経済が疲弊し、社会全体がさまざまな厄介な問題に取り囲まれて閉塞感が募り、そんな状況を一向に打破できない政府や既成政党に苛立ちを覚え、これがこの国の限界というものだという結論に達し、民心が諦めの方向へ傾きかけたとき、いかにもそれらしい人物が登場すると、冷静な眼差しで眺めるとその言動は矛盾だらけで、しかも、中身に乏しい、勢いだけの派手なビジョンを花火のように高々と打ち上げてみせるという、その程度の、よくあるハッタリ屋の域を超えていないにもかかわらず、事大主義に毒された民は、心のなかでこんな人物が現れて世の中をいっぺんに変えてくれたらどれほどいいかという、夢の延長にすぎない願望がむっくりと起き上がることによって、待ってましたとばかりに飛びつき、その自己陶酔的な臭い芝居を堂々と演じる役者を熱狂をもって全面的に支持するようになります。
そして、大抵の場合は、その役者は調子付き過ぎ、分を弁えない、身のほど知らずな無茶な大計画に乗り出し、大失敗し、馬脚をあらわし、興ざめした大衆にあっさりと棄てられるのが落ちなのですが、しかし、稀に悪運と偶然に後押しされて巧く時代の波に乗ることがあり、偽者の強者が次第に本物らしく見えてきて圧倒的な支持へと変わってしまうこともまったくないとは言えません。
そうなると、偽りの強者は強大な権力を手に入れることによって悪しき強者に変身し、しまいには国民の手に余る怪物と化し、あげくの果てに盲目的で独善的な自己信頼によって国家をまるごと破滅へと突き落とすのです。歴史がそれを幾度となく証明しているのですが、学習能力に乏しい民には通じません。
そして、大抵の場合は、その役者は調子付き過ぎ、分を弁えない、身のほど知らずな無茶な大計画に乗り出し、大失敗し、馬脚をあらわし、興ざめした大衆にあっさりと棄てられるのが落ちなのですが、しかし、稀に悪運と偶然に後押しされて巧く時代の波に乗ることがあり、偽者の強者が次第に本物らしく見えてきて圧倒的な支持へと変わってしまうこともまったくないとは言えません。
そうなると、偽りの強者は強大な権力を手に入れることによって悪しき強者に変身し、しまいには国民の手に余る怪物と化し、あげくの果てに盲目的で独善的な自己信頼によって国家をまるごと破滅へと突き落とすのです。歴史がそれを幾度となく証明しているのですが、学習能力に乏しい民には通じません。