触していました。早川紀代秀は、オウム真理教に入会する
前は、統一教会(韓国のカルト宗教)の信者だったそうです。そう言えば、
佐々淳行の直属の上司に当たる後藤田正晴(警察庁長官、内閣官房長官)の
大甥である後藤田正純が、統一教会の下部団体であるUPF主催の文顕進
(統一教会の教祖である文鮮明の息子)の昼食会に出席していますが、これも
有名です。また、後藤田正晴が内閣官房長官として仕えた中曽根康弘
(ゲイの内閣総理大臣)は、統一教会のイベントに何度も祝電を送っています。
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中曽根康弘の指南役は、佐々弘雄の親友の四元義隆(エセ右翼)でした。
佐々淳行(伝説の警視正)の祖父が創立した高等学校から、赤軍派のメンバーで
赤軍派よど号グループのメンバー・テロリストである田中義三が卒業生として
名を連ねている事実は記憶すべきことでしょう。さらに、佐々一族が支配する
熊本県には、もう1人の赤軍派よど号グループのメンバー・テロリストである
岡本武(赤軍派のメンバー、赤軍派よど号グループのメンバー・テロリスト)が
います。岡本武の方は、熊本県立熊本高等学校を卒業後、左翼テロリスト
として、佐々淳行が警察組織を指揮して鎮圧に乗り出したことになっている
東大安田講堂事件に参加しています。岡本武が熊本県立熊本高等学校に在籍して
いた頃の熊本県は、佐々一族が、熊本県の政界と教育界に君臨し、さらに、
熊本県屈指の新聞社である熊本日日新聞社と、熊本県のテレビとラジオを
放送する熊本放送を支配して、熊本県のメディアを牛耳っていました。
佐々家が支配し、佐々淳行の監視網が徹底していたであろう熊本県から、
たった9人しかいないよど号グループから、2人も輩出していることは
注目すべき事実でしょう。熊本県は43ある都道府県の内の1つです。
この驚くべき確率に、佐々淳行の父親の佐々弘雄と重信房子(赤軍派の
幹部で日本赤軍の女指導者)の父親の重信末夫の2人が、四元義隆
(エセ右翼)を通して親友であったという事実を併せて考えてもらいたいです。
そもそも、東大安田講堂事件が起きた東京大学の元祖学生左翼グループの
新人会に所属していた極左活動家は、佐々淳行の父親の佐々弘雄です。
熊本日日新聞社は、1987年には、かつて、熊本南警察署の庁舎が
あった敷地に、日本で初めてとなる新聞博物館を開設しているわけ
ですが、これは、佐々家が熊本日日新聞社のオーナーであり、
佐々家の御曹司である佐々淳行が公安警察の首領であったことから
実現したことでありました。話を戻します。監獄から出獄した佐々友房は、
同心学舎を創立して熊本県の教育界に進出し、さらに、1889年1月になると、
極右団体である熊本国権党を創設して政界に進出して、熊本県の教育、
政界、財界を支配する熊本エスタブリッシュメントの一画になりました。
佐々友房の後を引き継いで熊本国権党の党首となったのが、佐々家とは
親戚関係(佐々淳行の伯父{佐々友房の長男}の佐々信一の妻の原冬子の
兄妹の原董治{安達董治}の養父、ちなみに、原冬子と原董治には原義龍
というもう1人兄弟がいますが原義龍の息子の原勇策は東芝の取締役
として原発利権に食い込んでいる)にある安達謙蔵(乙未事変のテロリスト、
熊本国権党の2代目党首、内務大臣、国民同盟の創設者)でした。
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