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ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス人魚』(1900)

ファンタジー: fantasy [ˈfæntəsi, ˈfæntəzi])とは、超自然的、幻想的、空想的な事象を、プロットの主要な要素、あるいは主題や設定に用いるフィクション小説等の文学ジャンルである。

このジャンルの作品の多くは、超常現象を含む架空の世界を舞台としている。文芸としての「ファンタジー」は幻想文学と呼ばれるジャンルのサブジャンルでもある。

目次

ファンタジーの定義

錬金術師。ウィリアム・ダグラス画(1853)

ファンタジーの定義は、曖昧であるが漠然とした傾向として、作品の魔法などの空想的な語彙(要素)が(現実的にはありえなくとも[2])内部(著者、編集者のみならず善意の理解者を念頭に置くことができる)的には矛盾なく一貫性を持った設定として導入されており、そこでは神話や伝承などから得られた着想が一貫した主題となっていることが挙げられる。 そのような構造の中で、ファンタジー的な要素はどのような位置にあってもかまわない。隠されていても、表面上は普通の世界設定の中に漏れ出す形でも、ファンタジー的な世界に人物を引き込む形でも、そのような要素が世界の一部となっているファンタジー世界の中で全てが起こる形でもありうる[4]

サイエンス・フィクション (SF) と比較すると、SFは世界設定や物語の展開において自然科学法則が重要な役割を果たすのに対し、ファンタジーは空想や象徴、魔法が重要な役割を果たす。ただし、SF作品においても、空想科学というだけあって現実世界には存在しない科学法則を仮定し、それに基づいた世界や社会を描く試みがその歴史の初期から存在すること、逆にファンタジー作品においても錬金術や魔法などに、体系的であることを期待させる説明が用意されている場合があることなど、両者の線引きを困難にするようなケースがある。また執筆当時にそのように分類されていたかは別にして、SFとファンタジー双方の作品を発表する作家もおり、SFとファンタジー両方の性質を併せ持った境界線上の作品(SFファンタジー)も多数発表されている。

ファンタジーの定義を広く「仮想の設定のもとに世界を構築する作品」とし、SFをサイエンス・ファンタジーとしてファンタジーに含める考え方もある。SFとファンタジー双方の作品を発表する作家であるアン・マキャフリイなどは、SFはファンタジーのサブジャンルであると度々語っている。

また逆に、現代文学におけるファンタジーの形成と再評価の相当な部分、特にパルプ・マガジンに代表される(児童文学に分類されない)大人向けの部分の多くが、先行して市場が形成されていたサイエンス・フィクションの市場の枠内で行われてきたという歴史的な経緯から、ファンタジーをSFの有力な一分派とする考え方もある。サイエンス・フィクション研究家であるフォレスト・J・アッカーマンやSF作家でSF史の著書もあるブライアン・オールディスなどもこの見解である。

どちらも極論ではあるが、この両者は明確な境界が存在し得ないほど類似している。これらを包括した呼称として「スペキュレイティブ・フィクション」がある。

なお、ファンタジー的(ファンタジーの性質をもつ、幻想的)を意味する英語の形容詞は「ファンタスティック」 (fantastic) 、「ファンタスティカル」 (fantastical) であり、日本語圏で時として使われる「ファンタジック」という語彙は本来の英語では誤りとなる和製英語である[5]

児童文学では、主人公が異世界と行き来するものをファンタジー、主人公がもともとその世界の住人であるものをメルヘンと分類している。

ファンタジーの特徴

ファンタジーの特徴として語彙や用語にこだわる形式主義がある。架空の設定に一貫性と堅牢な構造を持たせ、複雑な思想を伝えるために選択された歴史を持つ。例えば、日本の児童文学研究者である石井桃子は『子どもと文学』(1960年)のファンタジーの章でそう指摘している。

同時に外観から思想や宗教寄りの傾向に対する批判もある。例えはフィリップ・プルマン(1946年 - )やJ・K・ローリング(1965年 - )は、作中にキリスト教的ドグマの込められた『ナルニア国物語』(1950年-1952年)に対して強固に批判を行っている。今日の文芸に対しては迂遠な思想よりも現実の社会が有する問題に個人がどう対応するか示唆が求められている。

ここから形式主義を利用した新しい創作者たちは、現実と思想の両方の受容により問題へ対応する修辞を作品の主題にしており、これに対しては作品自体が大人である作者の執筆論に終始している、さらにミーイズムへ深化しているとの批判がある。作家のさねとうあきらは『超激暗爆笑鼎談・何だ難だ!児童文学』(2000年 星雲社)でファンタジーの「不連続性」を指摘している。

文学におけるファンタジー

ダンテ神曲』の挿絵、ギュスターヴ・ドレ

ファンタジーの源流

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文学史の中にファンタジーの起源を求めると、古代・中世の書物に記された神話伝説、英雄物語などに行き着く[要出典]。例えば『ベオウルフ』、『ニーベルンゲンの歌』、中世ロマンスアーサー王伝説群などが挙げられる。

そして、これらの神話伝説を素材として編まれた数々の文学作品がファンタジーの源流となり、また、ファンタジーの系譜にはイソップ童話のような童話から児童文学につながる流れもある[要出典]

近代文学におけるファンタジーは、19世紀から20世紀初頭にかけて隆盛を誇ったリアリズム文学に対するアンチテーゼとして出発している[要検証 – ノート]。すなわち、小説世界のルールは現実世界に準じ現実の一コマとして存在しうる物語であるというリアリズム文学に対し、小説世界のルールを小説世界で規定し現実にはありえない物語をファンタジー文学と呼んだのである[誰?]


最初期のファンタジーは、主に児童文学の領域にみられる。すなわちチャールズ・キングスレー『水の子 陸の子のためのおとぎばなし』(1863年)やルイス・キャロル『不思議の国のアリス』(1865年)などである。これらは、すでに単に子供向けではない大人向けの含蓄が含まれる点で、初期ファンタジー文学としての特質を有している。その後の流れとしては、ライマン・フランク・ボームオズの魔法使い』(1900年)、ジェームス・マシュー・バリーピーター・パンとウェンディ』(1911年)、パメラ・トラバース風にのってきたメアリー・ポピンズ』(1934年)などが挙げられる。これらもファンタジー文学、児童文学両方の扱いがなされる。

やがてファンタジーは児童文学の一分野として扱われながらも、次第に対象(読者)を大人にも広げていき、またサイエンス・フィクションとも相互に影響しあって発展していく。児童文学に分類されない、大人向けのファンタジーとしてはロバート・ネイサンジェニーの肖像』(1939年)や、ジャック・フィニイ『ゲイルズバーグの春を愛す』(1963年)などが代表作として挙げられる。ただしこの両作品はサイエンス・フィクションの時間テーマものの傑作としても扱われており、ファンタジー文学、SFの両方の扱いがなされる作品でもある。

近代ファンタジーの形成

エドガー・ライス・バローズ『火星のプリンセス』表紙(1917年)

児童文学に分類されない近代ファンタジーの形成は、ファンタジーの定義の解釈によって諸説はあるものの、狭義のファンタジーとしては1920年代から1940年代にかけて隆盛を誇ったパルプ・マガジンを嚆矢とすることができる。特に通常はSFとファンタジーとの境界ともいえ、そのどちらにも分類されるエドガー・ライス・バローズ火星シリーズ(第1作『火星のプリンセス』は1912年に原型が発表され1917年に完成)、ロバート・E・ハワードによるヒロイック・ファンタジーの最初の完成型とも言われる英雄コナンシリーズ(1932年に第一作発表)がこの時代の代表作であり、同時にJ・R・R・トールキン以前の近代ファンタジー文学の1つの典型と言える。

なお、ハワードは多数の模倣者を生み出したことでも知られ、ハワードとその有象無象の模倣者たちはヒロイック・ファンタジーや同時代に隆盛を誇ったスペースオペラなどの形成に大きな役割を果たしている。

パルプ・マガジン『ウィアード・テイルズ』

同時期の特筆すべき事項としては、1923年創刊のパルプ・マガジン『ウィアード・テイルズ』、同じく1939年創刊の『アンノウン』の2誌の存在である。『ウィアード・テイルズ』はホラー・フィクションに、『アンノウン』はサイエンス・フィクションに近しい雑誌ではあるものの、ファンタジー的な要素も強く、トールキン以前の近代ファンタジーの形成には無視できない存在となっている。

ファンタジー雑誌『Fantastic Adventures』

付け加えるなら、近代ファンタジー形成の黎明期である1910年代からパルプ・マガジンの市場が事実上消滅する第二次世界大戦の直前までの期間においては、市場をみてもファンタジーというジャンルは黎明期であった。例えば、児童文学に分類されない大人向けのファンタジー作品を専門に紹介するパルプ・マガジンは事実上存在していない(ただし『ウィアード・テールズ』を一応の例外と考えることは可能で、同誌を世界最初のファンタジー専門パルプ・マガジンとみなす場合もある)。この時代のファンタジー作品は、事実上ホラー・ノベルやウィアード・メナスと呼ばれる当時隆盛を誇っていた怪人もの、そして、サイエンス・フィクションの市場の中で発表されており、市場としてもジャンルとしても独立した存在と認知されるのは1930年代末期に前述の『アンノウン』誌や『Fantastic Adventures』誌などが創刊した辺りからである。ただし、認知されたとは言っても限定的なもので、特に一般層への認知度は現代とは比べものにならないほど低かった。事実、後述するトールキンの諸作品の登場後ですらも、バローズやハワードの諸作品はSF冒険小説に分類されていたし、『ジェニーの肖像』も発表当時はSFに含まれるべきものとされていた。

近代ファンタジーの転機

このような近代ファンタジー文学のひとつの転機となったのは、J・R・R・トールキンによる『指輪物語』(1937年から1949年執筆、1954年刊行)である。『指輪物語』は1960年代後半に北米で人気を博し、その影響下で多くのファンタジー作家が登場した[6]。トールキン作品の影響は文芸以外の形式の表現にも及んでいる。ただしその評価と後に与えた影響は、欧州と北米とでも、かなり異なっている。

まず、欧州では、トールキンの「リアリズム文学へのアンチテーゼ」という第二者的な立場から脱却した「神話の構築」という独自の立脚点や、専門知識を駆使して架空の神話から人工言語まで編み出して背景世界を構築しているという点などが高く評価されている。この点で、トールキンは従来のファンタジー作家とは一線を画す存在であった。

専門知識に従い世界観を構築した類例としては、トールキンの元同僚でもある宗教学C・S・ルイスの『ナルニア国物語』シリーズ (1950年 - 1956年) や、文化人類学者、上橋菜穂子の『守り人』シリーズ(1996年 -)などがある。そうした傾向の作品を「ハイ・ファンタジー」と呼ぶこともある。

ただしトールキン以前に(それがファンタジーというジャンルだとは認識されていなかったものの)相応の規模を持つ大人向けのファンタジー文学の市場が形成されていたアメリカ合衆国においては、事情が異なる。

北米ではトールキンの文学性や世界観は評価され、後にその様式の作品も産み出されはするものの、「神話の構築」という視点は戦前のロバート・E・ハワードの時点ですでに形成されていたため、それが評価されることは稀であった(北米では『指輪物語』のブームに乗る形で戦前のファンタジー作品がペーパーバックとして多数復刊され、並列する形で紹介された)。模倣者が存在したという点についても同様である。また「リアリズム文学へのアンチテーゼ」という立脚点についても、英国や欧州ではそのような議論は正しいにせよ、ファンタジーの形成当初より「神話を持たない民」であるアメリカ人のための「人造の神話」としての性格が強かったアメリカ合衆国では、そもそもファンタジーが第二者的な立場の作品であるという意識自体が希薄であった。

『フィールド・オブ・ドリームス』の野球場。現代的なファンタジーの舞台の一例。

これらの事情の差は、サイエンス・フィクションがファンタジーの要素を融合させた作品を多数送り出す1960年代から1970年代にかけて欧州と北米との交流が進む過程で希薄になり、1980年代中盤には両者の姿勢にそれほどの差はなくなっている。

他にもさまざまな作品が生み出されている。W・P・キンセラの『シューレス・ジョー』(1982年)はファンタジーの傑作として映画化されている(『フィールド・オブ・ドリームス』 1989年)。J・K・ローリングの『ハリー・ポッター』(1997年 - ) は、現代のイギリスを舞台に現実空間のすぐそばに魔法が通用する仮想空間を置くことで、リアリズム文学とファンタジー文学との融合を図る独特の作風を持ち、世界的なベストセラーとなっている。