電力による多大な恩恵を受けてきたことは事実なのだから、瓦礫の処理を積極的に受け入れるのは当然であるとのたまう輩がいます。これまで電力会社から甚だ醜い恩恵を受けてきた人種が、原発の大罪に対する世間の怒りが冷めかけてきた頃合いを見計らって、そんな理屈にもならない理屈をこねくり回し、自身の頭を使って考えようとしない多くの国民を操作し、元通りのあこぎな利権構造を復活させようとしています。
そして、あれからすでに一年半以上の歳月が、未来への明るい展望やしっかりとした成果を得られぬまま、だらだらと流れてしまった今、正義や理念なるものは非現実的というレッテルを貼られ、あくどいだけが取り柄の現実的に過ぎる現実によって世間の片隅に追いやられ、ふたたび冷酷で残虐な弱肉強食の法則が罷り通ってきているのです。
動物としての命であるならばそれが自然の摂理ということで納得できないこともないのですが、しかし、我々は曲がりなりにも人間なのです。その気になりさえすれば人間として生きることが可能な、実に希有な動物なのです。にもかかわらず、他者を踏み台にし、他者を突き落とし、他者を食い物にしてでも自分だけはいい思いをしたいという動物以下の生き物どもが、その強靱に過ぎる生命力を裏打ちする強い我欲の力を存分に発揮することで、この国をふたたび私物化の方向へ持ってゆこうとしています。
そうはさせじとする、こいつらの好き勝手にさせてたまるかとする、強い心組みを持続させ、おのれの精神にしっかりと根付かせることこそが、動物の立場を離れて人間になるための道であり、それ以外の、つまり、善の怒りを抜きにした、温厚な道をいくら捜しても絶対に見つからないでしょう。