社会変化と影響

ラッダイト運動における織機に対する破壊。1812年

産業革命は1760年代から1830年代までに及ぶ非常に長くゆるやかな変化であったが、産業革命以前と以後において社会の姿は激変していた。農民の比率は減少し商工業従事者が激増したが、なかでも鉱工業に従事する労働者の数が大幅に増えた。工業の比率が高まるとともに都市には多くの労働者が集住するようになり、都市化はこのころから徐々に進むようになった。生産システムも、それまでの家内制手工業工場制手工業(マニュファクチュア)に代わり、都市に大規模な工場を建設して機械により生産を行う、いわゆる工場制機械工業の割合が増加していった。ただし、イギリスにおいても工場制機械工業は1830年代を過ぎるまでは工業生産の主流とは言えず、手工業が各地に残存していたことは特筆されるべきである[18]。また、この流れの中で工業に従事する者の中でも階層分化が起き、工場を所持する産業資本家層と、その工場で働く労働者層が成立した。

産業革命の進展と、それによる工業生産の増大は工場を所持する産業資本家の勢力の増大をもたらし、参政権を求める声も高まっていった。この動きは1832年にホイッグ党のグレイ内閣が、人口の極端に少ない、いわゆる「腐敗選挙区」を廃止するとともにブルジョワ層に選挙権を拡大することにつながった。こうした動きの中で産業資本家層は旧来からの地主貴族層と結合を深め支配層の仲間いりを果たすが、一方で労働者層の不満も非常に高まっていた。労働者の生活水準は非常に低いものであり、また鉱山や工場においては児童労働などの問題も深刻だった。1811年から1812年にかけてのラッダイト運動などの抗議を繰り返すようになった。この資本家と労働者の対立は、産業化が進むにつれてより一層深刻となり、以後の世界政治の重要な底流の一つとなった。

イギリスの工業生産は最盛期の1820年代には一国で世界の工業生産の半分(50%)を占めるようになり、以後1870年代にいたるまでイギリスは世界最大の工業国でありつづけ、「世界の工場」と呼ばれるようになった[19]

産業革命期の生活水準については、常に論争の種となってきた。特に都市部においては都市開発技術の発展や衛生観念の発展などが人口増加に追い付かず、賃金レベルも低く、産業革命以前と比べて生活レベルが下がったという見解がある一方、輸送コストの低減や特に綿織物の価格の低落による衣料事情の改善などがそれをかなりの部分相殺したという見解もある。

イギリス以外への伝播

イギリスが1825年に機械輸出を解禁したことで、イギリスで産業革命がほぼ完了する1830年代に入ると、イギリス以外の国々にも産業革命が伝播するようになった。まず最初に産業革命が伝播したのはベルギーで、1830年の独立とほぼ同時に産業革命が開始されている。ベルギーが産業革命の先陣を切った理由は、南部のワロニア地域に豊富な鉄鉱石石炭の埋蔵があったことや欧州の中央に位置し交通の便に恵まれていたことなどによる。ついで、ほぼ同時期に、七月王政期に入ったフランスと、米英戦争(1812年 -1814年)後にイギリスからの経済的自立が深まり、さらに西部の開拓が急速に進みつつあるアメリカでも産業革命が始まった。イギリスとそれ以外の国々の産業革命における最大の差異は、鉄道の有無である。1825年に実用化された蒸気機関車式の鉄道は、瞬く間にヨーロッパやアメリカ諸国へと伝播し、輸送システムを一変させた。また、こうした後発諸国は先行するイギリスの技術や社会システムを取り入れて発展することができたので、より急速な成長が可能となった。ただしこれら諸国の産業革命のスピードは各国によってまちまちであり、たとえばフランスにおいては産業革命の進展は緩やかなものであり、急速に進展を始めるのはナポレオン3世による第二帝政を待たねばならなかった[20]

こうした先発諸国に対し、1834年のドイツ関税同盟成立によって広大な共通市場を得たドイツ諸邦が、1840年代から産業革命を開始した。その後、19世紀後半にはロシアイタリアスウェーデンなどの北欧諸国、さらに日本などが次々と産業革命を成功させ、工業化社会を築き上げていった。イギリス産業革命がほぼ民間資本のみによって「下から」達成されたのに対し、これら後発諸国の多くにおいては政府が積極的に工業の育成に取り組み、いわゆる「上からの」産業革命が推進されていった。工業化を成功化させた国々と非工業化社会との国力差は産業革命以前と比べて非常に大きなものとなり、この国力差を背景に19世紀後半に入ると先進工業化諸国は次々と非工業化社会へと侵攻し、植民地化していくようになった。

脚注

  1. ^ I.ウォーラステイン『近代世界システム 1730〜1840s -大西洋革命の時代-』名古屋大学出版会 1997
  2. ^ 望田幸男他編『西洋近現代史研究入門[増補改訂版]』名古屋大学出版会、1999、p.19。あるいは川北稔「環大西洋革命の時代」(『岩波講座世界歴史17』岩波書店、1997)などを参照
  3. ^ 『世界経済史』p303 中村勝己 講談社学術文庫、1994年
  4. ^ 『イギリス史10講』p188 近藤和彦 岩波新書, 2013年
  5. ^ 「興亡の世界史13 近代ヨーロッパの覇権」p183-184 福井憲彦 講談社 2008年12月17日第1刷
  6. ^ 『イギリス史10講』p189 近藤和彦 岩波新書, 2013年
  7. ^ 「火と人間」p73 磯田浩 法政大学出版局 2004年4月20日初版第1刷
  8. ^ 「火と人間」p113 磯田浩 法政大学出版局 2004年4月20日初版第1刷
  9. ^ 「ビジュアル版 本の歴史文化図鑑 5000年の書物の力」p133 マーティン・ライアンズ著 蔵持不三也監訳 三芳康義訳 柊風舎 2012年5月22日第1刷
  10. ^ 「ビジュアル版 本の歴史文化図鑑 5000年の書物の力」p132 マーティン・ライアンズ著 蔵持不三也監訳 三芳康義訳 柊風舎 2012年5月22日第1刷
  11. ^ 「火と人間」p92 磯田浩 法政大学出版局 2004年4月20日初版第1刷
  12. ^ 「火と人間」p106 磯田浩 法政大学出版局 2004年4月20日初版第1刷
  13. ^ 「舟運都市 水辺からの都市再生」p184 三浦裕二・陣内秀信・吉川勝秀編著 鹿島出版会 2008年2月20日発行
  14. ^ 『ジョージ王朝時代のイギリス』 ジョルジュ・ミノワ著 手塚リリ子・手塚喬介訳 白水社文庫クセジュ 2004年10月10日発行 p.81
  15. ^ 「商業史」p172 石坂昭雄、壽永欣三郎、諸田實、山下幸夫著 有斐閣 1980年11月20日初版第1刷
  16. ^ E.J.ホブズボーム『産業と帝国』浜林正夫他訳、未來社、1984、p.132
  17. ^ 「オックスフォード ヨーロッパ近代史」p55 T.C.W.ブランニング編著 望田幸男・山田史郎監訳 ミネルヴァ書房 2009年9月30日初版第1刷
  18. ^ 「オックスフォード ヨーロッパ近代史」p62 T.C.W.ブランニング編著 望田幸男・山田史郎監訳 ミネルヴァ書房 2009年9月30日初版第1刷
  19. ^ 『西洋の歴史――近現代編』p116 大下尚一・服部春彦・望田幸男・西川正雄編(ミネルヴァ書房, 1988年)
  20. ^ 「オックスフォード ヨーロッパ近代史」p71 T.C.W.ブランニング編著 望田幸男・山田史郎監訳 ミネルヴァ書房 2009年9月30日初版第1刷

参考文献

関連項目

ウィキブックスに産業革命関連の解説書・教科書があります。
ウィキメディア・コモンズには、産業革命に関連するカテゴリがあります。

イギリスの旗 イギリスの経済
企業
通貨・金融制度
経済史

カテゴリ