アメリカにおける寿司(SUSHI)の歴史

2017年03月16日 ι コメント(65) ι 知る ι 歴史・文化 ι #

 

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 日本料理は、ほとんどのアメリカ人にとって繊細で多彩というイメージがある。その中でも昨今、日本食の代名詞と寿司(SUSHI)である。

 現在、アメリカじゅうに4000店近くの寿司レストランがあり、年商20憶ドルを超えている。しかし、わずか50年前にはアメリカ人のほとんどは寿司のすの字も聞いたことがなかった。

 口にする日本食といえば、すき焼きか天ぷら、てりやきチキンだろう。多くのアメリカ人にとって生魚を食べるなど、考えもつかなかったのだ。

 ところがテレビや映画で話題となり、そのヘルシーさと見た目の美しさからブームに火がついた。今や寿司はアメリカ人の日々の食生活の中に入り込んでくるようになった。

 

1960年代、ジャーナリストが日本食をアピール

 1950年代、多くのアメリカ人は日本食や日本の文化にどこかしら抵抗感をおぼえていた。それは、第二次世界大戦の敵国としてのイメージがまだ残っていたせいもあったという。しかし、1960年代にはその流れが変わり始める。

 フードジャーナリストでレストラン評論家のクレイグ・クレイボーンは、当時ニューヨークタイムズのグルメ欄に記事を書いていたが、海外の食べ物がお気に入りで、ニューヨーク市内の日本レストランにも注目していた。

 1963年に2軒の日本レストランがオープンし、ニューヨーカーたちがすき焼きや天ぷらと同じように、生の刺し身や寿司を旺盛に食べているらしいと気づいて、日本食がニューヨークのトレンドだと言い放った。

 「しかし、寿司はまだ多くのアメリカ人の味覚には、ちょっとばかり斬新すぎたようだった」と彼は言っている。

 

アメリカでの日本の寿司の発祥はロサンゼルス

 トレバー・コーソンの『The Story of Sushi: An Unlikely Saga of Raw Fish and Rice』によると、アメリカでの日本の寿司の発祥はロサンゼルスだという。

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LAのリトルトーキョーにある寿司レストラン

 1966年、日本のビジネスマン、金井紀年が日本から寿司職人と自分の妻をロスに連れてきて、リトルトーキョーにある日本食レストラン「川福」でにぎり寿司バーをオープンさせた。

 レストランはにぎわったが客は日本人ばかりで、アメリカ人はいなかった。しかし、リトルトーキョーにさらに寿司が食べられる場所が増えると、アメリカで稼ぐことができるという噂が本国日本へと伝わった。

 日本での寿司作りには、厳しく制約の多い伝統やしきたりがある。これに嫌気がさしていた若い職人たちが、アメリカにやってきてロスで自立するようになったと伝えられている。

 

1970年代、ハリウッドスターたちが寿司ブームの火付け役に

 1970年、リトルトーキョーの外、20世紀フォックススタジオの隣に、寿司バーが初めて出現した。「Osho」というその店は、ファッショナブルな有名人たちを惹きつけ、俳優のユル・ブリンナーもランチタイムの常連だった。

 1970年代、ハリウッドが寿司を堪能し始めると、健康のためにアメリカ人ももっと魚を食べようという動きが、さらに寿司ブームを後押しした。

 コーソンによると、1977年、アメリカの上院が「Dietary Goalsfor the United States」という報告書を提出し、脂肪過多、高コレステロール食品は病気になる確率を増加させるとして、魚や穀物をせっせと食べるよう推奨した。

 同じ頃、専門家が悪玉コレステロールを分解するオメガ3脂肪酸が豊富な魚のメリットをうたい始めた。そのおかげで、アメリカ人たちは寿司が健康食であることに気づいたのだ。

 

1980年代、『将軍 SHOGUN』の公開で日本文化が脚光を浴びる

 それから、テレビ映画『将軍 SHOGUN』が公開されたことが、アメリカと日本の文化の関係を変えた大きな転換点となった。

 これは1975年のジェームズ・クラベルの小説をベースにしたもので、17世紀の激動の日本で政治にかかわることになったひとりのイギリス人船乗りを描いた歴史フィクションである。

 短期もので、1980年9月半ばに5夜だけ放映されただけだったが空前のヒットとなり、視聴率30%、ゴールデングローブ賞3部門、エミー賞3部門を受賞した。

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将軍 SHOGUNのワンシーン

 この作品は、全篇日本で撮影され、日本人役はすべて日本の俳優が演じたことが画期的だった。それまでのアメリカ映画やテレビでは、アジア人役は東洋系の顔立ちをしたアメリカ人俳優が演じていた(『ティファニーで朝食を』のミッキー・ルーニーなど)。

 『将軍』はこれまでのアメリカ作品とは比べものにならないほど、日本の衣装、文化、食べ物がきちんと考証された内容だった。

 以来、『将軍』とその文化的な影響力について、学術的な調査に驚くほど時間が費やされるようになり、1980年代には多くの高校の歴史の授業で鑑賞するよう義務づけられるくらいだった。

 コーソンは、『将軍』が寿司を含めた日本のもの全般に、アメリカ社会全体が興味をもつ劇的なきっかけになったとしている。

 『将軍』ブームと同時期に、日本で好景気が重なり、70年代後半から80年代はじめにかけて多くの日本のビジネスがアメリカにもたらされた。

 それにともなって、日本人が続々とアメリカに渡るようになった。そんな日本人の日本食への郷愁とアメリカ人の日本文化への傾倒が合わさって、日本食とくに寿司への関心が大いに高まった。

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『将軍』の撮影現場にて。左からリチャード・チェンバレン、島田陽子、三船敏郎

 

本格的寿司店が続々とオープン

 1984年、おそらくニューヨークでもっとも古くからやっている寿司レストラン「Hasaki/波崎」がオープンした。

 場所は、イーストヴィレッジのリトルトーキョー内東9丁目通りで、日本移民の"ボン"八木によって創設された。八木はこれまでアメリカで一般的だった、アメリカ人受けする日本食といった、焦点の定まらない店はやりたくなかった。

 「Hasaki」のオープンは、日本のアメリカへの移住ブームの結果といっていい。店は国を遠く離れた日本人移民のために、故郷の懐かしの味を提供したのだ。アメリカ人の中でも日本食への関心が高まっていたこともあって、店はずっと繁栄し続けている。

 八木は数ブロック以内にほかに12軒以上のレストランをオープンさせて、「Hasaki」の成功をさらに発展させた。それぞれ、出汁の効いたつゆに浸かったソバや、ラーメン、カレー、たこ焼き(焼いたタコボール)など、あらゆる日本食を提供している。

 彼の店はリトルトーキョー界隈の中心となり、日本人だけでなく、異文化ルーツをもつ好奇心旺盛なアメリカ人たちも惹きつけている。

 ニューヨーク以外では、八木がイーストヴィレッジに持ち込んだような多彩な日本食にお目にかかることは難しいかもしれないが、寿司レストランならどこにでもある。

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アメリカ的進化を遂げた寿司

 寿司は中華料理同様、瞬く間に広がり、どこででも食べられるようになった。だがその過程において、大胆な変化を遂げている。

 日本の伝統を知らないアメリカ人が寿司を握った結果、アメリカ独自の寿司が誕生していったのだ。独創的な料理人たちは、地元アメリカ独自の食材に目をつけた。

 コーソンは、よりアメリカ人受けする寿司、カリフォルニアロールの発明をその例としてあげる。これは1960年代にロスで考案された。

 なかなか手に入れることができない脂ののったマグロの代わりに、地元産のアボカドとカニの身を合わせた巻き寿司を作ったのだ。

 だが、真の革命はこの何年もあと、料理人がこの寿司を逆さに巻いて海苔が中に隠れるようにしたときだった。(最初に裏返しの寿司を作った天才は誰だかわからない)

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カリフォルニアロール

 カリフォルニアロールはアメリカ人になじみの食材を使い、西洋人にとっては食べるのにちょっと勇気のいるなじみのない海苔を内側に隠した画期的な寿司となった。

 ほかのアレンジ寿司の傑作例スパイシーツナロールは、1980代初頭にやはりロスで生まれた。ツナフレークとチリソースを合わせ、海苔とごはんで巻く。

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スパイシーツナロール

 今では、ツナロールはシラチャソースをかけて食べる。これはカリフォルニアのアーウィンデール郊外で生産されているチリソースだ。日本とアメリカの味がミックスした結果だろう。

 

アメリカスタイルの寿司が日本へと逆輸入

 この50年、アメリカ人がただ日本文化に魅せられるようになっただけではない。こうした感情はたいてい相互作用があるもので、アメリカスタイルのこれらちょっと変わった寿司が日本にもたらされる結果にもなった。

 東京にあるゲンジスシ・ニューヨークは、看板やメニューが一部英語で表示されていて、カリフォルニアロールはもちろん、サーモンとクリームチーズとキュウリを使ったフィラデルフィアロール、色とりどりの刺し身でくるんだカリフォルニアロールの変形版レインボーロールなどを出している。

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東京、ゲンジ寿司

 日本で生まれ、アメリカで進化してまた日本に帰ってきたハイブリッドな巻き寿司は、日本でも受け入れられつつある。日本人でも生魚が苦手な人もいるので、そういった人や若い世代には人気だ。

 今日、アメリカ人はピザを食べに行く感覚で寿司を食べに行く。心と口を大きく開けば、いまや食文化は世界に広がり、更にその地にあった進化を遂げていくのだ。

via:A Brief History of Sushi in the United States/ translated konohazuku / edited by parumo

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