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日本最古の大手資本による採鉱で栄えたが、1986年(昭和61年)11月27日をもって閉山された。
端島炭鉱とともに、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」(全23資産)の構成資産として世界遺産リストに登録されている。

高島炭鉱の歴史は、1695年(元禄8年)に平戸藩松浦郡江迎の五平太が石炭を発見したことが始まりとされ、その後幕末に佐賀藩とトーマス・グラバーが共同出資で採掘を始める。
明治に入り佐賀藩から後藤象二郎が買い上げ操業を開始し、英国人鉱山技師エラスムス・ガウワーが近代化を試みるがうまくいかず、同じ土佐藩出身の岩崎弥太郎率いる三菱財閥に権益を譲り、本格的に採掘が開始される。
以来近郊の伊王島・端島の炭鉱とともに西彼杵炭田の一角として1世紀以上にわたって日本のエネルギー経済を支え続けた。
その後1966年(昭和41年)に採掘量のピークを迎えるが、石炭から石油へのエネルギー転換のあおりを受け採掘が減少、1985年の粉塵爆発事故という追い討ちもあり、1986年をもって閉山した。
閉山前から高島町の人口は減少を続け、一時は面積・人口ともに全国最小を記録した。その後2005年(平成17年)1月4日に平成の大合併により高島町が長崎市に合併され消滅。現在、高島では炭鉱施設を活かした町おこしを模索中である。
■高島炭鉱事件
明治のはじめに起こった日本初の労働争議事件。
高島炭鉱の労働力は囚人などの下層所得者を集めて働かせ、しかもその実態はタコ部屋などの封建的・非人道的な制度に支配され、一日12時間労働という過酷な労働条件、低賃金、重労働にもかかわらずほとんど手作業、「死んでも代わりはすぐ見つかる」といった認識がまかり通るなど問題だらけであった。
そしてついに100人以上が参加した暴動になり、このことが三宅雪嶺らが創刊した雑誌「日本人」に掲載された。
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「死んでも代わりはすぐ見つかる」から、労働者たちをとことんこき使った……。
まさに悪魔のなせる所業としか言いようがありません。
そして、そんな悪魔のような人間と手を組んだのが、「麻生太郎」の曽祖父だったというわけです。
だからこそ、「麻生太郎」の父「麻生太賀吉」もまた同じように「タコ部屋」を作って、労働者を奴隷のようにこき使っていたわけでしょう。本当に血は争えません。
---------------------(以下、こちらから転載)
麻生財閥(麻生グループ)は現在、麻生ラファージュセメント(株)を中核に64社、総売上1,380億円、社員数6250名を数える九州屈指の企業グループとなっています。
麻生太郎氏は、祖父麻生太吉氏、父麻生太賀吉氏の後を継ぎ、1973年にグループ中核企業の麻生セメント(株)の代表取締役社長に就任しています。
1979年の衆議院議員選挙で初当選し政界に転進して家業を実弟の麻生泰氏に譲ったからといって、麻生太郎氏が麻生財閥の三代目当主であった事実は消せません。
当主として戦前の麻生炭鉱の暗い歴史の責任から逃れられないのは当然のことです。
なぜなら、安倍晋三元首相、福田康夫元首相に続いて、総選挙での国民の審判を受けることなく、自民党総裁選で勝利して2008年9月に第92代内閣総理大臣に彼が任命されたのは、麻生財閥のもつ財力であり、その大部分は、戦前の麻生炭鉱に強制連行されて来た朝鮮人労働者1万人をただ同然で酷使して搾取した巨額の未払い賃金がその源だからなのです。
戦前の麻生炭鉱で10,000人の強制連行朝鮮人を強制労働させ賃金をそっくり搾取することなくしては、現在の麻生財閥はありえず、したがって今の麻生太郎内閣総理大臣もありえなかったといっても過言ではありません。
戦前の麻生炭鉱での劣悪な労働条件の実態は、下記URLの調査報告書「麻生炭鉱の強制労働」(戦時強制労働の調査「人権平和・浜松」)に詳しく書かれています。
http://www16.ocn.ne.jp/~pacohama/kyosei/2asou.html
この調査報告書の中で、強制連行朝鮮人労働者がどのように働かされ支配され搾取されていたのかが詳しく書かれています。
「納屋の布団は万年床で真っ黒であり、交替制で誰かが寝た。
人繰りが毎夕入坑の督促をし、二交替制だったが、五時に入坑して昇坑が一〇時ということも珍しくなかった。
坑口から六〇〇メートルを人車で行き、そこから切羽まで歩いた。
朝鮮人が危険なところを担当した。
検炭係がボタの量を見て函引きし、賃下げをした。
低賃金で遅配が多く、食事も衛生も悪かった。
納屋の頭領は賃金の三割ほどをピンハネした。
労働災害があっても朝鮮人には適用されなかった。
納屋では独身坑夫が死んでも朝鮮の故郷に知らせないことが多かった。
遺族に弔慰金や補償金を支払うのが惜しく、アリラン集落の下の無縁墓地に埋めて知らん顔だった。
一九三四年のガス爆発の時には生存者がいても密閉したために朝鮮人が入坑を拒否した(『林・記録』三〇五~、三二一頁)。」
また、朝鮮労働者がどのように強制連行されたのかの具体的な証言も書かれています。
「文さんは一九一六年生まれ、全南霊岩郡出身。
結婚したばかりの一九四二年の末、面の巡査と書記らが土足で侵入し、「一緒に来い」と巡査に家の外に突き出された。
このとき面から三四人が連行された。
順天で九州の炭鉱に行くと告げられた。
麗水で一六〇人ほどとなったが、監視人が手に木刀を持ち、海岸の倉庫に入れられ外から錠を掛けられた。
軍服を着た男に本人かどうか照合を受け、身体検査され、九州の麻生炭鉱に行き、一年で帰国できると聞かされた。
一九四三年の元旦に博多につくと、憲兵が監視するなか麻生の労務や協和会の幹部が出迎え、博多駅から原田経由で赤坂炭鉱に連行された。
収容された寮は兵舎のような建物であり、高さ三メートルの板塀、鉄条網があった。
寮の中央にはガラス張りの監視塔があった。
一棟が五部屋であり、四畳半の一部屋に五人が押し込められた。
寮の入り口はひとつであり、そこに労務の詰所があった。
朝五時に起こされ、広場で点呼を受けた。
宮城遥拝、君が代、皇国臣民の誓詞のあと、六時に入坑した。
六時から九時までの一五時間労働だった。
「これから敵のトーチカを攻撃する。突撃進め!」と坑口へ追いたてられた。
食事は大豆かすと麦を混ぜたものが多かった。
労務は見せしめに死ぬほどに叩いた。
強制貯金され、送金は最初の二〇〇円が送られたきりだった。
労務にそれを糾すと、なぜ朝鮮に問い合わせたのかと逆に木刀でたたかれた。」
また、炭鉱周辺には朝鮮人女性が性の奴隷として連行されていた事実も次のように書かれています。
「アリラン集落には朝鮮人女性を置く店があり、女性たちが騙されて連れてこられた。朝鮮にブローカーがあり、娘たちを選炭婦にするなどと騙し、親に一〇〇~二〇〇円を渡して、「三等料理屋」に売り渡した(『林・記録』三三一頁)。
飯塚や鴨生には鄭在鳳が経営する店もあった(『林・記録』四三一頁)。鄭清正さんも飯塚へと朝鮮の女性たちが連行され性的強制を受けていたことを記している(『怨と恨と故国と』八七頁)。」
又炭鉱事故等で多数の朝鮮人労働者が死亡したが、死者に対する麻生炭鉱の対応も次のように書かれています。
「赤坂の請願巡査だった松藤要吉さんはつぎのようにいう。死者が出ても、炭鉱は石炭がもったいないと火葬しないで無縁墓地に穴を掘って埋めた。
馴れない労働でずいぶん命を落とした。朝鮮式の土饅頭がたくさんできた。労務が勝手に処分して知らせない状態だった(『林・記録』四〇三頁)。」
日本のマスコミは、このおぞましい麻生財閥の暗い過去を意図的に報道しないでいます。
「イギリス人ジャーナリスト(ガーディアン紙の元アメリカ特派員)のクリストファー・リードによると、麻生一族による強制労働の記事を掲載することを多くのメディアが拒否したという。
しかも、その中には「左翼」と見なされている日本の媒体(そんなもの存在しないというのが筆者の感想だが)も複数、含まれていた。
日本で掲載したのは英語紙の「ジャパン・タイムズ」だけだ。・・・・」 (調査ジャーナリスト桜井春彦氏)
日本のマスコミが報道しないのであれば、我々の「草の根webネット」でこの事実を出来るだけ広く、友人、知人に拡散させましょう。
麻生太郎氏は、麻生財閥の暗い歴史を封印したまま日本の首相として延命することはもはや許されることではありません。
---------------------(転載ここまで)
強制労働、監視、拷問、低賃金、ピンハネ……。
「麻生太郎」が政府要人としてやっていることを、過去に「麻生太郎」の父親も自分の会社の中で同じようにやっていたわけです。
しかも、彼らは女性たちを性の奴隷として強制的に連行していた……。
完全にヤクザそのものです。悪魔そのものです。
このことについて、さらに分かりやすく書かれた記事をある読者の方が紹介してくださいましたので、ここにその記事を掲載しておきます。
---------------------(以下、こちらから転載)
麻生太郎。九州の麻生炭鉱の経営一族の代表。
この炭鉱では第二次世界大戦中、朝鮮半島から銃で脅され無理矢理、日本に連れて来られた朝鮮人が、半ば奴隷として強制労働を強いられた。
麻生一族が殺害した朝鮮人の数は数千人に上る。
この炭鉱の石炭は不純物が少なく良質であったため、船で台湾、東南アジアに運ばれ、英国海軍の軍艦の燃料となった。
英国軍がアジアを、侵略する「原動力」を供給していたのが、麻生一族であった。
麻生一族は「アジア全体にとっての売国奴」であった。
この石炭の運搬船には、天皇一族と三菱財閥一族によって、誘拐された日本人女性が乗せられ、売春婦としてヨーロッパに「売り飛ばされた」。
日本の農村で農作業をしていた女性を、暴力を使い誘拐し、学校帰りの女子学生を殴り倒し、誘拐し、天皇一族と三菱財閥は売春婦として、ヨーロッパに売り飛ばした。その運搬役が麻生である。
天皇一族と、麻生一族が結託の上、誘拐し、売春婦としてヨーロッパに売り飛ばした、日本人女性の数は50万人。
50万人が、全員、20歳代で梅毒等で死亡した。
この誘拐された女性を売り飛ばした金は、圧倒的大部分が天皇家の「私財」となったものの、その一部は「分け前」に預かった麻生家の銀行預金となり、現在、利息が付いて巨額化し、麻生太郎の政治活動資金となっている。
---------------------(転載ここまで)
これで「麻生太郎」がイルミナティの核心人物であることがお分かりいただけたかと思います。
彼らは既に第二次大戦の頃から「天皇家一族」の悪に加担して、その悪事から莫大な富を貪っていたのです。
そして、その富のお陰で、今でもこうして「麻生太郎」が政治家としてやっていけているというわけです。
こんな人が「副総理」をやっているわけですから、日本の政治がよくならないのは当り前のことですね。
そもそも、「トーマス・グラバー」が勤務していた「ジャーディン・マセソン商会」は、中国に「アヘン」を売って中国人たちをボロボロにしながら、のしあがっていった企業です。
---------------------(以下、こちらから転載)
19世紀半ば、中国とのアヘン戦争に勝利し、「自由に中国に麻薬を売り始めた」英国は、中国人を麻薬漬けにし「判断能力を衰えさせた所で」、中国を支配下に置こうと考えた。
香港が100年間、英国の植民地であった歴史の背後には、この英国の「麻薬戦術の勝利」があった。
この英国による「アジアの奴隷支配」の先兵となったのが、麻薬密売会社ジャーディン・マセソンであった。
ジャーディン・マセソンは日本にも乗り込み、麻薬販売を行った。
日本人を「麻薬漬け」にし、奴隷支配する事が目的であった。しかしモラル上の問題から日本人は麻薬を受け付けなかった。
そこでジャーディン・マセソンは、日本に兵器を売り付け、日清戦争、日露戦争等を起こさせ、戦争業で「利益を上げる」戦略に転換する。
「日本と中国、ロシアが戦争し」、両方が疲れ果て衰えて行く事が、やがて英国がアジアを支配するためには「最適の戦略」と考えた。
しかも、極東の国同士が殺し合えば、その兵器販売でも利益が出る。
こうした「アジアの奴隷支配戦略」の下、日本に兵器販売の営業所を設置したジャーディン・マセソンは、その横浜支店の番頭に、吉田健三を据えた。
明治政府御用達の「兵器調達係=戦争商人」が、ジャーディン・マセソンであり、その日本支店長が吉田であった。
この吉田健三の娘と結婚し後継者となったのが、第二次世界大戦後、60年以上に渡る自民党一党支配の日本の政治体制の基盤を作り上げた、吉田茂である。
吉田茂が第二次世界大戦中、中国で麻薬密売を行い、その麻薬密売の利益で日本軍部の兵器購入資金を作り出す仕事を担当していた背後には、麻薬=兵器販売業者の、吉田一族の「家業」ネットワーク=ジャーディン・マセソンが「存在した」。
---------------------(転載ここまで)
つまり、学校の授業で習う「阿片戦争」は、「麻生太郎」の曽祖父の会社が起こした戦争だったというわけです。
どうしてこんな重大なことを学校では教えないのでしょう。
この事実を教えたら、学生たちはきっと「この世の中、どうなっているんだ」と怒り狂い、もっと一生懸命に政治や歴史の勉強をすると思いますけど。
さらに「麻生太郎」の先祖について、興味深い記事をネットで見付けましたので、皆さんにご紹介しておきたいと思います。
---------------------(以下、こちらから転載)
■吉田茂・吉田健三・渡辺謙七
さて、話は代わりますが、この時期に総理を務めていたのは吉田茂でした(間に片山内閣、芦田内閣を挟みますが)。
この吉田茂は幼少の頃に養子に出され、吉田健三の養子となります。
吉田茂はロンドン駐在中にスコッチ・メーソンになったそうですが、この養父も欧米エスタブリッシュメントと深い関係を持っていました。
吉田健三は、1864年、16歳の時、家を出て大阪で医学、長崎で英学を学んだのち、1866年英国軍艦に便乗して欧州に遊学した後、明治元年に帰国します。
「英一番館」ことジャーディン・マセソン商会に入り、番頭をふりだしに、のち独立し、さまざまな事業を手がけ、横浜で1、2を争う富豪となりました。
このジャーディン・マセソン商会こそ明治維新のスポンサーだった訳で、幕末・明治期の重要人物であるトーマス・ブレーク・グラバーは、ジャーディン・マセソン商会の長崎代理店を設立し、各種工作活動を行っていました。
吉田健三の父である渡辺謙七もちょっと気になって調べて見たところ、この人もどうやらジャーディン・マセソン商会で番頭をやっていたようです。
渡辺謙七は、もともと福井藩士だったのですが、福井藩を脱藩して横浜へきて、ジャーディン・マセソン商会に入社し、その後、回船問屋になったそうです。
ちょっと古い新聞記事なのですが、面白い内容なので引用します。新聞記者が白幡という住職にインタビューをしたものです
浄土宗新聞(1978年10月10日2面)
http://press.jodo.or.jp/newspaper/1973/197310_79_2-3.pdf
― 横浜の仏教、久保山から初めてこちらへ伺ったんですが、光明寺さんに限らずこの久保山は大きなお寺がズラリ並んでいますね。
白幡 その昔横浜市吋には寺というものが全くなかったのです。この光明寺の縁起にしても鎌倉光明寺の吉水法主が現在のダウンタウン初音町に小さな説教所を作った。その掘っ立て小屋を借りるのが一日三銭だっだそうですよ。
― 三銭ですか。
白幡 その後宮下俊達上人がきて亡くなった吉水上人のあとをついで説教や信者まわりをせっせとやったんです。そんな信者のなかで渡辺謙七という人がいましてね。この人は福井の藩士だったが、脱藩して横浜へきた。英国商館の番頭になった。さらにそのあとは回船問屋。この人の子供さんが吉田健三。
― ああ前の吉田総理の親ごさんですね。
白幡 そうです。茂さんはここに養子にきたんです。そんなこんなしているうちに久保山に市民墓地ができることになった。では寺も建立しましょうと、この吉田健三さんと、彼と奥さんどうしが 姉妹の上郎幸八という貴族院議員の人がお金を出し合ってくれて、この光明寺ができあがりました。
― 全く明治以後の近世になってからの創立なんですね。
白幡 そうなんですよ。だから光明寺の山号も吉田の吉と上郎(こうろ)の上を取って吉上山。
― キッコウサンですか。
(註・「キッコウ」は「亀甲」とも書くことができます。つまり「六芒星」ですね。)
白幡 この庫裡も関東大震災でつぶれてしまったため、小田原にあったご用邸を払い下げて頂いたものです。
―ご用邸ですか。なるほど特別な言い方だと思いました。このノキ出しなんかねえ.それにしてもお寺と言えば、大半がその昔のお大各をスポンサーとしたものだが、横浜は全く事情が異なりますしね。
白幡 この久保山には各宗十四カ寺ありますが、みんな明治以後にできにものばかりです。
―当然横浜仏教界の中心ですね。
白幡 仏青運動も戦後の昭和十一年から活発にやっています。
―歴史的に考えでもこの土地は居留地なぞがあってキリスト教が明治とどもに乗りこんできた。下町はみんなキリスト教だったはずですよね。
白幡 そうなんです。外人墓地を中心にしてね。仏教はこの久保山から興こりました。そして結局は下町もすべて仏教徒になってしまったのです。こんな面白い話があるんです。昭和、二十四年のこと横浜における社会運動の物故者たちの慰霊祭を行ないたいと、荒畑寒村や藤森成吉らがこの光朋寺へ申し入れてきた。ただしお経は読んでくれなくていい。インターの歌で、というんです。それは困る、と寺では突き放しました。結局向こうさんが折れて、仏教儀式による追悼法要。それが三年に一度づつですが、現在まで続いていましてね。
― 久保山と言えばここの火葬場でしたかね、絞首刑になった戦犯の人々を焼いたところは。
白幡 そうなんです。うちの境内に大きな石碑が立っています。面白いのは碑の裏に璽かれだ順番ですがね。
- じかに拝見してきましょう(境内に出てみた。なるほど門のすぐ横に巨大な石碑があった。被処刑者名簿がずらり裏に彫りつけてある。トップは陸軍大尉由利敬。さがしてゆくと首相東条英機は二十六番目だった。陸軍准尉柴野定雄の次である。以下に土肥原賢二、松井石根、板垣征四郎。広田弘毅らのお歴々である。権門高官の人々が庶民にまじって名をつらねる。極楽へいって初めて彼らも真の月宙を得た感じだ。もっともこの順番は火葬傷でダビに付された順であった)
白幡 こちらの慰霊法要は毎年やっております。 (以下、略)
渡辺謙七が福井藩を脱藩してジャーディン・マセソン商会に入社し、その息子の吉田健三もジャーディン・マセソン商会して財を築く。
そして吉田健三が資金提供した光明寺が立つ久保山の火葬場で戦犯が火葬され、その息子の吉田茂が戦後日本を率いていく・・・、なんだかものすごい因果を感じてしまいます。
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「麻生太郎」の祖父である「吉田茂」は「スコッチ・メーソン」だったのこと。つまり、れっきとした「フリーメーソン」。
彼の仲間である「トーマス・グラバー」がフリーメーソンだったので、当然といえば当然のことでしょう。
だからこそ、その子孫である「麻生太郎」は「セメント=石」を売って、「石工=フリーメーソン」として財を成しているわけです。
もっとも、「トーマス・グラバー」がフリーメーソンだったという話は、なぜか一部の人たちから徹底的に否定されているようです。
これまた「麻生太郎」による情報撹乱でしょうか。
---------------------(以下、こちらから転載)
彼(トーマス・グラバー)をスコットランド系のフリーメイソンリーとする説があるが、根拠はない。
グラバー邸内にはコンパスと定規を組み合わせたフリーメイソンリー特有のマークが刻まれた石柱があるが、これはもともとグラバー邸にあったものではない。
フリーメイソンリーのロッジ(集会所)にあったものが1966年(昭和41年)に長崎市に寄贈され、長崎市によって観光目的で移設されたものである。
長崎市もこの経緯を認めている。
---------------------(転載ここまで)
「グラバー」とフリーメーソンが何の関係もなければ、フリーメーソンのロッジにあったものがグラバー邸に移設されることはないでしょう。
フリーメーソンリーがそんなことを絶対に許すわけがないからです。
ですから、「グラバー」がフリーメーソンリーであったことは間違いない事実なのです。
しかも、「吉田健三」が建てたお寺で、第二次大戦の戦犯たちが次々と火葬されていったとのこと。
ですから、本当に戦犯たちが火葬されたかどうか、つまり彼らが本当に処刑されたかどうかも怪しいところです。
本当は処刑されていないのに、その事実を隠すために「吉田健三」の建てたお寺が火葬した振りをしていただけかも知れません。
もっとも、たくさんの戦死者がこのお寺で火葬されたことは間違いありませんので、彼ら「麻生一族」は武器を売ってボロ儲けし、戦死者を火葬してボロ儲けていたということになります。
まさに筋金入りの「死の商人」ですね。
そして現在の日本では、この悪なる一族が「内閣」に君臨し、国民を不幸のどん底に突き落とすような政治を次々と行ない、ヒーロー面をしながら自らの私服を肥やしつづけているわけです。
ちなみに、過去に「橋下徹」が突然「水道事業を民営化する」と言い出したのも、結局のところ、「麻生太郎」の儲けのためだったというわけですね。
何しろ、「橋下徹」のブレーンとして働いていたのが、「株式会社・麻生」の監査役だったわけですから、「橋下徹」が「麻生太郎」の儲けのために政治を行うのは当り前のことです。(この事実を知らない方はこちら)
で、このような「麻生太郎」に関する重大な事実を隠して、真の黒幕はアメリカやヨーロッパにいると言って情報撹乱するのが、「ベンジャミン・フルフォード」など有名陰謀論者の仕事というわけです。
本当、いくらもらえるからといって、こんなつまらない仕事をいつまでもやっているのでしょうか。本当に神経を疑います。
ということで、今回は最後にこの「ベンジャミン・フルフォード」の正体についてざっと暴露しておきたいと思います。
先ず、「ベンジャミン・フルフォード」は、なぜか俳優の「窪塚洋介」と大の仲良しです。
で、「窪塚洋介」はどこからどう見ても、悪魔教にズブズブの人間です。
---------------------(以下、こちらから転載)
窪塚洋介さんもレゲエDJをしているそうで、卍LINEという名義だそうです。
卍LINEには和と幸福と太陽と忍者の放射線という意味があるそうです。
(o・・o)/~、音楽の才能もあるようで、空水という名義でミュージック・ビデオの監督もしているそうです。
---------------------(転載ここまで)
「卍」、「太陽」、「忍者」……。
やっちゃいましたね。自分の素性を完全にばらしてしまっています(笑)。
しかも、ここで「忍者」という言葉が出てくるということは、伊賀と甲賀の二重スパイ(服部半蔵)の子孫、つまり「東出融」氏とも何らかのつながりがあるのではないか、と疑わざるを得ません。(「東出融」氏のことを知らない方は、以下のリンクをご参照下さい。)
○RAPT×読者対談〈第75弾〉あらえびす・東出融の正体(1)
○RAPT×読者対談〈第76弾〉あらえびす・東出融の正体(2)
で、この「窪塚洋介」は「三宅洋平」とも大の仲良しです。
○三宅洋平 – Wikipedia
そして、この「三宅洋平」も「東出融」氏の住んでいる「山形県」とかなり縁の深い人物です。というのも、彼はツイッターで以下のように語っているからです。
なので、この「窪塚洋介」も「三宅洋平」もみんな「東出融」とグルである可能性大です。
多分、二人とも「東出融」に騙されて、「東出融」のことを心から尊敬しているのでしょう。
しかも、「三宅洋平」のウィキペディアにはこんなことが書かれてありました。
---------------------(以下、こちらから転載)
(三宅洋平は)2013年3月、「日本アーティスト有意識者会議(略称 NAU)」を政治団体として登録。
その後、「”日本社会の価値観を多様にひらく”必要を感じ」、第23回参議院議員通常選挙へ緑の党からの推薦を受け、比例代表で立候補。
連日「選挙フェス」と称する集会を展開し、176,970票の個人票を得たが、緑の党が当選枠を獲得できず落選した。
なおこの票数は、落選した候補の中で最多の個人得票数であった。
---------------------(転載ここまで)
はい。出ました。彼もまた「緑の党」関係者のようです。
要するに、「3.11」を起こし、「第三次世界大戦」を起こそうとしている「緑の勢力」、つまり「麻生太郎」や「安倍晋三」のお仲間だということです。「緑の勢力」についての詳細は、以下のリンクをご参照下さい。
○RAPT×読者対談〈第111弾〉人工地震3.11を起こした真犯人は出雲族である。
○RAPT×読者対談〈第121弾〉清和源氏と日本会議と蝦夷共和国と緑の星。
○安倍晋三・稲田朋美をはじめ緑の勢力が「第三次世界大戦」を引き起こそうとしている厳然たる事実。
それどころか、この「三宅洋平」はイルミナティの重要人物「坂本龍一」や「鳩山由紀夫」とも大の仲良し。
「鳩山由紀夫」を自分の講演会に招待できるとは、「三宅洋平」もなかなかの重鎮のようです。
しかも、今現在、彼は「岡山県」に活動拠点を移したようです。
恐らく、彼も日本の新しい首都である「岡京」を作るために必死で活動しているのでしょう。(「岡京」を知らない方は以下のリンクをご参照下さい。)
○RAPT×読者対談〈第81弾〉ジョン・タイターが予言した三つに分断された日本。
○RAPT×読者対談〈第93弾〉熊本地震は天皇家の起こした人工地震である。その証拠(2)
で、「東出融」氏もこの「岡山県」には足繁く足を運んでいます。
先月の2月22日にも、ある読者の方が「岡山県」で「東出融」氏を目撃したようです。以下はその方からいただいたメールです。
月~29年2月
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水道口径13mm
今回使用水量=65mm3
下水排出量=65mm3
今回請求予定額
水道料金¥11,532円