ヒンドゥー哲学入門Ⅱ【概観】

 

サーンキヤ

詳細は「サーンキヤ」を参照

サーンキヤはヒンドゥー教の正統派哲学の中でも最古のものである[3]。サーンキヤでは「不減・不生・独立な二つの実在、つまり、1)プルシャサンスクリット語: पुरुष、自己、アトマ、魂)あるいは意識それ自体、2)プラクリティ(創造的な作用、力)あるいは根源的な有形物」の存在を前提とすることで精神と物質の二元論が支持される。非意識的な根源的有形物つまりプラクリティは三種類の傾向の諸段階から成る、つまり、活動(ラジャ)、非活動(タマ)、調和(サットヴァ)という性質(グナ)の範疇より成る。この三種類の傾向の絡み合った関係の不均衡によってプラクリティから世界が展開してゆく。このプラクリティからの展開によって、知性(ブッディ、ハマト)、自己(アハンカラ)、精神(マナ)など23種類の構成要素が生まれる[4]。サーンキヤでは、意識を持つ様々な生きた霊魂(ジェエヴァトマ)の存在が理論化された。

プルシャつまり永遠の純粋な意識は無知のために自身を知性(ブッディ)や自己(ハンカラ)と同じくプラクリティの産物だとみなすとサーンキヤでは考えられた。このため終わりなき転生と苦しみが起こることになる。しかし、プルシャはプラクリティとは別個のものだと一たび気づくと自己はもはや転生を被ることがなくなり、究極の自由(カイヴァリヤ)が起こる[5] 。

西洋の二元論は精神と肉体の区別を論ずる[6]が、サーンキヤで論じられるのは霊魂と物質の区別である[7]。アトマ(霊魂、魂)の概念は、霊魂というよりむしろ物質の縮閉線に対して考えられる精神自体や精神の概念とは区別される[4]。霊魂は世界中に充満していて、永遠で、分割不可能で、他のものに還元されることのない、純粋な意識である。魂は非物質的で、知性を超越している。本来サーンキヤは有神論的ではなかったが、ヨーガと合流することで有神論的な変種が発展した。

ヨーガ

インド哲学において、ヨーガは六つの正統学派のうちの一つの名称である[8]。ヨーガの哲学体系はサーンキヤ学派と密接に結びついている[9]。パタンジャリが解釈した限りでのヨーガ学派はサーンキヤの心理学・形而上学を取り入れているが、サーンキヤよりも有神論的である。このことはサーンキヤの25種の実在に対してヨーガでは神的存在が付け加えられていることに表れている[10][11]。ヨーガとサーンキヤの親縁性は非常に強く、マックス・ミュラーが「二つの学派は、互いを区別する俗な言い回しでは、主のいるサーンキヤと主のいないサーンキヤと呼ばれ[...][12]」と述べている。サーンキヤとヨーガの親密な関係はハインリヒ・ツィンマーによって以下のように説明されている:

「インドにおいてこの二学派は双子、あるいは一つの学問の二つの側面とみなされる。サーンキヤは人間本性を基本的・理論的に解明し、その要素を列挙・定義してそれらが結合状態(バンダ)においてどのように共同作用するかを分析し、解脱(モクシャ)において結合状態が解かれてどうなったかを記述する。対してヨーガは専ら結合状態が解かれていく動態を論じ、「分離-完成」(カイヴァリヤ)つまり解脱するための実践的方法を概説する[13]。」

ヨーガ学派の基盤となる聖典は、ヨーガ哲学の基本形を作ったパタンジャリヨーガ・スートラである[14]。ヨーガ哲学のスートラはパタンジャリに帰されているが、彼はマックス・ミュラーによれば「必ずしもスートラの著者でなかったとしてもヨーガ哲学の創始者・代表者には違いない[15]。」

ニヤーヤ

ニヤーヤ学派はニヤーヤ・スートラを基礎とする。ニヤーヤ・スートラはアクサパダ・ガウタマによって、おそらく紀元前2世紀に著された[16]。この学派による最も重要な業績はその方法論にある。ニヤーヤの方法論は論理体系を基盤としていたが、後にはインド哲学の大部分の学派が同じ方法を採用するようになった。これは、西洋の科学と哲学の関係においてアリストテレス論理学から多くのものが取り入れられたことに相当する。

にも拘らず、ニヤーヤはまぎれもなく単に論理的なだけではないものだと門人にみなされていた。彼らは、妥当な知識を得ることは苦痛から解脱するための唯一の手段だと信じ、知識の妥当な根拠を見出してそれを間違った体験にすぎないものから区別するのに苦心した。ニヤーヤによれば、知識の根拠は、認識・推論・比較・証明の四つだけ存在する。これらのうちどれかから得られた知識は妥当であるか妥当でないかのいずれかである。ニヤーヤではいくつかの妥当性の判断基準が発達した。この点で、ニヤーヤはインド哲学の中では最も分析哲学に近いだろう。後のナイヤニカは、当時まったくもって有神論でなかった仏教に対する反論のなかで、イーシュヴァラの存在とその独自性の論理的証明を与えた。その後のニヤーヤの重要な動きとしては「ナヴィヤ・ニヤーヤ」の体系がある。

ヴァイシェーシカ

ヴァイシェーシカ学派は、物質世界は何種類かの原子に還元でき、ブラフマンはこの原子の中の意識を作動させる根源的な力であるという原子論的多元論を前提とする。この学派は紀元前2世紀頃にカナーダ(あるいは「カナ・ブク」、「原子を食らう者」を意味する)によって創始された[17]ヴァイシェーシカ・スートラに含まれる主な教説は以下:[18]

  • 実在には9種類ある: 4種類の原子(大地、水、光、空気)、空間(アーカーシャ)、時間(カーラ)、向き(ディク)、無限なる霊魂(アートマン)、精神(マナ)。
  • 個々の霊魂は永遠であるが、一時的に物質的な肉体の中に充満している。
  • 七種の経験的範疇(パダールタ)が存在する— 実体、性質、活動、普遍性、特殊性、内属、非存在。

ヴァイシェーシカ学派はニヤーヤとは独立に発展したが、形而上学理論上密接に関連していたのでやがて合併することになった。しかし、ヴァイシェーシカ学派は古典的な形態においてはニヤーヤとは一つの決定的な点において異なっていた: というのは、ニヤーヤは妥当な知識の根拠として4種類のものを認めていたのに対してヴァイシェーシカは認識と推論だけを認めていたのである。

プールヴァ・ミーマーンサー

プールヴァ・ミーマーンサー学派の主な目的はヴェーダの権威を確立することであった。結果的に、後のヒンドゥー教にとってこの学派の最も価値ある業績はヴェーダを解釈する規則を定式化したこととなった。この学派の門人は、ヴェーダに対する疑問の余地のない信仰と、ヤジュニャつまり5つの供物を捧げることを提議した。彼らは世界の活動を維持するものとしてヤジュニャおよびマントラの力を信じた。この信仰を維持する上で、彼らはヴェーダの儀式を行うことから成る「ダルマ」を非常に強調した。

ミーマーンサー学派の哲学者達は他の学派の論理学的・哲学的な教説を受け入れたが、他の学派には正しい行動に気を配ることを十分に強調できないと感じていた。解脱(モクシャ)を目的とする他の学派は、解脱しようという努力自体が自由への欲望から生まれているにすぎないために、欲望や利己心からの完全な自由を得ることはないとミーマーンサー学派の人々は考えていた。ミーマーンサー思想によれば、ヴェーダの掟に一致した行動をとることによってのみ解脱が得られるという。

ミーマーンサー学派は後に意見を変え、ブラフマンと自由の教説を説くようになった。その信奉者は悟りを開くことで魂が束縛から逃れられると説いた。ミーマーンサーは西洋のインド学者からあまり関心を払われてこなかったが、その影響はヒンドゥーを実践すると感じられる、というのもヒンドゥー教のあらゆる儀式・祭礼・戒律はこの学派から影響を受けているからである。