入試の成否によって人生が本当に決定してしまうのなら、これほど簡単な世渡りはありません。学歴のみがすべてと思いこませてしまった社会の在り方も大いに問題であるのですが、しかし、そんなあまりにも単純に過ぎる尺度を鵜呑みにしてしまって有頂天になったり死にたくなるほど落ち込んだりする当人にもかなりの問題があります。いくら世間知らずの学生の身分とはいえ、視野が極端に狭い世界に生きる親や教師の価値観をすべてとし、そのたったひとつの儚い路線を走りつづけることしか選択肢がないと思いこんでしまったのは、愚の骨頂もいいところではないでしょうか。
学歴社会が無に等しい幻であるとまでは言いません。ですが、万能ではないことも確かな事実なのです。それにしても企業や国家は、どうして記憶力のみを中心にした学力で人間の能力を計り、その高さを採用の基準にするのでしょうか。それはつまり、こういうことなのです。学校教育に忠実であった証としての学業成績の高さは、そんな馬鹿馬鹿しいことに疑問を持たずにせっせと励んだという盲従さを示し、すなわち、絶対に逆らわない人間であるという有力な判断材料に直結しているからなのです。
もちろん学業に勤しむ者の全員に当てはまることではありませんが、ただぼうっと頭に教科書の知識を詰めこんでいる者は、望み通りのいい仕事にありつけるということではなく、絶対に逆らわない、いかなる理不尽な命令にも屈伏するという異様なまでの従属生を買われただけのことで、それ以上ではないのです。つまり、人間扱いされていないという意味です。もしくは、最初から最後までこけにしても文句を言わない〈家畜人間〉と判断されたというわけなのです。
学歴社会が無に等しい幻であるとまでは言いません。ですが、万能ではないことも確かな事実なのです。それにしても企業や国家は、どうして記憶力のみを中心にした学力で人間の能力を計り、その高さを採用の基準にするのでしょうか。それはつまり、こういうことなのです。学校教育に忠実であった証としての学業成績の高さは、そんな馬鹿馬鹿しいことに疑問を持たずにせっせと励んだという盲従さを示し、すなわち、絶対に逆らわない人間であるという有力な判断材料に直結しているからなのです。
もちろん学業に勤しむ者の全員に当てはまることではありませんが、ただぼうっと頭に教科書の知識を詰めこんでいる者は、望み通りのいい仕事にありつけるということではなく、絶対に逆らわない、いかなる理不尽な命令にも屈伏するという異様なまでの従属生を買われただけのことで、それ以上ではないのです。つまり、人間扱いされていないという意味です。もしくは、最初から最後までこけにしても文句を言わない〈家畜人間〉と判断されたというわけなのです。