原発と、目先の利益をその危険性に優先させた関係者たちは、今もなお日本中に、いや、世界中に、ひそやかにして確実に汚染が拡大しているにもかかわらず、廃炉という答えを出さないどころか、ますますそこから離れて行き、ふたたびあのぼろ儲けの時代を呼び戻そうと画策し、徐々にすれが功を奏し始めており、被害者は泣くだけ泣いて、怒るだけ怒ったあとは、「だって、起きてしまったのだからどうしようもないじゃないか」という、いかにも日本人らしい淡白極まりない諦念へと逃げこみ、明日の生活を優先させることだけが前向きな生き方であると頑なに信じて、悲劇の真の原因を突きとめようとしたり、二度と起こさないための方策を模索したりすることを避け、厭なことは一日も早く忘れてしまいたいだけと言わんばかりに、真実と現実から目を背けているようですが、これでは悪党どもの思うつぼに嵌まるだけで、コケにされっぱなしの人生に甘んじているばかりか、自分から隷従の色に染まっているようなもので、それでは人間の人生を生きたことにはならず、せっかく人間に生まれついた価値を、自ら放り出してしまっているようなものなのです。
不手際の連続と、アイデアの貧困と、やる気のなさによって、大破壊を招いた、あの大問題の原子炉が、この先、すんなり処理されるとはとても思えませんし、最悪の事態を呼びこむ危険性も充分に想定されるのです。それにもかかわらず、原発を続行しようというのです。しかも、オリンピックなんぞという、所詮はその場限りのお祭り騒ぎで、あの悲劇の穴を塞げると思いこみ、そう信じることが明るい未来につながる発想だと本気で信じこんでいるのだとしたら、この国の将来に希望の明るりが点ることは永久にはないでしょう。
不手際の連続と、アイデアの貧困と、やる気のなさによって、大破壊を招いた、あの大問題の原子炉が、この先、すんなり処理されるとはとても思えませんし、最悪の事態を呼びこむ危険性も充分に想定されるのです。それにもかかわらず、原発を続行しようというのです。しかも、オリンピックなんぞという、所詮はその場限りのお祭り騒ぎで、あの悲劇の穴を塞げると思いこみ、そう信じることが明るい未来につながる発想だと本気で信じこんでいるのだとしたら、この国の将来に希望の明るりが点ることは永久にはないでしょう。