ヨーガⅡ「ヨーガ」という言葉・歴史・古典ヨーガ・後期・近現…
種類
伝統的ヨーガ
ラージャ・ヨーガ (राज योग)
詳細は「ラージャ・ヨーガ」を参照
パタンジャリの彫像(ハリドワール)
「ラージャ」は「王の」という意味である。「マハー(偉大な)・ヨーガ」とも呼ばれる。根本教典はパタンジャリの『ヨーガ・スートラ』(紀元後2-4世紀)。第2章29節は、ヨーガには以下の8部門があると説いている。
その第2段階(ニヤマ)のうち、苦行、読誦、自在神への祈念の3つをクリヤー・ヨーガ(行事ヨーガ)という(『ヨーガ・スートラ』2:1)[39]。クリヤーは行為の意で、『ヨーガスートラ』でのクリヤー・ヨーガは準備段階に当たる。
これら8つの段階で構成されることから、ラージャ・ヨーガをアシュターンガ・ヨーガ(八支ヨーガ)[† 7]とも言う。
ヴィヴェーカーナンダは19世紀末にジュニャーナ、バクティ、カルマ、ハタを四大ヨーガとして、その総称をラージャ・ヨーガとしたが[40]、後にラージャ・ヨーガは第5のヨーガを指す言葉とされるようになった[41]。今日ではラージャ・ヨーガは『ヨーガ・スートラ』に示される古典ヨーガと同義とされる[42]。ただし、ラージャ・ヨーガという言葉の文献上の初出はハタ・ヨーガの教典『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』にある[† 8]。
ハタ・ヨーガ (हठयोग)
詳細は「ハタ・ヨーガ」および「#現代のハタ・ヨーガ」を参照
ハタ・ヨーガの練習をする人々
ナーディー、チャクラ、クンダリニーの図
「ハタ」は「力」(ちから)を意味する。教義上、「ハ」は太陽、「タ」は月をそれぞれ意味すると説明されることもある[† 9][44]。アーサナ(姿勢)、プラーナーヤーマ(呼吸法)、ムドラー(印・手印や象徴的な体位のこと)、クリヤー/シャットカルマ(浄化法)、バンダ(制御・締め付け)などの肉体的操作により、深い瞑想の条件となる強健で清浄な心身を作り出すヨーガ。その萌芽は8-9世紀[45]ないし9-10世紀頃[46]に遡り、13世紀のゴーラクシャナータによって確立したとされる[45][† 10]。『ハタ・ヨーガ』と『ゴーラクシャ・シャタカ』という教典を書き残したと言われているが、前者は現存していない[48]。インドにおいて社会が荒廃していた時期に密教化した集団がハタ・ヨーガの起源と言われる場合もある。悟りに至るための補助的技法として霊性修行に取り入れるならば、非常に有効であるが、理解の偏ったものは肉体的操作ばかりに重きがおかれ、秀逸なハタ・ヨーガの可能性を極端に狭めることとなる。欧米など世界的に学習されているハタ・ヨーガの大半は、伝統的なハタ・ヨーガとは別系統である。アーサナが中心で、身体的なエクササイズの側面が重視されている。(→#現代のハタ・ヨーガ)
ラヤ・ヨーガはハタ・ヨーガの奥義とされ、これをクンダリニー・ヨーガともいう[49]。クンダリニー・ヨーガの行法はハタ・ヨーガからタントラ・ヨーガの諸流派が派生していくなかで発達した[50]。ムーラーダーラに眠るというクンダリニーを覚醒させ、身体中のナーディーやチャクラを活性化させ、悟りを目指すヨーガ。密教の軍荼利明王は、性力(シャクティ)を表わすクンダリー(軍荼利)を神格化したものであると言われることもある[51]。別名ラヤ・ヨーガ。クンダリニーの上昇を感じたからヨーガが成就したというのは早計で、その時点ではまだ「初期」の段階にすぎない。格闘家に愛好者が多い「火の呼吸」はクンダリニー・ヨーガの側面もあるがイコールではない。チベット仏教のトゥンモ(内なる火)などのゾクリム(究竟次第)のヨーガや、中国の内丹術などとも内容的に非常に近い。
クンダリニー・ヨーガを実践するにあたっては重大な注意点がある。クンダリニーが一旦上昇を始めると、本人の力だけではそれをコントロールできなくなることがある。具体的には、クンダリニーが上昇して頭部に留まってしまい、それを再び下腹部に下げることも、頭部から抜けさせることもできなくなり、発熱や頭痛、またそれが長期に渡ると、脊髄を痛めたり、精神疾患を起こすことさえある。
したがってこのヨーガは、自己流または単独実践は避け、しかるべき師に就いて実践すべきであるとされている。「しかるべき師」とは、たんに知識豊富で多少の呼吸法ができる師のことではなく、自身がクンダリニーの上昇経験を持ち、かつそれを制御できる師のことである。そうでなければ上昇を始めた他人(弟子)のクンダリニーの制御は不可能に近い。さらに、師に就く場合、その師がどの師からの指導を受け、またその先先代の師はどの師なのか、少なくとも2、3代先の師まで辿れる師に就くことが望ましい。しかしながらそうした人物に出会うのは難しい。また、自らクンダリニーを制御できることを標榜する人物は、その時点で、クンダリニーに対する執着を棄てきれず、神に対して敬虔なヨーガの精神に反する生き方をしていると世間にアピールするようなものであり、そうした人物を師と仰ぐのは危険とする意見がある。しかしながら、クンダリニー云々を標榜できる人物でなければ制御は難しいとする意見もある。
このヨーガは段階が進むほど師を必要とするという意見があり、特にクンダリニーの体内自覚を感じてから先は、必ず師の指導の元にヨーガを実践すべきとされる。一方で、ある程度の段階に達すると師をそれほど必要としなくなるという意見もある。
クンダリニー・ヨーガの効果は、現代のアーサナが中心のハタ・ヨーガの効果のように身体が柔らかくなったり、以前に比べて健康になったという、割合穏やかな効果に比べ、クンダリニーの上昇に伴うチャクラの開眼という劇的なものがあり、自分が超能力者や超人になったかのような“錯覚”を覚えてしまうことが往々にしてある。その故に、一度効果(クンダリニーの体内自覚)が出始めると、他のヨーガに比べて非常にのめり込みやすいという特徴がある。
クンダリニーの自覚が修行の完成と錯覚するのは危険である。クンダリニーの自覚と修行者の人格的向上とは無縁といえる。クンダリニーの自覚に修行の目的が置かれてしまっては“主客逆転”、“本末転倒”である。手段が目的にならぬよう修行者は努めねばならず、本来の修行の「目的」を達するならば、そうしたクンダリニーをはじめ、チャクラなど肉体次元、生気次元へのこだわりを無くすことに努めることが先決とされる。[要出典]また、生気レベルの覚醒それ自体は霊格の向上をもたらさず、あくまでもカルマ・ヨーガの実践や世俗との係わりの中での「人格」の向上や、その他のヨーガを総合的に実践することにより、霊格は向上していくものと心得るべきである。[独自研究?]
カルマ・ヨーガ (कर्म योग)
日常生活を修行の場ととらえ、善行に励みカルマの浄化を図るヨーガ。見返りを要求しない無私の奉仕精神をもって行う。カルマ・ヨーガの教典は『バガヴァッド・ギーター』。
バクティ・ヨーガ (भक्ति योग)
クリシュナが『バガヴァッド・ギーター』をアルジュナに説く場面
神への純粋な信愛を培い、グルがいる場合はグルを、その他の普遍的な愛の対象がある場合はその対象を、超意識(宇宙的な意識)の化身とみなし、全てを神の愛と見て生きるヨーガ。 古典文学『マハーバーラタ』(マハーバーラタム、महाभारतम्)にある有名なクルクシェートラの戦いで、クリシュナが勇者アルジュナに説いたとされる『バガヴァッド・ギーター』(भगवद्गीता=神の詩)は、バクティ・ヨーガやカルマ・ヨーガの本質を謳っているため、ヴィシュヌ(ナラヤン)の転生として実在したとされるクリシュナが開祖とも言える。また、近代の大覚者ラーマクリシュナとシヴァーナンダ、現代のサッティヤーナンダは、現代においてはこのバクティ・ヨーガこそ最も必要であると説いている。
このヨーガを主軸に据えるグルの団体において、弟子・信者はグルの指導に帰依することになるが、サティヤ・サイ・ババやシュリ・チンモイは、弟子の病気などのカルマを引き受けることも行っていたとされる。宗教団体の中には、インド人の信頼できるグルの指導を受けずに、このヨーガを取り入れている団体が多いが、自らのエゴが消滅できていないことを理解できない団体運営者によって独自の解釈がされており、大変危険である。間違った「自称グル」(大抵そのグルのグルが誰であるか、公表できない)を師と仰ぐと、一生を棒に振ることにもなりかねないため、事前に十分調査をし、常に一般常識に照らし合わせることが重要とされる。
このヨーガの行者をバクタ (भक्त) という。
ジュニャーナ・ヨーガ (ज्ञान योग)
ラマナ・マハリシ
高度な論理的熟考分析により、真我を悟るヨーガ。20世紀を代表する聖者の一人であるラマナ・マハルシは、このヨーガで大悟したとされているが、一般的に難易度の高いヨーガと云わざるを得ない。だが、巧く実践可能であるならば最も高度なヨーガとなりうるとの意見もある。ギャーナ・ヨーガとも表記される[† 11]。 このヨーガの行者はジュニャーニ (ज्ञानि) と呼ばれる。
マントラ・ヨーガ (मंत्र योग)
聖音オーム
マントラを使うヨーガ。ガーヤトリー・マントラをはじめ、マハー・マントラ、ハレークリシュナ・マントラ等、主にサンスクリット語のインヴォケーション・マントラ(神を讃えるマントラ)などが広く用いられている。
師から弟子へと贈られるパーソナル・マントラ(最大でも4音節)は、個人別で大変差がある霊的成長を目的に、師によって特別にデザインされたアクシャラ音の強力な組合せである。そのマントラの振動は、練習者の肉体と霊体を浄化するだけでなく、その個人に必要な特定のチャクラを覚醒させる大きな手助けとなる。ヨーガの霊的求道者が、一生を通して毎日行う、大変重要なヨーガ練習の基本。
音(ヴァイブレーション=振動)のヨーガである、ナーダ・ヨーガ(नादयोग)の一種。
マントラに簡単なメロディをつけ、コール・アンド・レスポンス(初めに一人が一節を歌い、次に参加者が同様に歌う)方式で、複数人から大勢で歌うキールタン(कीर्तन)は、マントラの振動エネルギーをキルタニストが増幅させ、その場に大きなエネルギー・フィールドを構築する。キルタニストと自主的な参加者だけでなく、その場に居合わせた者まで浄化する優れた練習法。
キールタンと混同されやすいものにバジャン (भजन) がある。バジャンを歌うシンガーは確かに何某かの影響を受けるが、居合わせた者は、普通の音楽を楽しむ程の影響しか受けられないばかりでなく、バジャン・シンガー自身、聴衆の前で歌を披露することによって、自分のエゴを増幅させない注意が常に必要である。
古代のヨーガのテクニックによって悟りを得たブッダを開祖とする仏教のうち、日本の密教でいう真言や梵字は、このサンスクリット語の音を、多くは最終的に中国語に訳したものが、大陸を通って日本に輸入されているもので、輸入した日本人とそれを継承した日本人の外国語に対する聴力と発音能力の限界からか、本来のアクシャラ(サンスクリット語の各1音)の音とは異なる場合も多い(例:般若心経の「ギャーテー、ギャーテー」は「ジャーテー、ジャーテー=行って、行って」)。
現代では、ヒンドゥー教系新宗教とも言われる超越瞑想で、マントラを心の中で唱えて雑念を追い払う瞑想(超越瞑想)が行われる。
ジャパ・ヨーガ (जप योग)
基本的には、数珠を用いて定数のマントラを唱えるヨーガ。パーソナル・マントラの日々の練習は、この代表的なもの。目的に応じて、その他のマントラでも、もちろん行われる。
ジャパ用の数珠は、その練習に精妙なエネルギーを利用するので、ヨーガ的には天然素材であるが、キリスト教徒やイスラム教徒、仏教徒のジャパ用のロザリオ、念数などは、一部ガラス製のものも見受けられる。ジャパ練習のためには数珠の素材は大変重要で、目的や伝統、教義等によって異なる。トゥルシー聖樹、ルドラクシャ(菩提樹の実)、白檀、紫檀、水晶等が一般的。ビーズの総数はヨーガ的な伝統では108個であるが、半分数の54個、4分の1数の27個の簡易タイプも普及している。
紙に、定数のマントラの文字を書いてゆくものを、リキタ・ジャパという。