他の国々と同様、アメリカという国もまた誰が大統領になったところで未来に対する基本的な姿勢はほとんど変わりません。アメリカという国が最も重きを置いているのは、要するに暴力による世界支配であり、それさえ実現できていれば経済的な支配も自ずと後から付いてくるという、非人間的というか、動物的に過ぎるというか、あまりに露骨な力の誇示以外の何かではないのです。
突出した軍事力を維持するためには図抜けた経済力が欠かせず、つまり、軍事大国と経済大国は表裏一体の関係にあり、これではいつまで経っても幸福な時代が訪れるわけがなく、奴隷的兵士と奴隷的労働者として扱われる国民は、いやしくも民主主義国家においては誰にも奪えないはずの権利をさんざん踏みにじられることになり、支配する側と支配される側の図式はますます顕著になってゆき、少数の幸せに対して多数の不幸せという野蛮な割合が罷り通ってしまいます。
ちなみに、戦前の日本は、経済大国をめざすための軍事大国へと傾斜し、そしてそのバランスが最後まで取れないまま破滅の坂道を転げ落ちてしまい、戦後の日本は、軍事大国をひそかに狙いつつも、アメリカの軍事力に頼って上辺だけの経済大国へと向かっていることに満足しているうちに、結局は経済力と軍事力の密接な関係という暗黒の真理に叩きのめされ、自慢だった経済さえも急速に萎んでいったのです。そして時代は、右翼の台頭を許す方向へと舵を切りつつあり、凄まじい犠牲を払ってしまった先の戦争から得たはずの教訓は蔑ろにされつつあり、あの反省は単なる情緒的なものでしかなかったことが証明されつつあるのです。大国であることの必要性とは一体何でしょう。