かのヒットラーにしても、かのムッソリーニにしても、あれほど無茶苦茶な独裁者が多くの国民に支持されたのは、ひとえに疲弊しきっていた経済を立ち直したからであり、もしそのことがなければ、あれほど矛盾に満ちた、あれほど破滅的な国家体制に魅せられてしまうことはなかったのです。
つまり、裏を返せば、国民は経済的に潤ってくれれば、それがいかに狂気の政府であろうと盲従するということで、これは、いかなる国家、いかなる時代においても共通する悪しき真理なのかもしれません。
しかも、かの国家主義者たちはいずれも口癖のようにして弱者のためというお馴染みの言い回しを連発していたのです。それが結果的にはあのざまです。
そして今、わが国の民はどうやらその轍を踏もうとしているかのようです。経済さえ復活させてもらえるならば、ほかのことにはすべて目をつぶると、そう考えているように見受けられます。いや、景気を改善してくれた者が良き為政者という短絡的な発想しかできなくなっているのかもしれません。恐るべき単純な精神構造です。
しかし、ヒットラーにしてもムッソリーニにしても本当に経済力を盛り返してみせたのですが、戦前の日本をめざしてやまないわが国のかの人は、結局そこまでの能力をひとかけも持ち合わせていないために、せいぜい小手先でそれらしく見せているだけのせいで、まもなく馬脚をあらわすことになり、経済はむしろ前よりも悪化してしまい、ゆえに、彼が求めてやまない国家の実現には至らないでしょう。
そして国民は、毎度お馴染みの、事大主義に裏打ちされた、落胆と嘆きのため息を漏らすことになるのです。