日本付近のプレートの分布および、本震震源域・余震域の分布とメカニズム

日本観測史上最大の規模

気象庁は当初マグニチュードを、気象庁マグニチュードで7.9と速報値を発表したが[44]、後に8.4という暫定値を発表した[52]。その後、新たに[53]モーメントマグニチュードで8.8と発表[54]し、1900年以降で最大だった1933年昭和三陸地震のMw8.4[55]や1963年択捉島沖地震のMw8.5を上回って、日本の近代地震観測史上最大となった。さらに、3月13日には外国の安定した遠地波形データも用いて9.0と発表した[5][注 8][注 9]。通常、日本の地震で使用されるマグニチュードは「気象庁マグニチュード (Mj)」と呼ばれるもので、発表されたM7.9、8.4は気象庁マグニチュードの値であったが、M8.8、9.0は「モーメントマグニチュード (Mw)」の値であった[5][注 10]。M9.0は、大正関東地震1923年)の約45倍、兵庫県南部地震1995年)の約1450倍のエネルギーに当たる[56]

気象庁は、地震発生3分後にMj7.9と推定した時点ではマグニチュードの「頭打ち」が起こっているとは認識できず、想定されていた宮城県沖地震が発生したものと判断した[57]。しかし実際には地震があまりに巨大だったため、地震発生から約1時間14分後(16時)に発表された暫定値の気象庁マグニチュード8.4でも正確な規模の把握はできなかった。通常15分程度で算出できるモーメントマグニチュードも、国内の広帯域地震計がほぼ振り切れたため対応できず、国外の地震波形データを用いMw8.8と算出したのは約54分後(15時40分)と時間が掛かった(報道発表は精査後の17時30分、地震発生から約2時間44分後)[58][59]。しかし、長野県長野市松代にある気象庁精密地震観測室では、アメリカ地質調査所 (USGS) が運営するライブ・インターネット地震サーバー (LISS:Live Internet Seismic Server) などのデータを解析[60]し地震から約10分後にはM9を算出していたがこの計算結果は警報に使用されなかった[61]。また、アメリカ地質調査所は当初、モーメントマグニチュードを8.8と発表[62]、地震発生から約34分後に8.9、約6時間後に9.0と速報値、同15日に確定値を発表し[19][59]、1900年以降に世界で発生した地震の中で4番目の規模と発表した[20]

海溝型地震・広い震源域

気象庁や東京大学地震研究所などによると、この地震は、断層面が水平に対して10度と傾きが浅く、西北西-東南東方向(ほぼ東西方向に近い)に圧縮される、低角逆断層(衝上断層)型のずれであった。水平方向の変位量が大きく、東北地方の太平洋沖地域に特徴的なタイプの海溝型地震である[5][9]。断層の破壊が始まった震源地は三陸沖だが、最終的に断層が破壊した震源域日本海溝下のプレート境界面に沿って南北に長く、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200km、深さ約5km - 40kmの範囲で、合計約10万km²の広範囲に及ぶ[5][63]。一方、スマトラ島沖地震 (2004年)では破壊域が長さ1000kmを越えたが、東北地方太平洋沖地震ではわずか500kmの破壊域でM9を発生させていて、これは宮城県沖の震央付近での変位量が極めて大きかったことを意味している[64]

連動型地震

気象庁は地震発生後、この地震は単一ではなく、3つの地震が連動したもの(連動型地震)と解析した[5][17]。会見で同庁地震予知情報課の課長は、「5分前後かけて連続して発生するという、複雑な起こり方をしている。極めてまれで、気象庁の観測で初めての経験」と述べた[65]文部科学省地震調査委員会は13日に臨時会を開き、破壊断層は南北に400km、東西に200kmの広範囲で、少なくとも4つの震源領域で3つの地震が連動発生したと述べた[66]。東京大学地震研究所は、「大きな断層破壊が、1.宮城県沖、2.宮城県のさらに沖合、3.茨城県北部沖の陸に近い部分、の順に起こった」と説明している[67]。このうち第2の断層破壊で非常に大きな地殻変動が起きており、最大滑り量は30m超あるいは60mと推定されている[68][69]。この最大滑り量は2004年スマトラ島沖地震など世界の他の超巨大地震よりも大きく世界最大のものである。震源域の中で強い地震波を放出した点(破壊が大きいところ、セントロイド)は大きく震源の東側付近と茨城県沖の2つに分かれており[70][71][63]、連動型地震特有の長く複雑な破壊過程を経た。震源域が広いため広範囲で揺れを観測し、プレート境界深部が破壊したため震源域近部では強震となった。また、プレート境界浅部が2度にわたって破壊したことで2つのピークを持つ大津波を生じた。

地震波の解析により、プレート境界の海溝側の浅い部分と陸地側の深い部分で往復する形で破壊が進行したことが判明し、2011年5月20日付けのサイエンスに発表された[27]。海溝側の浅い部分の破壊は津波地震の特徴でもあり、これにより津波が巨大化した可能性も指摘されている[28]

  1. 発生から3秒間は浅い(約25km)海溝側で、3月9日に発生したM 7.3の前震よりも小さい、緩やかな初期破壊。
  2. 40秒かけて深部(約40kmまで)に破壊が伝播し、短周期の地震波により陸上の激しい揺れをもたらす。
  3. 続いて発生60-75秒後にかけて浅い海溝付近でダイナミックオーバーシュート(dynamic overshoot、動的過剰滑り)により長周期の地震波と大規模な津波を発生。
  4. その後、再び深部へ破壊が伝播し、発生90秒後にかけて短周期の地震波により再度陸上の激しい揺れをもたらす。大きな破壊は100秒後までに止む。

この蓄積された歪を超える滑りであるダイナミックオーバーシュートによる強大な津波の発生メカニズムが明らかとなり、1896年の明治三陸地震津波は海溝側の浅部の滑りにより強大な津波が発生したものと理解される[72]

また、海底活断層や約100万年前に日本海溝から北米プレート下に沈み込んだ海山が関与している可能性も指摘されている[73][74]。この地域のプレート境界は元来摩擦が少なく固着しにくいとされ、M9規模の超巨大地震が発生した原因はこれまで不明となっていたが、この海山が留め金として働いていた可能性があるという[注 11]

小山 (2013) らは、本地震が従来連動型地震の起こりにくいとされてきた比較的高角の沈み込み帯である日本海溝で発生したこと、三陸沖中部から茨城県沖の陸側の震源域の連動に加えて海溝寄りまで震源域となり2重の地震セグメント帯 (Double Segmentation) であったことなどから、Single Segmentationと推定される1707年宝永地震や1960年チリ地震などとは異なる発生過程をたどったと考えた。従来低角でチリ型の沈み込み帯に分類されていた南海トラフやチリ海溝南部は地震前には明確な地震空白域を形成しているが、本地震の発生した日本海溝では明確な空白域は見られない、あるいはDouble Segmentationと推定される本地震や1964年アラスカ地震などでは狭い範囲に超大すべり域が存在するなどの特徴が見られ、超巨大地震にも多様性があることが示された[75]

地震波・揺れの特徴

本地震の本震による揺れの特徴として、広範囲で強い揺れに見舞われたこと、揺れの継続時間が長かったこと、長周期地震動が広範囲で長時間発生したこと、短周期の揺れが主体で家屋被害は比較的起きにくかったことが挙げられる。

本震では、地震動の発生源である断層の破壊が複雑な過程で約100秒間も続いた[27]。この中には、1.宮城県沖、2.宮城県のさらに沖合、3.茨城県北部近海での計3回の大きな断層破壊が含まれており、各地の地震波形にそれが表れている。地震波は秒速3-7kmという限りある速度で伝播するため、異なる場所で発生した地震波が時間差で到達し、破壊継続時間以上の長さで強震が継続した[76]

青森県から神奈川県にかけての各地で、震度4以上の揺れの継続時間が軒並み2分(120秒)を超え、特に崩壊範囲の中間に位置する福島県いわき市で3分10秒(190秒)に達するなどした[77]。また、地震動を感じ始めてから最大の震動を記録するまでの時間が長く、宮城県仙台市では約30秒後、茨城県日立市では約70秒経過後であった[78]。仙台市や塩竈市でも3分程度揺れが継続し、数十秒間だった1995年兵庫県南部地震や1978年宮城県沖地震と比べて非常に長かった[79]

また日本全国で長周期主体の地震動を観測した。変位応答スペクトル波形では周期7秒付近に変位40 - 50cmのピークがあり、7秒前後の固有振動周期をもつ建物の揺れが大きかったと分析されている。また高層建築物の高層階で片振幅最大30 - 60cm程度の変位が観測された[80][81]。それでも、M9という地震の規模の割には長周期の揺れは小さかった[82]

岩手・宮城・福島・茨城・栃木の各県で観測された本震の地震波の波形を速度応答スペクトル解析した結果によると、極短周期地震動・短周期地震動に当たる周期0.1 - 1秒の範囲で最も大きな揺れが見られる地点が多く、それより長い周期では相対的に揺れは小さかった[80]。宮城県栗原市築館(震度7)、塩竈市、茨城県日立市では、「キラーパルス」(一般的な木造住宅への破壊力が最も生じやすい揺れの周期)に当たる周期1 - 2秒では100カイン (cm/s) であり、木造家屋の倒壊被害が目立った1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)における200 - 300カインに比べて小さく、家屋被害は起きにくい揺れだったと考えられる[83][82]。震度7を観測した栗原市においても全半壊した建物は47棟で、死者は0人だった[84]。一方で家屋被害は宮城県と福島県を中心に、茨城県にまで及んだ。震源域の中間に位置する福島県では、震源に近い浜通りだけではなく、内陸の中通り地方でも土砂の崩壊や家屋損壊が目立ち、矢吹町(震度6弱)では30%の家屋が全半壊し、郡山市(震度6弱)でも2万棟の家屋が全半壊するなど、他県の内陸市町村に比べて特に被害が集中した。

過去の地震・想定地震との比較

詳細は「東北地方太平洋沖地震及び津波のメカニズム」を参照

地震調査委員会の想定[編集]

この地震の震源となった三陸沖は、フォッサマグナより東側の日本(東北日本孤)を乗せている北アメリカプレートオホーツクプレート)に対して、太平洋の広範囲を乗せている太平洋プレートが年間約8cmの速さで東南東から押し寄せ、青森県から千葉県にかけての沖合にある日本海溝を境にして東北地方関東地方の下に沈み込んでいる[85]。太平洋プレートが沈み込んでいるこの付近には、M7を超えるような海溝型地震の震源域が多数存在しており、本地震発生前の段階で地震調査委員会ではこの地域を以下の8つの領域に区切ってその発生間隔や確率を評価していた[86][87]


三陸沖〜房総沖の海溝型地震想定震源域
日本海溝の海溝型地震の発生評価
(2011年1月1日、地震調査委員会)
東北地方太平洋沖地震による破壊の程度
(4月11日発表)
発生評価 
(2012年1月1日)
領域
(上掲の想定震源域画像参照)
M 30年以内の
発生確率
M 30年以内の
発生確率
三陸沖北部 固有地震 M8.0前後 0.5 - 10%  - M8.0前後、
Mt8.2前後
0.7 - 10%
固有地震以外 M7.1 - 7.6 90%程度 M7.1 - 7.6 90%程度
三陸沖中部  -  - 震源域にも含まれる  -  -
 
宮城県沖
固有地震 M7.4前後 99% 震源域にも含まれる M7.4前後 不明
固有地震以外 M7.0 - 7.3 60%程度
  (宮城県沖と三陸沖南部海溝寄りの連動) M8.0前後  -  -
  すべり量が大きい
※本震の震源域
三陸沖南部
海溝寄り
固有地震 M7.7前後 80 - 90% M7.9程度 ほぼ0%
固有地震以外 M7.2 - 7.6 50%程度
福島県沖 M7.4前後が
複数回連続
7%程度以下 震源域にも含まれる M7.4前後が
複数回連続
10%程度
茨城県沖 固有地震 M6.7 - 7.2 90%程度以上 震源域にも含まれる
※M7.6の最大余震の震源域
M6.9 - 7.6 70%程度
固有地震以外 M6.7 - 7.2 90%程度か
それ以上
房総沖[注 12]  -  -  -  -  -
三陸沖北部から房総沖の海溝寄り 津波地震 M8.2前後 20%程度 一部すべり量が大きい Mt8.6 - 9.0 30%程度
正断層型 M8.2前後 4 - 7% M8.2前後、
Mt8.3前後
4 - 7%
東北地方太平洋沖型の地震  -  - Mw8.4 - 9.0 ほぼ0%

このうち「宮城県沖地震」の領域は30年以内にM7.4前後の地震が99%で発生するという評価がなされていた上、平成17年の地震によってそのアスペリティの一部(3つのうち1つ)が破壊された、つまり宮城県沖地震は平成17年(2005年)に部分的に再来したと考えられ、残りの2つのアスペリティは近いうちに破壊されて地震を起こすと考えられていた[注 13]

断層の破壊が最初に始まった(震源)「三陸沖南部海溝寄り」やその海溝側にあたる「三陸沖から房総沖の海溝寄り」の中部で20mを超える非常に大きな断層運動が発生したのをはじめ、この地震の南北500km・東西200kmにおよぶ震源域は、「三陸沖中部」、「宮城県沖」、「福島県沖」、「茨城県沖」の計6つの領域に及んでいた。破壊は牡鹿半島沖の震源から南北へ連鎖的に進んでいったが、北米プレートの下に沈み込んだフィリピン海プレートの北東端が地殻破壊の南下を食い止め、「房総沖」の北隣の「茨城県沖」で止まった。また、北側では1994年三陸はるか沖地震あるいは1968年十勝沖地震(「三陸沖北部」に該当する)の震源域南端付近で止まっている。このような広い震源域を持つM9の巨大地震は、従来想定されていなかった。