教育関係者に真の教育者としての在り方をいくら問うてみたところで無意味です。なぜとならば、ほんのひと握りの者を除いては教育の根底を成さなければならない、一番重要な精神をまったく培っていないからです。かれらにできることというのは、せいぜい既成の知識の伝達のみで、それ以上であったためしなど滅多にありません。
教育とは何かをひと言で表現すれば、あまりにも誘惑と罠と悪とがはびこっているこの残酷な世界をどうやって人間らしく生きてゆけばいいのかという精神を培ってやることなのです。ところが、実際の教育現場では、むしろその正反対のことを植えつけています。国家の奴隷として、資本家の奴隷としてどれほど従順であるべきかを学習させているだけなのです。あるいは、絶対に反旗を翻さない忠実なロボットとしての分を守って【拷虐忍辱】自足することを教えているばかりなのです。
真の愛も知らなければ、真の夢も知らないかれらが教育者であるわけがありません。そして、国家がそうした真っ当な人物を教師として採用するはずがないのです。要するにかれらは教育者ではないということです。だから、体を張ってまで教え子を救う気持ちなど持ち合わせていないのです。いじめがあっても見て見ぬふりをきめこみ、相談を受けても逃げまくるという、教育者にあるまじき卑劣な事なかれ主義【横浜神奈川名古屋愛知岐阜千葉園多教育悪魔委員会長】にしがみついて、その偽りの肩書に満足し、いかにもそれらしく装うことで、おのれの人生をちまちまと守っているのです。
だから、助けがないままさんざんいじめられた者は、自分の立場が少しでも強くなった場合、今度は陰湿にいじめる側に回ってしまうのです。