ヴィシュヌのアヴァターラ

詳細は「アヴァターラ」および「ダシャーヴァターラ」を参照

ヴィシュヌの10のアヴァターラ、ダシャーヴァターラ。マツヤクールマヴァラーハヴァーマナクリシュナカルキブッダパラシュラーマ(英語版)、ラーマナラシンハが描かれる。ジャイプル、ヴィクトリア&アルバート博物館所蔵。

トリムルティの中で維持という機能を任されるヴィシュヌは、ブラフマーやヴィシュヌよりも強くアヴァターラというコンセプトに関連づけられる。ヴィシュヌのアヴァターラは善に力を与えるため、悪と戦うため、すなわちダルマを修復するために地上に現れる。ヴィシュヌのアヴァターラの持つ役割はバガヴァッド・ギーターの一節によく表れている。

実に、ダルマ(正法)が衰え、アダルマ(非法)が栄える時、私は自身を現すのである。
善人を救うため、悪人を滅ぼすため、美徳を確立するために、私はユガごとに出現する。

バガヴァッド・ギーター 上村勝彦訳、(第4章7節、8節)

ヴィシュヌのアヴァターラは、典型的な例では悪が勢力を強め宇宙を不均衡に陥れた場合など、宇宙が危機にさらされたときにはいつでも現れるとされている[85]。ヴィシュヌは知覚可能な形を持って現れ、悪をあるいはその源を破壊し、善と悪という宇宙に常に存在し続ける力の均衡を修復する[85]

ヴィシュヌ派に語られるヴィシュヌのアヴァターラのうち、最もよく知られ、よく信仰されるものはクリシュナ、ラーマ、ナーラーヤナ、ヴァスデーヴァである。これらのアヴァターラは多くの文献に語られ、それぞれの性格、神話を持ち、宗教芸術という形で表現されている[84]。たとえばクリシュナはマハーバーラタではクリシュナが、ラーマーヤナではラーマが活躍する[86]

ダシャーヴァターラ

詳細は「ダシャーヴァターラ」を参照

バーガヴァタ・プラーナではヴィシュヌのアヴァターラは無数に存在すると語られているが、中でも10のアヴァターラ、すなわちダシャーヴァターラは重要なものとして特に信仰されている。ヴィシュヌの10の重要なアヴァターラはアグニ・プラーナ(英語版)、ガルダ・プラーナ(英語版)バーガヴァタ・プラーナに語られており、39の重要なアヴァターラがパンチャラートラ(英語版)に語られている[91]。10世紀以前にはすでに重要なアヴァターラは10という数で定着していたようである[88]。
もっともよく知られる10の組み合わせがダシャーヴァターラ(10のアヴァターラの意)と呼ばれており、バーガヴァタプラーナに語られているのだが、名前の並びに違いがあり5パターン存在する。フレダ・マチェットはこのバリエーションに関して、優先順を暗示することを避けるために、あるいは抽象的な並びに定義を付けるため、解釈を制限するために編集者が意図的に変更した可能性を指摘している[92]。

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ヴィシュヌのアヴァターラ
名前 画像 描写 出典
マツヤ NarayanaTirumala10.JPG 半魚、半人のアヴァターラ。彼はヴェーダ(知識)の舟を作り、マヌ(人間の祖先)とすべての生物を救い、さらに宇宙規模の洪水から世界を救うとされる。また、アスラがヴェーダを盗み、それを破壊しようと試みるがアスラを見つけ出し、それを討ち果たしヴェーダを奪い返す。  
クールマ [注 10] Kurma at Saptashrungi.JPG のアヴァターラ。宇宙を支える亀であり、乳海攪拌の際には不死の霊薬アムリタを得るためにヴァースキを手伝った。攪拌はアムリタとともに毒も生み出したが、アスラがアムリタを奪いったためにヴィシュヌはモヒニとして姿を現す。すると皆モヒニに惚れ込み、アスラたちはモヒニにアムリタを返した。  
ヴァラーハ Badami Cave 2 si05-1588.jpg イノシシのアヴァターラ。大地の女神がヒラニヤークシャにさらわれ海の底へと連れ去られたときに彼女を追い、見つけ出して助け出した。  
ナラシンハ Deshaavathaaram4 narasimham.jpg 半獅子、半人のアヴァターラ。アスラの王ヒラニヤカシプは、いかなる人にもいかなる動物にも殺されないという特別な力を得ると、人々を迫害し始める。その中にはヒラニヤカシプの実の息子プラフラーダも含まれた。ナラシンハは独創的な方法でヒラニヤカシプの特殊能力を破り、このアスラの王を仕留めた。父であるヒラニヤカシプに異を唱えていたプラフラーダはナラシンハによって助け出される。この神話の一部はホーリー祭のバックグラウンドになっている。  
ヴァーマナ Deshaavathaaram5 vamanan.jpg 小人のアヴァターラ。アスラの王バリは不釣り合いに強大な力を得、宇宙の全土を支配し権力を濫用した。僧侶の恰好をしたヴァーマナを見たバリは、自分の力を誇示しようと考え、この僧侶に施しを与えることを思いつく。バリはヴァーマナに「なんでも望むものを与えてやろう」と持ち掛けると、ヴァーマナは3歩分の土地を貰いたいと頼む。バリは承諾する。するとヴァーマナは一息に成長し、最初の一歩で地上を跨ぎ、つぎの一歩で天界を跨ぎ、三歩目で冥界を跨いだ。バリはその冥界へと帰って行った。  
パラシュラーマ英語版 Parashurama with axe.jpg 斧を持ったリシ(聖仙)のアヴァターラ。一部のクシャトリヤ(戦士たち)が極端に力をもち、己の愉楽のために人々の財産を奪うようになった。斧をもったパラシュラーマが現れ、邪悪なクシャトリヤを滅ぼした。  
ラーマ Statue of Rama in Kangra district of Himachal Pradesh.jpg ラーマーヤナの主要なキャラクター。  
クリシュナ Ananda Krishna and Nagaraja.jpg マハーバーラタバガヴァッド・ギーターの主要なキャラクター。  
ブッダ Buddha's statue near Belum Caves Andhra Pradesh India.jpg 仏教の主要キャラクター[101]。いくつかの文献ではブッダをバララーマ(英語版)、またはリシャバ(英語版)(ジャイナ教の始祖の一人)に置き換えている[102]  
カルキ [注 12] Kalki1790s.jpg 翼の生えた白馬とともに現れる最後のアヴァターラ。宇宙を更新するためにカリ・ユガの終わりに登場するとされる。  

ヴィシュヌの1000の名前LNK予定

詳細は「ヴィシュヌ・サハスラナーマ(英語版)」を参照

ヴィシュヌの多くの名前と信奉者がヴィシュヌ・サハスラナーマ[105]に集められている。有名なものはマハーバーラタに収められているもので、ビーシュマはクルクシェートラの戦場にて、クリシュナの前でこれを暗唱し、ヴィシュヌを最高神として称える。

シク教

シク教の文献にはゴラク(Gorakh)という名前でヴィシュヌが登場する[106]。例えばジャプジ・サーヒブ(英語版)ではゴラクは言葉を与え、知恵を示してくれるグルとして賞揚され、彼を通して内在性の気づきを得られるのだとする。クリストファー・シャックル(英語版)、アーヴィンド・パル=シン・マンディール(Arvind Pal-Singh Mandair)によればグル・ナーナクは、グルはシヴァ(isar)であり、ヴィシュヌ(gorakh)であり、ブラフマー(barma)でありパールヴァティ(parbati)であると説き、一方で全てであり真実である神は記述できないと記している[107]。
シク教の文献、チャウビス・アヴタル(英語版)にはヴィシュヌの24のアヴァターラが紹介されており、リストにはヒンドゥー教のクリシュナ、ラーマと、仏教のブッダがヴィシュヌのアヴァターラとして含まれている。同様にシク教の文献、ダサム・グラント(英語版)にはヴィシュヌ派に見られるヴィシュヌに関する神話がそのまま取り込まれている[108]。後者は特にサナターニ・シーク(Sanatan Sikhs[注 13])に重視されている。

仏教

ヴァーハナであるガルダに乗るヴィシュヌ像、バンコク。タイ王国でもっとも古いヒンドゥースタイルのヴィシュヌ像はスラートターニー県のワット・サラ・トゥン(Wat Sala Tung)にあり、西暦400年ころの物となる[110]。
ヒンドゥー教のいくつかの宗派がブッダをヴィシュヌのアヴァターラとして捉えている一方で、スリランカの仏教徒の間ではヴィシュヌはスリランカの守護神であり、かつ仏教の守護神として信仰を集めている[111]。スリランカではヴィシュヌはウプルヴァン(英語版)、またはウタパラ・ヴァルナとして知られている。ウタパラ・ヴァルナは「青い蓮の色をした者」という意味になる。スリランカでは多くのヒンドゥー寺院、仏教寺院がヴィシュヌを奉っている。明確にヴィシュヌを奉る寺院(コビル(英語版)やデヴァラヤ(英語版))に加えて、全ての仏教寺院は必然的にメインの仏殿(デヴァラヤ)近くにヴィシュヌを奉る堂を備えている[112]。
ヴィシュヌに関する宗教美術は、今は上座部仏教が広く信仰を集める東南アジアの遺跡から見つかっている。たとえばタイ王国のマレーシア国境付近では4世紀から9世紀ごろのものと思われる4本の腕のヴィシュヌ像が見つかっており、インドからも同じデザインの物が見つかっている[110]。 同様にタイ中部のプラーチーンブリー県やペッチャブーン県から、またベトナムのドンタップ省、アンザン省から見つかっている[113]。カンボジアのタケオ州やその他の州からは7世紀から9世紀頃のクリシュナ像が見つかっている[114]。インドネシアの島々からは早いものでは5世紀ごろのヴィシュヌ像が複数見つかっている[115]。像に限らず、ヴィシュヌに関する石碑や彫刻、例えばトリヴィクラマをモチーフにしたものなども東南アジアの各地で見つかっている[116]。それらの中にはスールヤや、ヴィシュヌとブッダを融合させたようなものも存在する[117]

日本の仏教ではヴィシュヌは毘紐天として知られ、13世紀に日蓮のまとめた文献などに登場する[118]。音写語としては、「毘紐天」、「韋紐天」、「微瑟紐」、「毘瑟怒」などがある。

寺院

パドマナバスワミ寺院(英語版)、ケーララ州ティルヴァナンタプラム

現存するヴィシュヌ寺院の中で初期のものは6世紀頃までさかのぼる。例えばウッタル・プラデーシュ州ジャーンシーのサルヴァトバドラ寺院(Sarvatobhadra temple)は6世紀の初期のもので、テーマとしてダシャーヴァターラに焦点を当てている。四角に配置されたこの寺院のデザインやヴィシュヌの表現は10世紀頃に書かれたヒンドゥー建築に関する文献、例えば『ブリハット・サンヒター』(Bṛhat-saṃhitā)や『ヴィシュヌダルモーッタラプラーナ』(Viṣṇudharmottarapurāṇa)のインストラクションにおおむね合致する[120]

考古学的な研究からヴィシュヌに関する寺院や偶像は紀元前1世紀にはすでに存在していたことがわかっている[121]。これら初期の痕跡としてはたとえばラージャスターン州のヴィシュヌに関する石碑が2つ見つかっており、これらはともに紀元前1世紀頃のものでサンカルシャナ(Sankarshana)とヴァスデーヴァに関する記述がみられる。また、紀元前1世紀以前の物と考えられるベスナガルのガルダ石柱ではバーガヴァタ寺院について触れられている。マハーラーシュトラ州ネインガット(英語版)の洞窟で見つかったナーガニカー(Nāganikā)女王の碑文にも多数の神々の中にサンカルシャナとヴァスデーヴァの名前を見つけることができる。マトゥラーでもいくつかの発見があり、それぞれ西暦の始めころのものと考えられている。

ケーララ州ティルヴァナンタプラムのパドマナバスワミ寺院(英語版)はヴィシュヌを奉っている。この寺院はその長い歴史の中で金や宝石など多くの寄進を集めている。

タミル・ナードゥ州ティルチラーパッリ、シュリーランガム(英語版)のランガナータスワーミ寺院 (シュリーランガム)(英語版)はヴィシュヌを奉る。この寺院の敷地は63万平方メートルを占め、周囲は4,116メートルに及ぶ。インドでも最大の寺院であり、世界的に見ても最大級の宗教施設である[128]。

 

その他の文化でのヴィシュヌ

ジェームス・フリーマン・クラーク(英語版)によれば古代エジプトの神ホルスもヴィシュヌと同様に三神一体を成す1柱である[129]。リチャード・レヴィトン(英語版)はそれを受けて若いころのホルスが年上のホルスに乗る姿はガルダに乗るヴィシュヌに似ているとして関連を指摘している[130]。ジェームス・カウルズ・プリチャード(英語版)は一方で、三神一体の理論がエジプトとインドの双方に存在するとはいえ、ホルスとヴィシュヌにつながりがあるとする見方は疑わしいとする[131]。
4034ヴィシュヌ(英語版)はエレノア・ヘリンによって発見された小惑星である[132]。
ヴィシュヌ片岩(英語版)はアリゾナ州のグランド・キャニオンで見つかる火山堆積物である。その結果として巨大なヴィシュヌ片岩の塊はヴィシュヌ寺院と呼ばれるようになった[133]。
2007年、ロシアのヴォルガ川の打ち捨てられた村から7世紀から10世紀頃のものと思われるヴィシュヌ像がみつかっている[134]。