実体の欠落した、見せかけだけの好景気の気配は、そのハッタリが通用する短い期間を過ぎて、いよいよ化けの皮が剥がれるときがやってきました。残念ながら、いや、当然ならがら、今年はきっとそういう年になるでしょう。しかし、ご多分にもれず、そうした危機をどうにかできるほどの人物は現れず、というか、どこにもおらず、ために、成り行きに任せてずるずると後退して行き、収拾のつかないところまで追いこまれ、今度こそ手の打ちようがない低迷の淵へ投げこまれ、その反動として、身の程知らずもいいところの右傾化がますます勢いを増すことになるでしょう。
それと同時に、真っ当であるべき人間性がどんどん腐ってゆき、全体主義国家主義のなかでしか呼吸ができない、《昆虫型国民》の数が急増し、そこに加わることを潔しとしない少数の者たちは弾圧の対象とされ、沈黙のなかへ逃げこむか、地下へ潜るかの二者択一を迫られることになるでしょう。
他者と肩を並べることを強いる社会と、国家が押しつける歪んだ教育と、政府の宣伝係を務めているとしか思えぬマスコミによって去勢された若者たちは、どう頑張ったところで個人の夢を描けない状況の原因が国家体制にあるという事実に目をつむり、国家の敷いたレールを走ることに希望が満ちあふれているものと錯覚し、国粋主義がもたらす悪夢に酔い痴れているうちに軍服を着せられ、銃を持たされて、消費される兵士のひとりとして、殺し合いの現場へ放りこまれていることでしょう。
野党は野党であるという立場に満足しきっており、本気で与党の暴挙を阻止する気力もなければ、そのための能力も具えてはいないのです。