痛々しいほどに必死になって、ありとあらゆる方便を駆使して自分を誤魔化して生きている者たちは、合理性を極端に忌み嫌い、ああでもないこうでもないと言い訳をしながら情緒の奥へ逃げ込もうとします。
なにしろ大のおとなが懸命に知恵を絞っての誤魔化しですから、よくしたもので、一時のあいだは効果があり、逃げ切れたような錯覚に酔い痴れたりするのですが、しかし、所詮は幼稚な言い逃れであり、また、自分自身を心底納得させることは不可能であるために、いずれジレンマに陥り、また新たな弁解の言葉を探す羽目になります。
その繰り返しで何とか一生を乗り切る者もけっして少なくありませんが、それは、そうした人間がとても多いこの国だからこその特質なのかもしれません。自分もそうだから他人の誤魔化しにも目をつぶってやるということを優しさという言葉ですり替えることが横行しているために、逃避者の天国と化しているのです。
だから、誰かにその誤魔化しを鋭く指摘されると、もうそれだけで自分を全否定されたと思い込み、大混乱を来たし、逆上し、玩具を取り上げられた子どものようにヒステリックに食ってかかるのです。困ったものです。嘆かわしいことです。
おとなになるということは、安っぽい情緒なんぞを隠れ蓑にして自分を誤魔化さない人間になるということにほかなりません。いじけて駄々をこねる暇があったら、そんな自分を情けなく思い、どうにかしようと考えるべきでしょう。