文学が頭打ちになってしまったという説の根拠は、ひとえに本の売れ行きが激減し、かつてのようなぼろ儲けができなくなったということでしかありません。活字離れの時代という言い回しの裏には、いかにも本が売れまくっていた時代の小説の質が高かったかのようなニュアンスが込められていますが、しかし、実際にはそんなことはありません。かなり程度の低い代物が多く、そんな中から傑作や大御所が生まれただけで、今、冷静に読み直すと、そうした評価の大半が金メッキであったことがはっきりとわかってしまうのです。つまり、世間が持て囃していたのは幻想と錯覚であったのです。
その幻想と錯覚をもたらした最大の要因は、憧れいっぱい夢いっぱいの、少女趣味的な、幼稚なナルシシズムです。つまり、生身の人間そのものを描こうとはせず、自分がこうあってほしいと思う人間像のみを描いたのです。色男でも強い男でもなく、ために恋愛や波瀾万丈の人生とはほとんど縁のない、小心者のダメ人間が不満を解消させるためだけに書かれた小説。書き手も読み手もそのタイプが圧倒的であるために、いつしか文学とはそういうものだという固定概念が出来上がり、それ以外は無視され、また、出版社も儲けにならないことから排除してきました。
そして、この期に及んでもまだナルシシズムの鉱脈を掘りつづけるのが現状なのです。登場する新人の書き手はというと、貧乏な田舎者が精いっぱい気取り、そうした環境に身を置きたいとする洒落た舞台で洒落た人間を動かして洒落たドラマを創るのですが、悲しいかな、そうすればするほど書き手当人の薄っぺらな人生観がまるだしになり、惨めな境遇が浮き彫りになるばかりです。