仏陀離婚、即再婚は天上界の予定なのか? | 幸福の科学を統一教会の信者が見ると

幸福の科学を統一教会の信者が見ると

幸福の科学も統一教会も、同じカルトじゃないかって?まあそうかもしれないけど、幸福の科学を見てるといろんなことを考えさせられるんですよ。「真実は小説よりも奇なり」

今回の記事は、「大川隆法の予言はなぜ外れるのか?」の続きである。


大川隆法氏ときょう子夫人との離婚は「神の予定」なのか?

きょう子夫人は文殊菩薩だ、アフロディーテだと言っていたのが
「実はユダだった」という設定なので、
「いずれ離婚するようになる運命だったのだ。
主は何の過ちも犯していない」

というのが幸福の科学の見解だろう。

さらに再婚した近藤志央さんは
始原の神アルファとともに人類創世に携わったガイアの転生なのだという。

仏陀の離婚、そして即再婚も天上界の予定通り
ということだ。


しかし、一方では、「神の予定ではなかった」
本当は夫婦としてまっとうすべきところを
大川隆法氏は失敗してしまっのだ
、という解釈もできる。

そして私は後者をとる。


歴史にIF(もし・・・だったら)はないというが、

大川隆法氏が

もし、夫婦の不和を収めることができていたら。

もし、離婚しなかったら。

もし、離婚が決定的になったとしても、きょう子夫人に対して信者をあげて「悪妻封印祈願」をしたり、「イスカリオテのユダ」などと言っておとしめていなかったら。

もし、種村修氏が決死の覚悟で手紙を送ってきたとき、それを謙虚に受け止めていたら。

いまほど、多量の退会者やアンチを生むことはなかっただろう。
また、幸福の科学の未来は、まったく違っていただろう。


きょう子夫人の悪妻ぶり、悪母ぶりは
ファルコン氏の告発に、克明に記されていたし、
それが正しかったことは、のちに大川隆法氏自身が著書で証明した。

  

離婚騒動の時、5人の子どもたちは全員、
父親のほうについたという。

きょう子夫人は、家事も子育てらしきことも、何にもやらなかったらしい。

結婚生活は、ほとんど尻にしかれる状態だったのだろう。
大川隆法氏にとって、自分の手に負えない妻、
気の強い妻は年月とともにだんだんと疎ましくなっていったと思える。

癒されたい思いや、夫人への反発心で
身近な女性たちに心をひかれていったとしても、
わからなくもない。

しかし、夫として強い夫人をみごとにおさめて
夫婦瑞祥を貫いていたならばどうなっていただろうか?

今ごろは、「夫婦の法」「家庭円満の法」を堂々と説くことができたのではないか?

それこそが天上界の本来の予定だったのではないか?

「これが家庭ユートピアの見本だ。
私たちも順風満帆だったわけではない。
じつはとてもとても大変だった。
何度も離婚の危機があった。
そんな私たちでも危機を乗り越え
こうして夫婦で添い遂げているのだから
あなたがたも私に見習って、幸せな家庭を築きなさい」


このように宣言した時、
「仏陀再誕」の書籍における家庭ユートピアの記述も
さらに重みと説得力を増すのだ。

(「仏陀再誕」より)
「およそ信仰においては、まずよき土壌が必要である。
よき土壌とは、調和された家庭のことである。
夫婦ともに信仰心に満ち、調和に満ちていることが大事だ。

このようにユートピアの建設は、仏国土の建設は、
まず家庭から始めねばならない。
家庭に始まった仏国土の建設が、いちばん大事である。


あなたがたも、私の次なる言葉をよくよく聞きとってほしい。
まず、家庭をおろそかにしてはならない。
家庭をおろそかにして仏国土建設ということはありえないということを、
肝に命じなさい。

自らの家庭をおろそかにして、
たとえ外においていかなる慈善事業をしようとも、
たとえ外においていかなる難民救済をしようとも、
たとえ外においていかなる献金をし、いかなる信仰深い行為をしたとしても、
もし、家庭というものをおろそかにしたならば、
そのような信仰は本物ではない。

まず、自らの家庭をユートピアにせずして、
全世界をユートピアにすることはできない。




すばらしい、そのとおりである!

これがそもそもの神の予定だったのではないかと思えてならない。

しかし、大川隆法氏は、天上界の予定であった家庭ユートピアつくりに失敗したのだ。


神の願いは人間の限界を越えているときもある。

神の予定に対して、人間の行動が
それにかなわないときもある。

どんなに頑張っても、届かない時もある。

しかし、失敗したままの神ではない。

そこから直ちにまた、新たな道を準備されるのが神なのだ。

何度も何度もチャンスをくれる。

だから、大川隆法氏は
何度も何度もそのチャンスを逃したといえる。



神は何度も何度も再起のチャンスを与えてくれた。
決して見捨ててはいなかった。

良心の声は叫んでいたはずだし、
心ある弟子たちが進言してくれていた。

しかし、それを否定し、成せなかったのは
誰の責任でもない、大川隆法氏の責任である。


天上界の予定は、あくまでも、使命を果たしてほしい、
善なる方向へ信者を導いてほしい・・・ということではなかったか?

しかしことごとく、真実を隠し、少しでも批判するものがあると
信者たちの前で徹底的に罵倒した。

天上界の示す方向と逆行したのである。



神の願いと、それに対する人間の責任・・・。
私たちは今一度、深く考える必要があると思う。。

一人ひとりにも、神の願いがあるし、また責任がある。

まずは、神の願い(つまり自分の使命)を正しく知ることから始まるだろう。



この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村


宗教 ブログランキングへ