朝鮮人特攻兵の慰霊碑 | 田口裕史のブログ

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 5月11日付毎日新聞に、朝鮮人特攻兵に関する記事が掲載されていた。
 女優の黒田福美さんらが、韓国・泗川(サチョン)市に朝鮮人特攻兵、卓庚鉉(タク キョンヒョン)さんの慰霊碑建立を計画。10日に除幕式を行なう予定だったのだが、地元からの強い反対にあい、中止されたという話だ。

毎日新聞08年5月11日付記事Livedoor Newsの記事
産経新聞08年5月10日付記事
西日本新聞08年5月10日付記事
デイリースポーツ08年5月9日付記事

 慰霊碑に反対する人びとは、「特攻隊は日本軍の協力者だ」と主張しているらしい。
 本来、日本の植民地支配の被害者であるはずの朝鮮人特攻兵が、祖国の人びとから「対日協力者」とみなされてしまっている。二重の被害だ。「対日協力者の家族」という視線のなか生活してきたであろうご遺族のことを考えると、胸が痛む。

 死者を取り戻すことはできなくとも、「対日協力者」という偏見を改善することは不可能ではない。そしてそれは、朝鮮人青年を軍に動員し、特攻死を強いた日本側の責任として行なわれるべきことだろう。国の責任として、それを行なう必要があると思う。
 
 黒田さんは、長年、韓国との友好に努力をしてきた人物だ。今回の慰霊碑建立がどのような経緯でなされてきたのか私は詳細を知らないが、ここから地元の人びとと丁寧な対話が粘り強く行なわれることを期待したい。
 ちなみに、黒田さんらがこうした苦労を引き受けなければならないのも、植民地支配に対する国の態度表明のいい加減さに起因する。それを忘れたくはない。

 最後に、ひとつ気になったことを述べる。
 個人的には、なぜ慰霊碑なのかという疑問がある。
 慰霊碑は、人びとの「感情」を動かすものだ。「感情」への訴えは曖昧さを抱え込み、そこには無限の解釈が成立し得る。朝鮮人特攻兵たちの置かれた具体的状況への理解がじゅうぶんでないところへ、慰霊碑を、しかも日本人主導でつくるということになれば、「対日協力者への顕彰行為」と見なされてしまってもいたしかたのない部分もあろう。
 必要なのは事実を共有し、理解を広げることだと私には思える。慰霊碑の建立には地元市長も協力したようだが、地元との協力関係のなかで事業をすすめるならば、たとえば公立図書館に朝鮮人特攻兵の遺書や関連資料を提供するとか、小さな「資料室」を開設するなどして、特攻死を強いられた人々の現実を理解できる場をつくるという選択をしてもよかったのではないだろうか。一定の事実を踏まえたうえで特攻兵への評価を論じ合うということであれば、問題への理解を深める結果につながるだろう。慰霊碑のような「感情」への訴えは、こうした「土台」がつくられたあとでなければ、意味がない。むしろ、事実へのじゅうぶんな理解なしに動かされる「感情」は、思わぬ方向へ走り出す可能性さえある。
 欧州には、ナチス犯罪を記憶するためのモニュメントが多数存在するが、その背景には、膨大な事実の蓄積とその共有の努力がある。
 戦争の死者の問題となると、とにかく慰霊碑という話になるのは、いったいどういうわけだろうか。