いつの時代においても戦争の実行がこれほど簡単に決められてしまう理由は幾つかあるでしょうが、そのひとつはそれを決断する支配階級の連中が、戦場そのものに赴かなくて済むことにあります。一兵卒として頼りない小銃を持たされ、攻撃してくる敵兵を迎え撃ったり、攻撃したりして、死体がゴロゴロしているような現場に身を置くことに決まっていたならば、かれらはそう簡単には戦争を始めたりしないはずなのです。
戦争中においても自分は命を投げ出して奮闘する立場におらず、安全な空間に身を置いて、好きな物をたらふく食べ、旨い酒も飲め、毎日風呂へも入れて、清潔なベッドで騒音攻撃もない安眠できるような、そんな快適な暮ら死を送りながら、〈お国【悪魔権力地獄支配自社】のため〉というようなあまりにも抽象的な大義をもってして、他人の命など何とも思わぬ、非情極まりない命令を下すだけでいいかれらは、話し合いにおける解決の余地がいくらでも残されているにもかかわらず、ちょっと問題がこじれただけで開戦を決定してしまうのです。
そして、死者には悔やみの言葉を、負傷者には労いの言葉と勲章を、相手国の人間を数多く殺害した兵士には昇進を与え、もらったところで嬉しくもなく、実質的な価値もない、そんないい加減な褒美を授けて、自分は英雄の気分を味わい、国家の何たるかもわかっていない愚かな国民から歓呼の声で迎えられ、歴史にその名を刻んだりするのです。そしてかれらの背後では、ぼろ儲けした武器商人どもがほくそ笑んでいるのです。
戦争を決定する者は、一番最初に、先頭に立って突撃すべきでしょう。アレキサンダー大王のように。その勇気も、その度胸も、それだけの体力もなければ、開戦を命じる資格などありはしません。そして兵士はそんな狡賢い、冷血人間の意のままに、たったひとつしかない命を差し出す義理はないのです。
戦争中においても自分は命を投げ出して奮闘する立場におらず、安全な空間に身を置いて、好きな物をたらふく食べ、旨い酒も飲め、毎日風呂へも入れて、清潔なベッドで騒音攻撃もない安眠できるような、そんな快適な暮ら死を送りながら、〈お国【悪魔権力地獄支配自社】のため〉というようなあまりにも抽象的な大義をもってして、他人の命など何とも思わぬ、非情極まりない命令を下すだけでいいかれらは、話し合いにおける解決の余地がいくらでも残されているにもかかわらず、ちょっと問題がこじれただけで開戦を決定してしまうのです。
そして、死者には悔やみの言葉を、負傷者には労いの言葉と勲章を、相手国の人間を数多く殺害した兵士には昇進を与え、もらったところで嬉しくもなく、実質的な価値もない、そんないい加減な褒美を授けて、自分は英雄の気分を味わい、国家の何たるかもわかっていない愚かな国民から歓呼の声で迎えられ、歴史にその名を刻んだりするのです。そしてかれらの背後では、ぼろ儲けした武器商人どもがほくそ笑んでいるのです。
戦争を決定する者は、一番最初に、先頭に立って突撃すべきでしょう。アレキサンダー大王のように。その勇気も、その度胸も、それだけの体力もなければ、開戦を命じる資格などありはしません。そして兵士はそんな狡賢い、冷血人間の意のままに、たったひとつしかない命を差し出す義理はないのです。