明確な狙いも、緻密な計画性も持たない、単なるナルシシズム的な情緒のみで推し進めている右傾化の行き着く先は、先の太平洋戦争と同様、取り返しのつかない破滅と破局しかありません。要するに、何も考えずに、単なるムードのみで民族主義や国家主義や全体主義や帝国主義を標榜するとは、なんと幼稚で、なんと恐ろしい人種であることでしょう。そして、そんな狂的な政策や国策に対して異を唱えないどころか、ただ単に威勢がよさそうだとか、頼もしそうだとかそんな子ども染みた発想で異様な政策を平気で支持する国民のなんと多いことでしょうか。
しかし、これはほかの国においても同様で、日本に限ったことではありません。強者に従って生きたいという願望は本能と表裏一体のものであるのでしょうが、これをどうにかするのが知性であり、理性であって、それを発揮できる能力は万人に等しく具わっているはずなのです。ところが、知性や理性を働かせるにはそれなりの努力と葛藤が必要であり、これを妨げるのは感情と欲望であって、双方の強さは互角ならまだしも、実際には九対一くらいか、それ以下の割合ですので、結局は動物的な、非人間的な答えが出されてしまい、性懲りもなく野蛮な選択をし、幾度でも同じかそれ以上の悲劇に呑みこまれることになるのです。知性にしても理性にしても、その根っこのところでは理念につながっていなければなりません。さもなければ、それは悪知恵以外の何ものでもないのですが、教育人だの知識人だの分が人だのと称されている連中の大半は、甚だ残念なことに、真の知性も、本物の理性も具えておらず、悪知恵の持ち主として世にはびこっているばかりの存在でしかなく、そんなかれらに飴玉をしゃぶらせているのが権力というわけなのです。