自分自身以外の誰かの力に頼ろうとしたり、すがろうとしたりする、ちょっとした心の隙を放置しておくと、たちまちろくでもない他者につけこまれ、心や精神のみならず、ときには魂そのものまで乗っ取られてしまい、為政者や教祖や実業家や皇族や国家や著名人のカモにされたり、〈生きているロボット〉か、さもなければ、〈自分から買って出た奴隷〉と化してしまいますが、それにしてもその人数のなんと多いことでしょう。
これはあくまで私個人の印象なのですが、日本人の大半がそれのように思えてならないのです。そうでなければ、勝てるはずもない先の戦争も、あの原発犯罪も、心の貧しさを後回しにした経済的繁栄も成り立つわけがありません。
強者にすがろうとするのは、弱者の常なのですが、しかし、実際には弱者などではなく、弱者のふりをしていたほうが楽だからという、潜在的な強者の予備軍なのです。尊厳や権利をしっかりと身につけた、一個の独立した存在、自立をめざす人間らしい人間の方向へとおのれを少しでも近づける努力を最初から放棄し、いかにもそれらしく思える、腹黒い他者に心身を委ねてしまうのは、愚劣であるばかりで卑劣なことなのです。その意味において日本人は品格のかけらも持ち合わせていないことになり、相手によってころころと立場と意見を変える、実に信用ならない国民ということになるでしょう。そして、世界の国々から露骨にそうした眼差しを向けられ、孤立の立場に置かれている自国に気づいたとき、だしぬけにヒステリックな答えを出し、つまり、愛国の精神とやらにしがみついて劣等意識を拭い、国民の優位性を旗印に、敗れて当然の戦争を仕掛けるのではないでしょうか。そして今、その兆候があちこちに感じられてならないのです。