彡(゚)(゚)「世界各国の旧君主家の方々」【下半】CPP=…
61: 名無しさん@おーぷん 2017/04/07(金)00:48:55 ID:YpD
彡(-)(-)「そして1946年9月にブルガリアの政体を共和制にするか今まで通り君主制のままにするかを問う
国民投票が共産党主導で行われる事になるんやが・・・」
彡(●)(●)「実はこの国民投票、違法なんやわ」
彡(-)(-)「政体を問う国民投票は国会の許可が無い限り開催できない。その国会の許可を取り付けれるのは
国王のみと憲法で定められていたんや。」
彡(-)(-)「ただ国王がそれをできるのは18歳以上と規定されとったんやけども、それでも共産党が勝手に国民投票を
ゴリ押しして開ける訳ではないというのは理解してほしいで
実際に国民投票の情報を秘密裡に掴んだイギリスが文書で共産党に突っ込んでるンゴ」
彡(゚)(゚)「とにもかくにも共産党は1946年7月の時点で9月8日にに国民投票を開く事を決定して・・・」
彡()()「徹底的に王室に対する悪質なプロパガンダを展開したンゴ。」
(´・ω・)「やっぱりな♂」
彡()()「当時はラジオは普及されとらんかったしネットやテレビは当然なかった。せやから王室に対する悪評は
あっという間に伝搬し、9月8日の国民投票の結果は・・・」
彡(。)(;)「投票した国民の約95.6%_92%あるいは97%以上とも言われている_は共和制に賛成し、
ブルガリアの君主制は廃止されることになったンゴ
もっとも、ソ連の援助の下に票が操作されたという報告があるで」
彡()()「また上記したように過去の閣僚は逮捕され、処刑された議員も数多くおった。
それらには王党派も数多くおったんや。そういう事情もあってか、
ブルガリアに存在していた全ての政党は君主制廃止を支持してたんや
せやから最初から出来レースやったんやろうなぁ」
(´。ω゚`)「」
62: 名無しさん@おーぷん 2017/04/07(金)00:49:35 ID:YpD
彡(。)(;)「9月15日にブルガリアは人民共和国になった事を宣言。
イオアンナ太王妃は16日に王室の構成員、つまりシメオン陛下と姉のマリア・ルイザ殿下を連れて
イスタンブールを経由し太王妃の父のイタリア太王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世がいる
エジプトのアレクサンドリアに亡命したンゴ」
(エジプトに亡命なさるシメオン陛下ら)
彡(。)(;)「太王妃は持参したスーツケースに二つのコピーフィルムを入れとった
夫のボリス3世の葬儀の映像とボリス3世の即位25周年の記念式典の映像や・・・」
(´;ω;`)「少し泣く」
彡(゚)(゚)「エジプトに亡命後、シメオン国王陛下はアレクサンドリアのヴィクトリアカレッジに通われてな
ちな当時のヴィクトリアカレッジにはヨルダン国王フセイン1世、イラク国王ファイサル2世
サウジアラビア王族方、アルバニア国王レカ陛下が同級生でいらしたそうや」
(´・ω・`)「当時のヴィクトリアカレッジ凄すぎでしょ」
彡(゚)(゚)「1947年にヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は崩御し、
イオアンナ太王妃はイタリアに居住許可を願い出たりと色々行動したんやが、
ある日カイロのスペイン大使がスペインに居住しないかとスペイン政府からの話を持ちかけたんや
彡(゚)(゚)「イオアンナ太王妃は喜んでスペインへの居住を決めたんや。
スペインは兄のイタリア国王ウンベルト2世が亡命したポルトガルにも近いし、
温暖な南ヨーロッパにも心惹かれておったそうやで」
彡(゚)(゚)「そして1951年7月にシメオン陛下らはスペインの首都マドリードに居住なさったんや」
63: 名無しさん@おーぷん 2017/04/07(金)00:50:38 ID:YpD
彡(^)(^)「シメオン陛下はフランス系の軍事学校で学業を修得し1955年、18歳の時にタルノヴォ憲法に基づいて
ブルガリア国民のツァー(国王)に即位。
イタリア国王ウンベルト2世は勲一等を授け、スペイン政府からは3人の閣僚が式典に駆けつけたで
更に200人のブルガリア国民がその様子を見届けたんや」
(ツァーに即位なさったシメオン国王陛下)
彡(●)(●)「当然っちゃ当然の話やけどブルガリア政府は一人も政府関係者をよこさへんかったで」
彡(゚)(゚)「シメオン陛下は軍事学校を卒業後、ペンシルベニア州知事ジョージ・ハワード・アール3世の助言で
アメリカのヴァレイフォージ軍事学校への秋の入学を決められ、
入学までの間陛下は大学で法律と政治学を学ばれた後に」
彡(゚)(゚)「リルスキという偽名で士官候補生として軍事学校に入学されたんや。軍事学校では憲法、法律、社会学
心理学、世界史、宗教と軍事訓練を修められたで。
ちなブルガリアの国王であることは誰にも悟られなかった模様」
(軍事訓練に勤しまわれる国王陛下)
彡(゚)(゚)「軍事学校を卒業なさった陛下は再びスペインに戻られテクニカラー(フランスに本社を置く大手家電会社)の
スペイン支社の社長を務められ、またヨーロッパとアフリカの企業顧問として
銀行、ホテル、電気製品、ケータリング業界をまたいで精力的に御働きになられたンゴ」
(´・ω・`)「俺も爪の垢を煎じて飲まなきゃ」