二月革命1848年フランス革命簡略要点

 

 

臨時政府

1848年の二月革命で成立した共和政府。ブルジョワ共和派を中心に急進派、労働者代表も参加した。

 1848年2月24日、その夜遅く、共和政が宣言され、第二共和政が発足した。臨時政府の11閣僚の内、七名はブルジョア共和派(ナショナル派。ラマルティーヌら)、四名は急進共和派(レフォルム派。フロコン、ルドリュ=ロランは小市民、アルベール、ルイ=ブランは労働者)という構成であった。
赤旗か三色旗か  武装をまだ解かない労働者は、二月革命の最前線に掲げられた赤旗を、新たなフランスの国旗とすることを臨時政府に要求した。しかしラマルティーヌは雄弁をもってその要求を拒否、フランスの栄光と権威を象徴する三色旗を国旗として制定することを主張した。労働者の要求は退けられ、三色旗がフランスの国旗として正式に採用された。ラマルティーヌに代表される「秩序」と「財産」を守ることが国家の使命であるというブルジョワ民主主義が勝利を占めたかたちとなった。
二月革命の成果 「自由の木」  政府内部に激しい対立を含みながら、臨時政府は4月に第二共和政憲法制定のための男性普通選挙を約束しただけでなく、3月には植民地の黒人奴隷制を廃止(奴隷主には1人60フランを賠償した)など改革を推進し、成果を上げた。3月20日には、シャン=ド=マルスに数千人の市民が集まり、三色旗をくくりつけた「自由の木」の植樹が行われた。「自由の木」は国王専制政治を倒したパリ市民と労働者の団結の象徴であり、当時はカトリック教会の司祭もこの木をおごそかに聖別するなど、宥和の象徴でもあった。しかしその蜜月は長続きしなかった。
男子普通選挙の実施  3月5日、臨時政府は憲法制定国民議会の招集のために、男子普通選挙を実施することを布告した。これは6ヶ月以上同一市町村に居住する21歳以上のすべての男性に投票権を与えるものであり、これによって有権者は七月王制下の25万からいっきょに900万人に増加した。女性は除かれているが、「普通選挙」が実現し、市民の政治参加がルール化されたことは画期的なことであった。なお、フランスで女性に参政権が認められたのはなんと第二次世界大戦後である。この四月普通選挙が実施され、投票率84%で880名が当選した。男性普通選挙は急進的共和派、社会主義派に有利と考えられていたが、結果は両派の当選は100名に過ぎないという皮肉な結果となった。ルイ=ブランも落選してしまった。これは、急進改革派を「赤い妖怪」と恐れる地方の有産農民層がパリの過激な運動を冷ややかに見ていたためであった。
 5月に憲法制定国民議会が成立したため臨時政府は解散し、あらたに内閣にあたる5名からなる「執行委員会」を任命した。5名のうち4名はラマルティーヌらブルジョワ共和派(穏健派)で、労働者の要求に理解のある急進共和派はルドリュ=ロランただ一人となった。