「失敗したっていいじゃないか、人間だもの」というたぐいの言葉に救いを求める者が少なくありません。こうした見せ掛けの癒しの言い回しの裏にどんな危険性が張りついているのか考えもしないで、迂闊に手を出し、耳に響きのいい、心に束の間の安らぎを与えてくれる価値観を精神の核にひとたび据えてしまうと、その尺度が際限なく適用され、しまいには何がどうでもいいことになってしまい、人間であることを放棄するような悲惨な答えがはじき出されるのです。
「万引きくらいしたっていいじゃないか、人間だもの」ということになり、「酒や不倫やギャンブルに溺れたっていいじゃないか、人間だもの」ということになり、「人を殺したっていいじゃないか」、さらにそれがエスカレートすると、「戦争したっていいじゃないか、人間だもの」となり、「原発事故を起こしたっていいじゃないか、人間だもの」となってしまいます。
自分を甘やかしてくれる、駄目な人間であることを肯定してくれる言葉に潜む危険性に気づかなければ、何のために生きているのか、何のためにその歳まで生きてきたのかわからなくなり、結局、自分は人間としては生きられず、けだものの道を歩んだにすぎないことを悟ったところで、もっとしっかり生きれば生きられたであろう人生を、自分から棄ててしまったことに気づいたところで、今度は人間の弱さと狡さがもたらした天国なる非実在の世界にしがみついて息を引き取る羽目になるのです。